『バクマン。』 20 ページ 「未来と階段」 (週刊少年ジャンプ 2009 年 06・07 合併号)
今回、シュージンが「カブるの怖がってたら 何も描けない
」と語っている。その通りだ。
しかし──今週号のジャンプは いつもよりネタがカブっていた。ここで挙げておこう。
- 天使が活躍する話
- 『バクマン。』(p.219)
- 『いぬまるだしっ』(p.307)
- 「新春 4 コマ祭り 2009」で「ネタがかぶる、というネタ」
- 『こち亀』(p.130)
- 『ネウロ』(p.132)
- 誰もが忘れかけていたキャラが登場
- 『ONE PIECE』(p.61)
- 作品名はヒミツ(p.140・左)
- 新妻エイジ
- なぜか p.158 にもいる(ネタバレ? なので作品名は隠した)
- それ、カブりじゃなくてパクr
まぁ、予想通りに「こじつけ」になってきたので、もうやめる。正直、スマンかった!
天使が主人公
ネームの説明をしているシュージンのセリフを読んで、真っ先に『花さか天使テンテンくん』を思い浮かべた。まさかシュージン(大場つぐみさん)がテンテンくんを知らない・忘れているとは──と思ったら、サイコーがすぐ突っ込んで安心した。
テンテンくんにしても『とっても!ラッキーマン』にしても──失礼ながら「アニメ化した割りにはパッとしなかった」と感じる。いま思いついたのだが、その理由は まさに万人ウケするヒロイン
がいなかったからではないか。『まじかる☆タルるートくん』と比べると「ヒロインの差が人気の差を生んだ」と断言できそうで怖い。
日本のマンガ・アニメは「ヒロイン至上主義」になっている。人気の出た作品のほとんどは、売れた理由が「ヒロインが可愛い(エロい)」である。──と断言するほど詳しくないが、うっかり信じてしまう人も多いのでは。少なくとも「ヒロインが不細工だから売れた」作品を探すほうが難しい。
もうそろそろ、「かわいい女の子が出てくるから見る」という読者向けの作品を作るのを止めてはどうか。
上の段落を読んで賛同した人は、すぐにオタクのことを思い浮かべた人も多いだろう。しかし──たとえば宮崎アニメは万人ウケしている。「アニメが好き」な人間にドン引きした女の子が、『ナウシカ』を熱く語ったりする(自分の身近で起こった実話)。どう見ても宮崎駿さんって「こっち側」の人間なのに、不思議だ(なんの側かは自分で考えよう)。
これからの時代は汚ギャルとオバサンだぜ! ──とは、ちっとも思っていないが。
最後には感動させる
『私の天使
』のネームは、すこしだけ『DEATH NOTE』を思わせるが、面白そうだ。どこの世界でも仕事のノルマがあるのだな、と思うと笑える。
昔から、地獄の沙汰も金次第という。見方を変えると、どこまで行っても人間の価値観が通るはずだ、という厚かましさを感じる。しかし、それこそが、異世界を描く作家にとっては心のより所である。天使が考えることは人間には まったく理解・共感ができない、というのでは話が書けない。
たぶん、SF にはそういう「人の形をしているが思考は異次元」という存在が多く出るだろう。それをどうやって言語化・映像化しているのか、気になった。
そういえば、『寄生獣』のミギーは初め、昆虫のような思考をしていてゾッとした。ほかのパラサイトを含め、だんだんと人間のようになってくる。すると、共感できるようになった。最後まで「人とは まるで違う思考をする存在」で描ききったら──きっと、感動しなかっただろう。
やはり、人間が描いて人間が読む作品には、人間的なキャラクタを出すべきだ──という、当たり前の結論が自分の中で出た。この結論を打ち破るような作品があると面白い。
金未来杯
一緒に載っていた新連載よりも
『べるぜバブ』のほうが面白かった
とシュージンは言う。では、そのときの新連載とは何か?
誰でもすぐに『バクマン。』! と解答するだろう。──甘い! この作品の中では『バクマン。』は存在しない。正解は『バター マン』である。
バクマン。 NO.13「チョコと赤マル」 叫ぶエイジと『バター マン』 : 亜細亜ノ蛾
──という、スベってばかりの今回の感想も、長くなってきたのでこのへんで。まだ今週号の半分だが……。合併号なので来週はない、と気長に構えていると いくらでも感想が書けてしまう。恐ろしい作品だ(文章がヘタなだけでは?)。