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『バクマン。』 26 ページ 「2 人と 1 人」 (週刊少年ジャンプ 2009 年 13 号)

California Summer Fruit Stand (by Not Quite a Photographr) (by Not Quite a Photographr)

長くマンガを読んでいると、いろんな読み方ができるようになるものだ。普通は読み飛ばすような場面に注目したり、派手な戦闘シーンよりも地味な会話が好きになったりする。

今週号の河原で 2 人が話す場面は、その地味さがよかった。昔だったら 0.2 秒でページをめくっていたと思う。いつの間にか、描かれていない行間(コマ間)や人物の心理まで読むようになってきた。

将来のことを話す 2 人の会話と表情からは、語られない本当の気持ちが読み取れる。これは望ましい結果ではない、と。それ以外にも、あまり大っぴらに話したくないような、良くない感情も見えてしまう。

マンガは「サイコーは○○と思った」といちいち描けない。ほぼすべてを絵で表現しなければならないのだ。ときどき、小説を読むよりも深い洞察力を要求されたりする。マンガと小説のどちらが優れているか──などという議論には興味はないので悪しからず……。

勘違いしてるぞ

グッと言いたいことをこらえていたシュージンが、見吉のことだけは言い返す。この場面は、熱い。

読者の 8 割くらいが「見吉のせいでシュージンのネームが遅れた」と見るだろう。そして──間違いではないはずだ。しかし、夏休みの間ずっと、できたばかりの彼女とも離れて・寝る間も惜しんで・息抜きもせず──という状態で良いものは描けない。見吉をジャマに思っている人は、四六時中ベッタリとシュージンにくっついてキーボードすら打たせない、と想像しているのだろうか?

自分は、「今は見吉の為にも ネーム頑張ってる つもり」というシュージンの言葉を信じたい。

そう、そもそもこの話は「惚れた女と結婚する為に頑張るマンガバカ」が主人公なのだ。コンビが同じようにカノジョの為に頑張っても不思議ではない。

世の中には、恋愛で人生にハリが出て良くなる人と、のめり込みすぎてダメになる人がいる。サイコーとシュージンは前者だろう。自分は──どちらかは、この流れで分かるよな……。

勘違いしてたかも……

シュージンの話を聞いて、見吉に関する誤解が解けたサイコーは、素直に勘違いを認める。ここは、あっさりと描いていてることが非常に良い。

「見吉と付き合っていたからネームができなかったのでは?」と「締め切りを守らなければダメだ」という 2 点は、サイコーがコンビ解消を切り出した大きなポイントだ。この 2 点はけっきょく同じことを言っているのだが、「締め切りさえ守れば見吉とイチャイチャしていても良い」のかというと──サイコーにとっては微妙なのでは、と思う。仕事場にシュージンと見吉の 2 人で上がられるのはイヤらしい──じゃなくて、イヤということらしいし。

シュージンには自分のそばにいて一緒にマンガを描いて欲しい、とサイコーは思っているに違いない。サイコーのこうした心の動きは、「男の嫉妬心」だろう。独占欲と言いかえても良い。べつに同性愛ではないと思うが、似たような感情は理解できるはずだ。

ということで、シュージンと見吉の仲を、サイコーはモヤモヤといろいろ考えていた。さらには亜豆との距離感に孤独を感じて、コンビの解消もヤケになって言ったのでは、と思う。──というか、一か月も部屋にこもってマンガの練習をしていたら、良くないことを誰でも考える。当然だ。そのわだかまりを、たった一コマで「わり」と言ってしまうのが潔い。

シュージンのほうも声を荒げて弁解したりしないし、サイコーも疑ったりしない。その上で、締め切りのことは言及する。──「男の子同士の会話だな」としみじみ思う。

ところで、この「学校サボってダチと河原でダベり」という状況は、「2 ページ」でシュージンがバカにしていた「もう やっちゃいました」な会話が似合う状況だ(?)。それなのに、こんなに沈んだ話題とは……。

マンガ家を目指してから、「マンガ、面白!」と満面の笑みでサイコーが何かをやっている場面──は、ほとんどない。いつも歯を食いしばって頑張っている。亜豆のことを思ってときどきデレデレするシーンが、唯一の息抜きだ。それで良いのか、高校生?(マンガ的にそうではないと読者も困るが)

エイジの仕事場で「昔の自分が好きだったキャラクタ」と「自分が本当に(シュージンと)描きたいマンガ」を見つけたサイコーは、最高の笑顔をしていた。あの表情は、もう見られないのだろうか……。

センスねーな

河原での会話は、地味でシンミリとしていながら、非常にいい場面だ。その静けさを破ったのは、ある意味では話題の中心である見吉だった。

シュージンの切り替えの速さが相変わらずスゴい。通夜みたいな表情だったのに、とつぜんの『ToLoveる』な状況にも対応する。福田が大好きな場面だ。──どちらかというと『いちご100%』が近いか──どうでもいいけど。

(そういえば、鳥山明先生や桂正和もエロな作品を描いているが、小畑健先生はどうなんだろう? 見てみたい……)

別れ際のサイコーの表情に注目だ。やはりサイコーは、一人でマンガを描いていく決心が完全には固まっていなかったのだろう。そこで、シュージンからこんなことを言われることを待っていたのではないか、と想像する──

「俺、やっぱりサイコーがいないと……!」「……! シュージン!!」(バラの背景・フェードアウトしていく二人……)

──あ、間違えた(わざとらしく)。そうではなくて……。シュージンから頭を下げて「コンビをやめないでくれ!」と言ってくるか、サイコーが自分から言うか、そのタイミングを見ていた気がする。シュージンの超絶・状況適応能力が裏目に出て言う時期を逃した、という感じ。

ほんの少しのズレが、人と人との間を決定的に切り裂く──。

あたしの せいじゃん

騒がしい見吉が急にしおらしくなると、かわいらしくなる。「○○が赤くなると医者が青くなる」みたいなものか(たぶん違う)。ところで、○○は柿だったりトマトだったりリンゴだったりするらしい。「オレ」というのは、どう?(聞かれても困る)

が赤くなると医者が青くなる - Google Search

見吉が落ち込んだりサイコーに説明しに行こうとしているのは、シュージンのためだ。しかし、シュージンにとっては、ありがたくない。

たしかに、ここで見吉がシュージンが描いているネームのことを話しても、サイコーの気持ちは変わらなかったかもしれない。それこそ、見吉が「亜城木夢叶」を完全に完全にこの世から消すことになっただろう。そのシナリオを見なくて済んで良かった。

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