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『ヘタッピマンガ研究所R』

今週のジャンプ(週刊少年ジャンプ 2008 年 35 号)の『ヘタッピマンガ研究所R』に、ビックリするようなことが書いてありました。

ref.: ヘタッピマンガ研究所R - Wikipedia

同誌に『アイシールド21』を作画として連載中の村田雄介が、漫画家を目指す村田の担当編集者・斉藤にマンガの基礎を教える、という内容なのですが、表情が豊かなキャラを描くコツを聞かれて、村田先生はこう答えるのです。

キャラ作りからの話になっちゃいますからねェ そこ行くと僕 わかんないもんで 作画屋だし

そーゆー根本的なとこは また別の機会に 誰か別の先生に解説していただくとして……(「複雑な表情」で)

『週刊少年ジャンプ』 2008 年 35 号 p.448

これは──潔い!

村田雄介先生の経歴

まずは、村田先生の経歴をご覧ください。

中学生時代、『ロックマン4 新たなる野望!!』及び『ロックマン5 ブルースの罠!?』のボスキャラのデザインに投稿し、それぞれダストマン、クリスタルマンとして採用された事がある。また、12歳で『ロックマン3 Dr.ワイリーの最期!?』に投稿した際は佳作であったため、エンディングのスタッフロールに名前だけクレジットされている。ゲーメストにも投稿していた。

村田雄介 - Wikipedia

──これは経歴以前の話ですが、昔からキャラデザにも興味があったのではないでしょうか?

デビュー前の読み切りマンガはもちろんオリジナルだと思いますが、初連載の『アイシールド21』は、稲垣先生の原作を作画する形になりました。

稲垣理一郎 - Wikipedia

そしていま、自らを「作画屋」と称しています。

『小飼弾のアルファギークに逢ってきた』

ここで思い出すのが、『アルファギークに逢ってきた』に載っていた弾さんの言葉。

今回のインタビューで最も印象的だったのが、「それは私の才能ではありませんでした」(That was not my talent.)という台詞。これは自分の得意分野に自信があるからこと言えることで(……)これをはっきり言う人は意外と少なく、それだけによけいこの台詞が印象に残りました。

『小飼弾のアルファギークに逢ってきた』 p.115

そう、自分のことを「○○屋」と呼べるのは、そのことに自信があるプロだからこそ言えるのです。

(『──逢ってきた』は引用に値するところが多くておすすめ──だけど感想がなかなかまとまらない)

まとめ

『ヘタッピ──』で村田先生が作画屋を自称する場面、悲壮感が漂っている絵だったので、

「村田先生は、本当は原作の才能も欲しかったのか……」

と思った人も多いのでは?

真相はご本人にしか分かりませんが、自分には、村田先生は自分の絵に自信があっての発言、と思いました。

そもそも、山ほどネームを読んで作画してきたので、当たり障りのない一般的な「キャラ作り」について語ることもできたはず。そこを、「誰か別の先生に」託すのは、村田先生の誠意ですね。

「餅は餅屋」ではないですが、自分の専門外のことを軽はずみに語るプロは、軽率といわれても仕方ありません。村田先生は読者(子どもたち)に向けて、軽々しくキャラ作りのことを語らなくて、良かったです。

──しかし、そう考えると、やっぱり冨樫先生のすごさが際だつなぁ。話作りから作画、背景までひとりで(奥さんと?)描いている、と言われています。

冨樫義博 - Wikipedia

そりゃ、休んでも仕方がない──、かなぁ……。

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