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むこうぶち

一風変わった麻雀(マージャン)マンガ・『むこうぶち』が最近のお気に入りだ。

むこうぶち - Wikipedia

ドロッとした脂っこい「大人の世界」を描いた劇画は苦手だったが、たんに食わず嫌いであることが分かった。いまでは「御無礼」のトリコになっている。

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むこうぶち 1 (1) (近代麻雀コミックス)
天獅子 悦也
竹書房 2000-11

むこうぶち 2 (2) (近代麻雀コミックス) むこうぶち 3 (3) (近代麻雀コミックス) むこうぶち 4 (4) (近代麻雀コミックス) むこうぶち 5 (5) (近代麻雀コミックス) むこうぶち 6 (6) (近代麻雀コミックス)

by G-Tools , 2008/08/31

ほとんどの話が一話から数話で完結する。手軽に読めて良い。主人公の傀(カイ)が勝って終わるのが常で、時代劇の『水戸黄門』に似たシステムにも思える。

『むこうぶち』の面白さは、来る敵すべてに強い主人公が勝ちまくる爽快感──ではない。真に見るべきは負けた人たちの表情と、勝負のあとの人生だ。その意味では、『古畑任三郎』のほうが似ている。

安永プロ

どちらかというと読者の視線に近い、安永萬(やすなが ばん)プロが主人公と見ることもできる。案内役のような立ち位置で、対戦相手と傀が戦う場を手回しすることが多い。

このオッチャンがまたいいキャラで、スピンオフで番外編を作っても面白そうだ。実際、安永が中心で進む話もある。

安永と傀は、コンビでも仲間でもなく、卓上では対等な立場なのが面白い。ヘタをすれば、安永が傀にヘコまされることもあるのだ。

──そう、いわゆる「少年マンガ」の文脈で読むと、驚かされることが多い。

少年マンガとは違う

たとえば、傀に負けた人間の末路は悲惨で、借金の返済のために死ぬこともある。少年マンガだったら、武士の情けで助けるところだろう(あ、「武士の情け」だと、辱めることなく引導を渡すことになるのか)。しかし──、傀は容赦しない。負けは負け、と精算を迫る。勝負に負けても命までは取らない──という暗黙の了解がある少年マンガとは、大違いだ。

それに、安永は結構ズルい一面を持っていたり、「大人の男」として美味しい思いをしたりする。少年マンガの文法では、そういった描写はしない。「臭わせる」程度で終わるだろう。

まったくの余談

そういえば──。『ギャラリーフェイク』は、藤田とサラが「いつになったら くっつくのか」とヤキモキするところが、見どころの1 つだった。これまた少年マンガ(ではないけど)の視線で見れば、まさか「浮気」はしないだろう。

──と思っていたら、(記憶によれば)たった一度だけ、藤田がほかの女と「いい思い」をしている場面がハッキリと出てきて、本当に驚いた。藤田が「腰痛持ち」なのは、描写がないだけで夜に暗躍しているのかもしれない──と臭わせるだけで十分なのに!

さらに余計なことを言うと──、それでもサラや三田村は「キレイなまま」で終わらせたのが、「作者、分かってるな!」という感じで良かった。

麻雀の思い出

自分は、高校を卒業したあたりから麻雀にハマった。

牌(ハイ)を混ぜて山を作り、ツモっては「何を切る?」と思案する──というのを、すべて独りでやっていた。自宅で毎日のように、ひとりで卓に向かって──。「友だち少ない歴 = 実年齢」の自分らしい、青春の思い出だ。記憶を消去──完了(できず)。

専門学校時代には、財布に数千円という状態で学生向けの雀荘(じゃんそう)に行きだした。電車賃をギリギリ残して負けた──というのが自分の雀荘デビューだ。しかもチョンボまでして、赤っ恥をかきに行っただけだった。その後も恥さらしを続けたが、大きなヤケドをしなくて済んで良かった。

ギャンブルに負けたときは、お金を失うよりもプライドを傷つけられるほうがつらい。高額の負けの場合は、親類に頭を下げたり、ほかから借金したり、あるいはもっと悲惨な末路を──。自分のように少額の負けの場合も、気分は良くない。

──そういったギャンブルのマイナス面が、どうもいまの日本に漂う「空気」と相容れない気がする。宝くじや toto のような、カジュアルにお小遣いを使って夢を見るほうが似合っているような気がする。

『むこうぶち』のような世界は、もう二度と見られないのだろうか──。

まとめ

麻雀といえば雀荘でする「ギャンブル」という時代から、ゲームセンタや家庭(のコンピュータ)で遊ぶ「ゲーム」という世の中へ変わった。それが良かったのか悪かったのか──と考えてしまう自分は、麻雀マンガの読み過ぎだろう。

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