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『バクマン。』 23 ページ 「天狗と親切」 (週刊少年ジャンプ 2009 年 10 号)

水戸黄門御一行@円頓寺七夕まつり (by yamakazz) (by yamakazz)

何事も基本が肝心である。

マンガを描くときの基本は、言うまでもなく、自分が読んで面白いマンガを描く──のではあるが、読者がついていけない内容では困る。福田が言う自分だけが楽しんで描かず 読者の気持ちになって 描く! はプロの基本条件だ。

しかし、その基本がまた、難しい。

読者のことばかりを考えて、自分が描きたくもないマンガを続けると、ストレスが溜まる。

これは、マンガ家だけではなく、ほかの作家やブログ書きも持っているジレンマだろう。好きに書きたいが、読者のことも放っておけない……。

何を書いても喜ばれるような「アルファ」な人なら、話は別なのだが。また、何を言っても批判を浴びるようになったら、それはそれで楽だろう──って、そうでもない?。

答えは ベタです !!

さて、読者のことを考えて、いろんな要素を盛り込んだ展開としてエイジが出した結論が──「ベタ」だった。

ベタ - Wikipedia(このリンク自体がベタであることに気が付いて欲しい……)

エイジの考えた展開を聞いて、サイコーも福田も納得している。──が、「え、そんなんでいいのかよ!」と突っ込んだ人も多いはず。天才・新妻エイジならば、もっとほかの状況を描けるのでは、と。

このあたりは、『オタク学入門 (新潮文庫 (お-71-1))』を読むと納得ができると思う。自分はソフトカバー版を何年も前に読んでうろ覚えだが──抽象すると「ハリウッド映画などのヒット作を時間軸に沿って分析すると、ほとんどの映画が同じような時間に同じような展開になっている」という具合だった。

日本人なら「戦隊もの」や「水戸黄門」などのドラマを思い浮かべると早いだろう。だいたい同じ時間にヒーローがピンチになったり風呂に入ったりする。それでいて、同じ番組でも面白い回とつまらない回があったり、同じようなドラマでも当たり外れがあるのだ。

つまるところ、ジャンルによって「枠組み」が決まっている、ということである。19 ページのバトルマンガであれば、王道でも邪道でも、展開自体は似てくる。問題は、その枠組みの中で、いかに個性を発揮できるか。作者の腕の見せ所である。

ところで──。これだけ毎週のように『バクマン。』のひとコマひとコマを細かく何度も読んでいると、上で挙げたような分析もできそうだ。実際、「前回の続き」から始まり、次回への引きで終わるまでの流れも、一定している気もする。

しかし、自分は分析や解説は嫌いである。自分が書いているのは、あくまでも感想だ。このブログの読者には違いが分からないと思うし、「言い方だけやん!」(© ダウンタウン)な感じもするが……。

見る権利

エイジを完全に「飼い慣らして」いる福田はスゴい。どう見ても、雄二郎よりも担当に向いていると思う。残念ながら、編集者になる気は福田には ないのだろうが。

福田のように編集者としての才能を持っている人向けに、「バイトの編集者」というのはあり得るか、とちょっと思った。──いくら何でも、それはないか。編集者は出版社の社員しか有り得ないだろう。

そう思ったが、『雑君青保プ (GAME SIDE BOOKS)』p.76 によると、雑君保プ先生はデビュー当時、マンガの投稿だけではなく雑誌・「ゲーメスト」のライタもされていた。「学校帰りに編集部に寄って記事を作る。部活気分ですよ。」とのこと。ライタではあるが、編集者と似たようなこともしていたのではないか。何ともゲーメストらしいエピソードである。

福田は権利を主張してムリヤリにネームをエイジに描かせた。その結果、より良いネームが短期間で仕上がり、福田は改めてエイジが天才であることを認める。

この場面、福田はけっこうショックだったに違いない。ひょっとしたら、放っておけば半年でつぶれた可能性があるライバルを手伝ってしまった。サイコーと違って、エイジから何かを学ぼうとは思っていない福田にとっては、とくにメリットのないことをした、とも見える。

だが、それがいい。福田は、良い意味でお節介焼きなんだと思う。素っ気ないようで、自分が思ってもいなかったところで、人助けしてしまう。思ったことをズバっと言いすぎて、相手を傷つけることもあるが、裏でコソコソ言うよりは気持ちがよい。──そんな人物に思える。

まだ 2 週しか出ていないし、これからどうなるか分からないが、福田はかなり好きなキャラクタになった。

真城くん 1 人でも

福田の良い人っぷりは、帰り際まで続く。

サイコーたちが 2 人でマンガを描いていることを気づかう福田の言葉は、ぶっきらぼうのようで優しさを感じる。年下の子の将来を心配する兄(あん)ちゃん、という感じだ。

さらに、帰る時にちゃんとエイジにあいさつをしているのも良い。2 人に上下関係はないはずだが、自分の仕事があるのはエイジのおかげでもある、とキチンとわきまえている。黙って出入りする雄二郎とは大違いだ。

もっと驚いたのは、福田が中井の実力を認めていることである。これには驚いた。さんざんバカにしたようなことを言っていたが、中井の作画のテクニックを福田は正しく見ている。

福田のおかげで、エイジが話を作る時間を多く取ることができた。中井も存在価値を認められたし、言うことなしの結果である(一言多いのが玉に瑕だが)。自分の生活は自分で面倒を見ている、というのもスゴい。シュージンに続く完ペキ超人・福田の誕生である。

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