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『バクマン。』 20 ページ 「未来と階段」 (週刊少年ジャンプ 2009 年 06・07 合併号)

Red Passion CreativeCommons Attribution-NonCommercial-NoDerivs License, Simone

まだ「20 ページ」の感想が書き終わらない。なにしろ、今回の感想は 3 ページ分しか書いていない。いったいどうなっているんだ、と自問自答する。

やはり、ブログを日課として毎日書き続けていないと、勘がニブる。自分の場合、「筆が進まない」(本当はキーボードだが)のではなく、書きたいこととは違う文章を延々と書いてしまう。結果、『バクマン。』の感想を書いているのか、自分語りなのか、何なのか分からなくなる。

そんな書評は、アルファブロガになってから書けばよいのだ。ヒゲでも生やして(誰のこと?)。

だいたい、この前置き自体が不要だよな──と思いつつ、感想を書いた(ちなみに、上の画像は今回のテーマに合わせて「情熱 passion」のイメージ)。

すごいよ

また熱い服部が帰ってきた。

サイコーとシュージンに向かって、新妻エイジに「勝て!」と叫んでいたあたりから、服部の中にはマンガに対する情熱が燃えていることを感じていた。ひょうひょうとしてつかみ所がない男・どこか頼りない感じ、と初めは見えたが、今では本当に良い編集者だと思っている。

そんな熱弁を振るう服部に対して、少し 2 人が「引いて」いるのが面白い。

自分の中高生時代、何かを真剣に語るオトナを見た覚えがない。ルーチンワークで教科書を読むだけの教師や、気だるさを全身から発しているバイト先の店員・子育てに疲れを見せ始めた母親──そんなオトナばかりだった。

幼いころは、オトナは偉大な存在だった。長じてくると、そうでもないことを知る。自分もいつか、退屈なオトナになるのだな、と分かり始めてきたのがハタチのころ──。

服部のように、芯の熱いオトナが近くにいれば自分も変わったかも──そう思う。しかし、それは甘えだ。

サイコーもシュージンも、マンガ家になる──もとい、「売れる」マンガ家になることに真剣である。だからこそ、服部哲という熱いヤツに巡り会えたのだ。

一歩間違えば、2 人の担当者は雄二郎になっていた(自分の中で雄二郎は悪い編集者の代名詞代わりに使っている)。もしも、サイコーとシュージンには雄二郎・新妻エイジには服部、と担当が決まっていたら、文字通り「話にならない」。この作者のことだから、それでも面白い作品に仕上げたに違いないが。

少々レベル高過ぎる

服部は本当に面白い。

サイコーとシュージンを服部は子ども扱いしていない。(『バクマン。』内の)ジャンプ編集部では全員がそうなのかは知らないが、少なくとも 2 人をデビュー前の将来有望なマンガ家として服部は扱っている(実際、「赤マル」に載ったときにギャラが発生している以上、2 人はアマチュアではないのだが)。

そうかと思えば、上記のように 2 人との距離を感じると、15 歳の君達に 言うことじゃなかった かもしれないな、などと冷静に言う。この場面は、読者に「そういえば 2 人はまだ高校生なんだよな──スゲェな!」と思わせる意味もあるだろう。しかし、それ以上にここまで言わせる事が すごいと思ってくれと語る服部の「ほめ上手」さが生きている。でも、などと落としておいて上げる。それでいて指摘すべき点も挙げているのだ。

この見開きページは、多くの読者にとって流し読みところだろう。何となく「服部に認められる作品を 2 人は描けたのだな」とだけ理解すれば良いようにも読める。だが、「服部ウォッチャ」の自分からすれば、何度読んでもコマから面白味があふれてくるのだ。タコみたいな服部なのに、スルメイカのようなページである(──書かなければ良かった)。

光るものがない

帰り道での 2 人の会話がスゴい。興奮していた服部とは対照的で、冷めている。でも、話の内容は高度だ。

2 人とも、もう金未来杯にエントリーされるくらいは当然と思っている。それくらいでは喜べない。マンガ家としてデビューして連載を始めて一番の人気になってアニメ化──先はまだまだ長いからだ。

とんでもない世界へ進もうとしているのだな、サイコーとシュージンは。読者を楽しませるために、競争の世界で力の限りマンガ家たちは生きている。

厳しく他人に試される環境に一度もいたことがない自分には、想像もできない。ベッドでぬくぬくしながら気軽にマンガを読んでいる自分が恥ずかしく思える。まぁ、背筋を正して正座でマンガを読む人はいないし、そんなことをマンガ家も編集者も望んでいないのだろうが……。

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