• 更新:
  • 投稿:
  • カテゴリィ:

『バクマン。』 110 ページ 「一緒と別々」 (週刊少年ジャンプ 2010 年 51 号)

Day 021/365 - These Gifts
(白ウサギも──時間に追われている)

『バクマン。』には、女性キャラが少ないです。

しかも、亜豆は一段と登場の機会が減ったし、蒼樹もダージリンを飲んでばかりいるし(?)、岩瀬は港浦に怒ってばかり(『さよなら絶望先生』の新井先生と臼井みたい?)。

最近は、カヤがひとりで女性成分を引き受けています。ウソ みたいだろ。人妻なんだぜ。それで…(『タッチ』ネタ)。

──あ、そうそう、いい機会だから書いておくと、『タッチ』(原作)の名ゼリフは、下記の通りです。

きれいな顔 してるだろ。 ウソ みたいだろ。 死んでるんだぜ。 それで…

このセリフを「死んでるんだぜ。それ…」と書いている人がウェブに多くて、腹が立つ!

「そんなにきれいな顔をしているのに、死んでいるなんて信じられない」と達也は言いたかった。「それ…」だと和也をモノ扱いじゃないかッ!

一文字の有無が大違いなので、引用は正確にしてほしいものです(アニメしか観ていないのかも)。

参考にならない参考例: タッチの和也の死のシーンの名台詞 | OKWave

高木くんと僕の 2 人で

これまでずっと、亜城木夢叶の 2 人と打合せをしてきた服部には、シュージンの言葉にビックリしたでしょうね。ただ、まだこの時点では「ネームに詰まっている」くらいに思ったかもしれない。

しかし、カンの良い服部のことだから、サイコーとの電話にただならぬ空気を感じたはずです。服部にとって、亜城木コンビの崩壊に直面したのは、これで 2 回目になる。こういったことには、慣れるということがないでしょうね。

そんなシリアスな空気の中、ただただ立ち尽くすことしかできないカヤが、不思議とかわいらしい! なんでだろう? 「浮気中に突然の電話」みたいに(にごったオレの目には)見えるからかな?

お待たせ しました

シュージンと白鳥が一緒にやってくる姿を見て、すぐさま自体を理解できる服部はすごい。自分だったら、「そういう ことか…… 2 人はいつから付き合っ(以下略)」

服部が言うように、『恋太』の打合せ中はサイコーがいてもムダになります。その時間をネームにあてたほうが良い。有効な時間の使い方だと言えますよね。

ただ、それなら『PCP』の打合せだけをして帰っても、同じことなのでは? わずかな時間を確保することのメリットよりも、この場にサイコーが参加しないことのデメリットのほうが、はるかに大きいと思います。

こうなると、『PCP』はシュージン(だけ)の作品──という感じがしてしまう……。

瀬戸際なんです

さらには、『PCP』の打合せ中に白鳥がいることも、意味が分からない。これはもしかしたら、「シリアスな笑い」の場面なのではないか……。

もう完全に、シュージンのわがままですね。

たしかに、すでに連載が軌道に乗っている『PCP』よりも、連載になるか ならないか不明な『恋太』のほうが、緊急度は上です。亜城木の 2 人はもちろん、服部はとくに、連載を立ち上げる大変さは熟知している。

ただ──、シュージンの言うことをすべて実行するだけなら、亜城木夢叶の仕事場で服部に会えばいい。サイコーとシュージン・シュージンと白鳥が、順番に打ち合わせするだけです。

服部は「やる気」が大好物だから、うっかりとシュージンに丸め込まれましたね。なるほど、岩瀬もこの手で攻めていたのか! やる気満々の衣装でしたよね……(ごくり……)(てか、何を?)。

アドバイス無しだと キツイぞ

このシーンに張り詰めた空気が──重い。

サイコーの言っていることは正しいのですが、どうもトゲがあります。いまの状況を招いたのは服部のせいじゃないか──とも聞こえる。

でもたぶん、それは違う。

サイコーがここで注意したいことは、「服部のせいで、シュージンが『恋太』に肩入れしすぎていること」ではありません。こうなることは充分に読めたはずなのに、いまさら服部があれこれ心配していることに疑問を投げかけているのです。──そう思いたい。

飯 食って きたから

珍しく、シュージンとカヤが口げんかをしている。お互いに手は出していないので、まだマシなように見えるけれど──、口から出る言葉は、刃物よりも深く胸に刺さります。

今回の話は絶妙で、全員が正しいことを言っている。

褒められた態度ではないけれど、シュージンが『恋太』に力を入れるのは、将来を期待する白鳥のためです。サイコーも『恋太』の原作を勧めてくれた。そして、シュージンの(手厚すぎる)好意を白鳥が受け入れるのも、これまた当然のことです。

できる限り読み切りは一人で描く──と言ったのは、サイコー自身でした。彼がネームに追われる日々なのは、ほかの(一人で原作と作画をしている)マンガ家と同じでしょう。

それぞれの状況を踏まえた上で、カヤがシュージンの行動を責めてサイコーを心配することも、妻として友人として、当然の気持ちです。

誰も何も間違っていないけれど、何もかも良くない。

[2] このページの一番上へ戻る