『バクマン。』 31 ページ 「火曜と金曜」 (週刊少年ジャンプ 2009 年 18 号)

Confetti for the masses (by looking4poetry) (by looking4poetry)

絵でも文章でも、作品を作りながら、「自分は天才ではないか」と 8 割以上は確信する人が多い(ソースは脳内)。

しかし、いざ作品が完成すると、自分のかいた物をこの上なくヘタに感じたり、とても手が届かない高みを見たりしてしまう。今週号のサイコーのように。

自信過剰になったり落ち込んだり、その繰り返しを続けられる者だけが、本物だ。

本物だろうがニセモノだろうが、プロとして飯を食っている人もいる。高みを目指して職に困るか、妥協して食にありつくか、難しい問題だが……。

まだ安心できない

『KIYOSHI 騎士』の速報を見て、雄二郎が喜んでいる。このコマは、まるで 70 年代のマンガのようだ(あまり詳しくないが、モンキー・パンチとか、そのあたり)。

小畑健と言えば「美麗な絵を描くマンガ家」だが、それだけではない。『バクマン。』では、いろんな表現に挑戦している。自分が見た感じでは、回を追うごとに登場人物の表情が豊かになっている。わざと「くずしている」と言ってもいいくらいだ。

「ウマい絵を描く」とは何か、と考えさせられる。マンガの絵を見る目がない人は「絵が安定していない」と言うかもしれない。そういう楽しい意見を持った人は、そっとしておこう。

コングラチュレーション

エイジのセリフを見て、ちょっと冷や汗が出た。

自分は、congratulations を「コングラチューション」と発音していたのだ。恥ずかしい。──まぁ、今までの人生で 3 回も言っていないと思うけど。

日本語の入力システムである ATOK を使っていると、「コングラチュレーション」と入力して変換すると、「congratulations」が候補に出てくる。英文の意味や、類似の単語までその場で調べられるのだ。すごいぞ、ATOK ! ──という、さりげない宣伝である。

雄二郎からの電話を受けた福田は、腰を引いた変な格好で笑える。それに、よく見るとエイジがばらまいているのは──ゴミなのだ。右手にゴミ箱らしき筒を持っている。ひょっとしたら、事前に用意していた紙吹雪、なのかもしれないが、それにしては大きさがバラバラだ。

どちらにせよ、この場所でばらまいたゴミなり紙吹雪なりは、中井に降りかかる。同僚に先を越され、先生からはひどい仕打ちを受け、二重三重にツラい中井の明日はどっちだ……。

動かぬ証拠!

亜城木夢叶の『疑探偵 TRAP』もマンガ内マンガとして掲載された。1 ページとはいえ、スゴい。

たった数コマだが、「サイコーが描いた感じ」がよく出ている。主人公なんかは小畑絵だが、ヒロイン(?)は「まだまだ書き慣れていない感」がするのだ。これは、小畑先生が描いたのか、アシスタントの絵なのか、コミックスで明かして欲しい。

見吉のボケとシュージンのツッコミで夫婦(めおと)マンザイを繰り広げる中、サイコーは浮かない表情だ。落ち込んでいる理由は、絵を描く人間なら共感するだろう。ただし、「向上心のある」が頭に付くが。

ミホでしょ

見吉の横顔が、まるでマスオさんみたいだ。サイコーが亜豆からのメールを読む直前のコマを見て欲しい。もしくは、「フィギュア顔」という感じだ。「相変わらずね」と言っているコマでは、キャラクタが成り立っていない気もする。

絵がウマい人はキッチリとしたデッサンでも描けるし、くずすこともできるのだ。こんな時に、いつも思い出す言葉がある。

速く走れる人は遅くも走れますが、その逆は難しい。

森博嗣のミステリィ工作室 (講談社文庫) (文庫)』 p.123

亜豆からのメールで元気が回復したサイコーが笑える。表面は少しひねくれているが、根は単純なのだ。まさに「おとこのこ」らしい。男は単純なのが恥ずかしくて、理論で武装するのだろうか。

引き分けです

エイジの発言からすると「同率 1 位です」と言っていたのは、『KIYOSHI 騎士』と『疑探偵 TRAP』のようだ。そうすると、『hide out door』はエイジの中では 3 番となる。今週号の発言だけでは、ちょっと微妙だが。

いまだに新妻エイジというマンガ家は、天然なのか計算なのかが分からない。この引き分け発言も、聞いた中井がどのような反応をするかを分かって言っているのか、エイジの表情からは読めない。

いずれにせよ、エイジだけではなくて多くの人──読者からの批評を浴びるのがプロのマンガ家だ。最近では、ウェブ上でも簡単に作品の批判(という名の悪口)が書かれる。胃が丈夫(a strong stomach)な人ではないと、プロは勤まらない。

「ペンは剣よりも強し」という。これが真実かどうかはさておき、ペンも剣も、武力や男性器などに たとえられる。どちらも、攻撃的な印象だ。まさか、21 世紀に鍵盤がペンや剣よりも強くなるとは、昔の人は思わなかっただろう。

どちらかというとペンや剣は男性的、キーボードは女性的な気がする。女性的なキーボードのタイピングのほうが強いとは、まさに今の世の中だ。

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