『バクマン。』 133 ページ 「励みと想い」 (週刊少年ジャンプ 2011 年 25 号)
シュージンは、食事の途中で席を立つことが多すぎます。せっかく作った料理が台なしになるし、カヤは独りで ご飯を食べることになる。今回も、そのような場面が出てきました。
食事をする数十分間を削ってまで、原作を書く時間を取る意味があるのかな──と思ってしまう。もちろん、「切羽詰まった感じを出すための演出」なのは分かっているけれど、カヤが かわいそうです。
そこで、「※原作を仕上げたあと、シュージンはカヤとイチャイチャ(はぁと)しながら ご飯を食べました」──と脳内で補完しておきましょう。
もう 書きたくない
あきらかに自分の作品をマネした犯罪行為が報道されれば、誰でもショックを受けます。──中には喜ぶ作者もいるとは思うけれど、シュージンは そんな性格じゃない。
編集部の人間は、こういう時には何もできないでしょうね。万が一(よりは高い確率で)休載になった時のことを考えるくらいです。
シュージンが自分自身の力で立ち直るしかありません。
近くにいる人にとっても、かなりつらい状態です。かける声がない点では、編集者と変わらない──。
1 人に させてくれ
元気づけるって いうより…
と思い詰めた表情をしながら、暗い部屋へ入っていくカヤを見て、「ダンナ様の元気を取り戻すために、奥さまができることと言えば……(ごくり……)」──と思った人はいませんか!? けしからんなぁ……。
結論を言えば、この場面でシュージンを止めることは、「不正解」だったわけです。どう考えても、1 日くらいは休ませたほうが、良い仕事ができそうに思える。
ところが、ここでムリにでも(たとえばカヤ得意の空手で)シュージンに休んでもらったら、せっかく燃えた気持ちも冷えて、中途半端な原作になったかもしれません。
──他人を励ますことは、とても むずかしい!
2 人で亜城木夢叶なんだ
苦しんでいる人を、どうやって助けたら良いのか。サイコーが言うように、ただ「頑張れ」 なんて 無責任過ぎる
。その言葉には、相手を励ます気持ちよりも、「励ましたこと」による自己満足が多く含まれている場合もあります。
──どうもこの話を考えると、大震災のことを思い出しますね。大場つぐみさんも、すこしは意識したに違いない。
下のような記事を以前に書いたけれど、自分にできることを しましょう
なんて、軽々しく言えることでは ありませんね。それでも、何かと自粛を考えるよりは、自分で考えて行動して欲しかった。
東北地方太平洋沖地震 – 自粛するよりも募金しよう : 亜細亜ノ蛾
電話に 出ることが できません
サイコーから電話が かかってきましたが、カヤは出ません。それなのに、カヤはサイコーに電話をかけ直しています。この場面は、すこし不思議な気がしますよね。
たぶん、シュージンが部屋から出て来て電話を取るのを、カヤは待っていたのでしょう。それにしては「シュージンが入った部屋のほうを見る」という説明的な動作がないし、暗い背景になるから、謎のコマになっている。
もう一つの理由として、「シュージンの携帯電話を、カヤは触らないようにしている」と思いました。よっぽどの緊急時以外は、家族と言えども他人の携帯電話を操作しないのは当たり前だからです。
もう何もできない…
亜城木の 2 人は、もっとカヤと話すべきだと思う。以前から何度もそう書いています。彼女が持っている「普通の感覚」は、サイコーとシュージンの盲点になっている。
このページでは、カヤの言葉を聞いて、初めてサイコーは原作のヒントをつかみました。彼女と話さなかったら、ずっと気がつかなかったでしょう。
結果だけを見れば、すでにシュージンは答えを見つけていました。しかし、シュージンとカヤが、いまよりも話し合っていれば、さらに早く良いアイデアが出たのではないか──。どうしても、自分はそう思ってしまう。
──たぶん、ただたんに、自分はカヤが好きなだけでしょうね。彼女の涙は見たくない。女の涙は、うそ泣きのために取っておきましょう。