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『海辺のカフカ』

Johnnie Walker (by gwenael.piaser) (by gwenael.piaser)

15 歳の誕生日がやってきたとき、僕は家を出て遠くの知らない街に行き、小さな図書館の片隅で暮らすようになった

なんだかおとぎ話みたいに聞こえるかもしれない。でもそれはおとぎ話じゃない。どんな意味あいにおいても。

『海辺のカフカ』 (上) (新潮文庫) p.13

この時期にネットで村上春樹を取り上げるということは、すなわち彼のスピーチについて語ることになりがちだ。

Google ニュース検索: 「村上春樹 エルサレム」

──が、「政治・経済にウトい」という属性のまま一生を終えそうな(そしてそれを一種のウリにしている)自分は、完全にこの話題をスルーする。

ひとつだけ言えることは、卵は投げるものじゃなくて、食べるものだ。ウズラも栄養価が高いから、ちゃんと食べよう(@nifty:デイリーポータルZ:スーパーのうずら卵から、ひな鳥ピヨピヨ!)。

さて、『海辺のカフカ』である。たいへん面白かった! いくらでも深く読み込めるだけの謎を残しつつも、気軽に読める。ただし、読んでいるときはフワフワした気分に浸れるが、読み終わると「『海辺のカフカ』とは、なんだったのか──」としばらく考え続けることだろう。

『アフターダーク』よりは「いつもの春樹」として安心して読める。すこし残酷な描写も出てくるが──。とくに猫が好きな自分は、「その映像」が頭に浮かんでキツかった。

『アフターダーク』 理解できない「無」の恐怖 : 亜細亜ノ蛾

小説としての構造が、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』に似ている。もちろん、中で語られていることはかなり異なるが、おそらく意図的に似せているのだ。そこになんの意図があるのか──それは読んでのお楽しみである。

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海辺のカフカ (上) (新潮文庫)
村上 春樹
新潮社 2005-02-28

by G-Tools , 2009/02/23

村上 春樹
新潮社 2005-02-28

by G-Tools , 2009/02/23

ホシノ青年

Pick Your Poison (by Scott Ableman) (by Scott Ableman)

お釈迦様かイエス・キリストの弟子になった連中も、あるいはこんな具合だったのかもしれないな。お釈迦様と一緒にいるとさ、俺っちなんかこういい気分なんだよな、とかさ。教義とか真理とかむずかしいことを言う以前に、その程度の乗りだったのかもしれない。

『海辺のカフカ』 (下) (新潮文庫) p.211

自分が本作品の中で一番好きな人物は、ホシノ青年だ。最初は たんなる脇役──どころか、背景と同じくらいの扱いで出てくる。だから自分もホシノの言動に注目していなかった。それが途中からは、完全に主人公として見ていた。本当に彼を主人公にした続編を読みたいくらいだ。

どう見ても、あまりお近づきになりたいタイプではない。それに、ハルキ作品の主役級に共通している「上品さ」も持ち合わせていないのだ。それなのに、どうしてこんなに気になる存在なのか。

初めてナカタさんとホシノが食事をする場面は、読み返すとスリリングだ(上巻 p.443-445)。ここでナカタさんを置いていくのではないか──と心配になってしまう。先の展開を知っているのに。それに、ここでナカタさんと別れても、誰も責められないだろう。せめて警察へ保護を要請するくらいはするかもしれないが。

それ以降、何があってもホシノはナカタさんを見捨てなかった。何があっても、だ。ホシノ青年は、単純に「面倒見がいい」というレベルを超えている。自分だったら、256 回くらいは逃げ出しているところだ。

作者も当初はホシノを重要視していなかったが、書いているうちに主役並の扱いになっていった──と想像する。キャラクタがひとりでに動き出す、という感じ。

カフカ少年

「だから僕は自分にカフカという名前をつけた。カフカというのはチェコ語でカラスのことです」

『海辺のカフカ』 (下) (新潮文庫) p.192

カフカ少年は、「仕組まれた子ども」(by. 『エヴァンゲリオン』)という表現がピッタリと合う。運命に逆らうようにして家を飛び出したが、それすらも予定通りだったのでは──と思わせる。「誰の予定か」はここでは書かないが。

じつは、カフカ少年はあまり好きではない。あまりにもシナリオのために作られた人物に見えるのだ。カフカ少年が登場する章では、すべてのできごとが彼のために起こっている──そう見えてしまう。すると、彼の苦難の日々も、予定調和に感じてしまうのだ。

最後まで読むと、はたしてカフカ少年は自分の意志で生きてきたのか、と疑問に思う。操られているだけではないか、と。その証拠に──最後の最後まで、カフカ少年に語りかける人物が出てくる。カフカ少年の選択が正しければ、その人物は去っているはずだ。それとも、この物語のあとで消えるのだろうか。

最後の場面でカフカ少年と会話する人物が、カフカ少年にとって良い存在か悪い存在か──その受け取り方で、この作品の評価も変わるだろう。

物語のあと

ある種の不完全さを持った作品は、不完全であるが故に人間の心を強く引きつける

『海辺のカフカ』 (上) (新潮文庫) p.232

自分には、『海辺のカフカ』は「人は成長してもそれほど変わらない(変われない)」という話と読めた。良い意味でも悪い意味でも。

カフカ少年もホシノ青年も、「このあと」は日常に帰って行くだろう。そこには「普通の人生」が待っている。冒険は終わったのだ。仕事をしたり恋をしたり、ときどきは今回の旅を思い出すだろう。いつかは忘れるかもしれない。それで良いのだ。2 人とも、別にドキドキハラハラな冒険劇を望んでいたわけではない。

正直に言って、ものすごく中途半端なところで話が終わっている、と思う。3 巻目があってもおかしくない──いや、10 巻くらいの大作が書ける材料は そろっている。しかし、たぶんこの続きが書かれることはないだろう。そのおかげで、物語のあとを想像して楽しめる。しばらくは『海辺のカフカ』の世界にひたれそうだ。

それこそが、物語の力だ。

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海辺のカフカ (下) (新潮文庫)
村上 春樹
新潮社 2005-02-28

by G-Tools , 2009/02/23

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