『バクマン。』 150 ページ 「我儘と贔屓」 (週刊少年ジャンプ 2011 年 44 号)

ねぶた
(もしかして彼が──次作のダーク・ヒーロー!?)

今回の感想を書く範囲で、佐々木編集長は 2 回も「懐かしい再会」を果たしています。いつまでも変わらない人物と、変わらない風景が、それぞれ出迎えてくれました。

しかし、もう二度と会えない人もいる──。

人は、どうして「いなくなる」のでしょうかね。個人的には、自分が生まれてから深く関わってきた人は全員、自分よりも先に「旅だって」欲しくないと思う。

そんなワガママ、ムリですか? →神様

──などと祈っている自分は、たばこは吸わないし酒は控えめで、めっちゃ健康に気づかっている。あと 500 年は生きたいな──と思っていたり。ムリ? →神様

今月いっぱいって ことになった

ちなみに僕は 班長になる──という説明は適切だし、タイミングも悪くはありません。でも、雄二郎が言うと笑えてきます。シレッと言っている感じと、妙に姿勢のいい編集長がポイントですね。

このマンガが『SKET DANCE』だったら、「自慢かっ!」とツッコミが入るでしょう。雄二郎も雄二郎で、すべてのセリフの語尾に「ちなみに──」と入れて、「もうええわ!!」と再度ツッコまれるパターンです。


新妻エイジは、昔から変わっていませんね。

担当者と編集長を床に座らせて、段ボールと板で作った机に紙コップに飲み物を置いて、自分は背中を向けてイスに座る──。この上なく失礼ながら、彼なりの「おもてなし」なのだな──とエイジなら許せてしまう。

それに、実家から送られてきたリンゴの段ボールを使っているはずです。エイジにとっては、何よりも大切──いや、マンガの次くらいには大事なものかもしれません。──頭突きで変形していますケド。

青森まで 来てもらった時は

今から 8 年以上前──、佐々木編集長とアフロが実家を訪れた際にも、エイジは机に向かってマンガを描いていましたね。雑誌の責任者に対して、とんでもない「権限」を初対面で叩きつけたりして──。

あれで、エイジは本当に嬉しかったのか……。

エイジに対して「天才像」を勝手に作りだして、取っつきにくい印象を持つ人も多いと思う。しかし、感情を表現する方法が変わっているだけで、ちゃんとした会話ができる人物です。

むしろ、サイコーのほうが話しにくいと思う。


世界一のマンガを目指して以来、エイジは地球儀に落書きをしています。何度も書いているのに、地球儀が真新しく見えて、不思議でした。答えはシンプルで、「地球儀は いくつもある」。

その落書きを無言で眺める佐々木が、「シリアスな笑い」を体現していて面白かった。彼のことだから、本当にエイジが世界一のマンガ家になるのかも──と考えていそうです。

わざわざ 挨拶に来るって

サイコーとシュージンは、第三者から見ると、天下の「ジャンプ」を物ともせずに好き勝手やっている。ところが、実際の 2 人は小心者というか、普通に「上を立てる」コンビなんですよね。

たぶん、多くの著名人も同じなのだろうなぁ……。

自分たちが やってきたことを思い出して、2 人は素直に反省しています。この素直さがあるから、成長できる。

過去の「悪行」を「武勇伝」として語るようになったり、それを「格好いい」と思ったりしたら、おしまいです。

いつも お世話に なってます

佐々木編集長は、感慨無量といった表情をしている。目の輝きが、20 歳ほど若返っています。おそらく、目に映っている風景は 2015 年の現在も、頭の中では「当時」の映像が流れているのでしょう。

川口たろうの担当が佐々木だった時代を──。

戦力外通知を言い渡したこともあって、佐々木にとっての川口は、けっして良い思い出ばかりではないはずです。それでも、一緒に戦った「戦友」のことは忘れられない。

真城くんが マンガ家に なった時は

川口たろうは、サイコーがマンガ家になることを、(佐々木と会話できた機会からすると)かなり早い段階で考えていました。一緒に同じ誌上で戦える日を、ひとりで楽しみに待っていたのでしょうね。

その日は、永遠に来ない。なんて悲しいことだろう。

本当の意味で人が「なくなる」のは、誰からも忘れられた時だ──という話をよく聞きます。そう考えると、川口たろう──真城信弘は「生きている」。

いまのサイコーがあるのは、シュージンや服部を始めとする、さまざまな人たちの支えです。そしてなによりも、川口たろうの影響が大きい。

『バクマン。』は、川口たろうという「不在の主人公」が中心の物語かもしれませんね。

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