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「中古品の著作権」

そろそろ沈静化したようなので書こうかな。

MORI LOG ACADEMY: 中古品の著作権

著作権について書かれた記事で、中古販売や図書券で貸し出す際にもコンテンツに対する著作権料を支払うのが道理ではないだろうか、という話。

この記事が、ちょっぴり炎上っぽくなっていました。──といっても森博嗣さんのブログではコメント欄がないので、はてなブックマークなどで。

はてなブックマーク - MORI LOG ACADEMY: 中古品の著作権

この話自体は少し前から似たようなことを聞きますが、それにしては「よくある話」で終わらせない人が多いような……。感情的になって批判、というか文句を言う人もいたり。

「本を山積みにして燃やす」

下記の部分に噛みついている人がたくさんいる、という印象。

ただし、僕自身はまったく気にならない。自分の本が中古で売られようが、図書館でただで読まれようが、まったく気にならない(図書館よりは、中古販売の方が少しましか)。たとえば、「もう森博嗣なんか金輪際読むものか!」と本を山積みにして燃やされたとしたら、そちらの方が、古本屋や図書館よりは、多少良い状態かな、とは正直思うけれど……。

MORI LOG ACADEMY: 中古品の著作権

自分なりに、この段落の真意を考えてみました。

「燃やす」は重要?

まず、この段落はいままでの段落とは違い、著作者の視点から語っています。そこを、いままでの段落と同じように考えると、おかしなことになるかと。

で、一番の炎上ポイントが「燃やされたとしたら」だと思うのですが──。みんなここに食いつきすぎというか、本質を見誤っていると思います。

ここは「金輪際読むものか!」と、いままで集めた森作品を「手放す」という意味で書いている、としか自分には読み取れませんでした。どう読んでも「燃やして欲しい」と書いていない。何回読んでも、書いてないものは書いてない。

100人の森博嗣』で書いてありましたが「人は答えを見つけると、何故かそれ以上考えなくなってしまう」。なぜ、ここに書いてある「図書館、中古販売、燃やす」しか考えないのか……。「森博嗣作品なんか読まない!」より「図書館でただで読まれる」ことの方がいいだろうし、「山積みにして燃やされる」よりも「山積みにしていつまでも愛読される」ほうが「良い状態」でしょう。

これって、単純に「僕の本が気に入らなくなったら捨ててください」と書いてあったら、誰もこの段落に食いつかなかったと思います。もう読まなくなった本を捨てる、というのは、日常的にみなさんしていますよね?

しかし、ここはわざと気に障る書き方をする事によって、読者に問題意識を持たせた。ということなんでしょうね。

そもそも、以前から森博嗣さんは「書店で自分の著作物が山積みになっているのを見るよりは、古本屋で見た方がうれしい」という発言をされています。何故かというと、「古本屋にある本は、少なくとも一度は売れた本だから」。書店で山積みになっている本は、まだ売れていませんからね。

というかですね──自分は、この段落の要点って、じつは「山積みにして」じゃないか、と思ってる。要するに、山積みになるくらい買った上で、もう読まないというなら、あとは知らん、と……。

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