『バクマン。』 22 ページ 「邪魔と若さ」 (週刊少年ジャンプ 2009 年 09 号)

Honmachi, Osaka (by m-louis) (by m-louis)

海原雄山北大路魯山人との関係をご存じだろうか?

こう聞かれると、たいていの人は「雄山のモデルになったのが魯山人」と答えるだろう。海原雄山 魯山人 - Google 検索の結果を見ても明らかだ。残念ながら、それでは 50 点しか取れない(1000 点満点中)。

美味しんぼ』の作中で、雄山の師匠である唐山陶人の師匠として魯山人の名を挙げているのだ。つまりは、雄山の師匠の師匠である。

さて、『美味しんぼ (88) (ビッグコミックス)』に収録されている「器対決!」という話が面白い。対決の場で、雄山ではなく山岡士郎が魯山人の器を多く取り上げ、絶賛する。

器対決!<5> - あらすじ - 美味しんぼ塾ストーリーブログ

普通は、自分の師匠を誉められれば悪い気はしない。しかし雄山は違う。「ばかもの。」と士郎をしかったあと、こう言う。

私は 魯山人の作品を 高く評価するが、 ひいきの 引き倒しは むしろ 魯山人の評価を 低める 恐れがある。

『美味しんぼ』 88 巻 p.193

そして、魯山人の作品が持つ根本的な弱点を指摘する。さらには「魯山人の作品なら 何でもありがたがる おまえたちの態度は 軽薄だ」とまで言うのだ。

そう、自分が尊敬する人物だからこそ、正当な評価をして欲しい──という気持ちはよく分かる。皆さんも同じだろう。

たとえば、『DEATH NOTE』も『バクマン。』も好きだ、という人との会話で「L くんってかわいいよねー」とか「あー、アタシもシュージンと付き合いたいなー」といった方面ばかりを聞かされれば、絶句するしかない。または、『バクマン。』の一部分でしかない「ジャンプ編集部の内面を描く」ところばかりを面白可笑しく評価されても、苦笑するばかりだ。

見当違いの評価をすることによって、逆に作品や人物を低く見られてしまう──自分のような感想書きは落ち入りやすい。気をつけよう。

自分も何度かエイジを「天才だ」と軽く書いてきた。それこそがエイジを甘く見ていた証拠かもしれない。今週号の話では、エイジが今よりもさらに成長する姿が予想できた。生まれつきの才能だけではなく、素直さによって進化するエイジに注目だ。

学べるもの

本当にエイジとサイコーとの会話は面白い。毎回、どうやったらこんな「かみ合っていないようで生きた会話」が書けるのか、不思議で仕方がない。

サイコーが目の前にいるのに、エイジはシュージン(だけ)を評価する。言われたサイコーは、すこし落ち込みながらも、エイジから学べるものがあるのではないか、と話す。

2 人とも、素直でじつに良い。

エイジはサイコーの前だからといってフォローしたりしないし、サイコーもへそを曲げて「ヒマだからバイトしにきた」などと言わない。マンガに対する情熱だけで本心から話している。

自分はサイコーを「性格が悪いヤツ」と思っている。それは今でも変わらない。しかし、彼のマンガへの真っすぐな思いだけは好きだ。頼むから、亜豆と結婚したらマンガは卒業──などとならないで欲しい。

勝負の 2 話

自分の座右の書・『森博嗣のミステリィ工作室 (講談社文庫)』で森博嗣氏は、やはり作家の真価は 2 作目で問われると繰り返し書いている。自分もそう思う。

森博嗣さんの 2 作目(出版は 3 冊目)に当たる『笑わない数学者―MATHEMATICAL GOODBYE (講談社文庫)』は凄まじかった。この時点で、すでに「メイントリックよりも本筋外の謎のほうが深い」という構造を完成されている。また、京極夏彦さんの 2 作目・『魍魎の匣―文庫版 (講談社文庫)』もまた、彼にしか書けない重厚さ──というか、「みつしり」さやネチっこさだ。

この文脈から言うと、『CROW(クロウ)』の 2 話目ではなく、次に描く作品でエイジの真価は問われるのだろう。

それにしても、「週刊少年ジャンプ」誌上で架空の作品を 4 位にするとは──。これ、現役の作家さんが読んだら、ちょっと怒るか悲しむかも。『ONE PIECE』と『BLEACH』・『NARUTO』あたりが、今のジャンプの上位 3 位に入るだろう。さて、その次の作品というと、本当はどれだろう? 『バクマン。』なのだろうか。

あと、この場面では意外なことが判明した。エイジって、雄二郎の話をちゃんと聞いて覚えているのだな。それが一番の驚きだった。

このままだと 順位は下がる !!

いけ好かないヤツとばかり思っていた福田だが、後半でその印象は一変した。

この記事の冒頭で、「ひいきをしすぎると評価を低める」という話を出した。それは、このサイコーとエイジとの会話に福田が割って入る場面に関連するのだ。

このシーンを初めて読んだときには「エイジなんかより自分のほうが優れている」という福田の自信から出た言葉に思えた。しかし、実際には福田の評価は正当なものだ。彼は、言葉が悪いだけで、いつも正論を述べている。遠慮をしない性格のため、衝突することも多いだろうが、彼のような存在はありがたい。

とはいえ、サイコーがこの場にいなければ、福田はエイジの弱点を指摘することもなく、淡々と仕事だけをこなしていたはずだ。もしかすると、エイジは本当に人気を落としていたかもしれない。

エイジとサイコー・福田、それぞれの良いところがぶつかり合い、良い結果が生まれた。現実でもこのような例は多い。大場つぐみさんと小畑健さんとの出会いも、その一つだろう(まぁ、出会いというか「編集部の会議で決まったこと」なのだろうけど)。

どうです?

エイジの一番の強みは、その純粋さである。面白いマンガを描くこと、それだけしか考えていない。

彼がいわゆる「自称・天才」ならば、自分の作品を批評するサイコーと福田の言葉には、聞く耳を持たないはずだ。「そんなことはないです。自分のマンガは面白いです」などと言うだろう。

しかしエイジは、うーん どうすれば いいです、と言う。

──考えてみて欲しい。1 話目だけとはいえ、あの週刊少年ジャンプで一位を取った人が、デビュー前のアシスタントからけっこうボロクソに言われた上で、このセリフである。これはなかなか出てこない。

また、凄いと面白いは違う、という言葉自体がスゴい。このネームを描いた大場さん自身も、そう思っているのだろう。さんざん『DEATH NOTE』で「スゴい!」と絶賛されただろうに、「面白い、とは違う」と言い切れるのか……。

手伝ってください

福田の批評が、じつに的を射ていて素晴らしい。編集部やサイコーの褒めちぎりだけを聞いていたら、エイジの成長は止まっていただろう。

『この世は金と知恵』も福田は きちんと読んでいる。なぜエイジがこの作品を面白く感じたのか、読者が何に引かれたのか、冷静に分析しているのが良い。自意識過剰でイヤなヤツだったら、こんな深みのある話はできないだろう。

ただ──、すこし心配に思う。この批評を生かせる場として、福田は編集者や批評家になるのではないか。あまりマンガ家は、人のマンガを批判しない気がする(批判したがる人はテレビによく映っているが、彼はタレントと呼ぶべきだろう)。

ラストの場面を読んで、「福田、ツンデレかよ!」とツッコミを入れた人は多いだろう。

普通のツンデレは「素直じゃない」という属性が付いている。福田を見て、「素直なツンデレ」というのも面白いな、と思った。「べ、べつにアンタのこと大大大っ好きだけど、ピーマンを残すのはダメなんだからねっっっ ////」と、素直でありながら批評も忘れない(批評?)。

そろそろ「──これ、『バクマン。』の感想か?」という幻聴が聞こえ始めてきたが、これからもこんな感じで行くのでよろしく──。

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