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『眠れる美女』 川端康成・著

2010-07-02_134949_Canon EOS 7D_28-75mm 目覚めてくれるからこそ──愛でられる

この川端康成氏が世界へ向かって挑発する耽美な短編小説集は大好きで、寝る前に何度も拾い読みしています。美しい表現の文章に没頭していると──とても寝苦しい夜になる。

表題作の『眠れる美女』は、文字どおりに眠っている若い女性たちと、年老いた男性が一緒に眠る話です。なんだか ほのぼのとした童話のような印象ですよね。

──しかし、その場所は あやしい女主人が経営する(かどうかも不明な)宿で、何人も登場する女性たちは薬物によって眠らされている。しかも、おそらく全員が未成年で、裸の状態です。

おもしろそうでしょ?

世のラノベ作家は、身近なところでパクってバレてばかりいないで、この名作を下敷きにして自分を試せばいいのに──などと思ったりします。グズグズしているうちに森博嗣先生が発表してしまいましたね。

『少し変わった子あります』 森博嗣 - 有料と抽象の ご飯 | 亜細亜ノ蛾


同時に収録されている『片腕』も楽しい。こちらも題名の通り「女性の片腕」と男の話です。なんの前触れもなく、男が娘から片腕を借りる場面から物語は始まる。

──え?

そう、こちらは幻想小説といった感じの話ですね。設定だけを見れば こちらも絵本に描けそうなメルヘンだけれど、(そうか?)、全体的に狂気が満ちている。きわどい場面は皆無ですが、なんだかエロティックです。


もう一作の『散りぬるを』は、森博嗣先生が「ミステリィ作品」として紹介していた(『MORI LOG ACADEMY』だったかな?)ので興味を持ちました。

ある殺人犯の内面に迫る作品で、殺人事件を犯した過程の記録と犯人の精神鑑定が繰り返し出てきます。

──なるほど、たしかにミステリィ的な一面もありますが、幻想的な印象が濃いですね。犯人と同化するような点では、『羊たちの沈黙』の前作・『レッド・ドラゴン』と似ています。

以上の 3 作品について感想を書いていきます!

眠れる美女

「それじゃ、年寄りに出来る、いちばんの悪事はなんだろう。」

「この家には、悪はありません。」

川端康成と言えば、やはり『伊豆の踊子』を思い出す人が多いでしょうね。──それしか著作を知らなかったり、そもそも中身は知らなかったり……。

『伊豆の踊子』 川端康成 - 自分自身の道を迷う踊子と「私」 | 亜細亜ノ蛾

踊子』の影響で、なんとなく「清らかな純文学の世界に生きた作家」というイメージの強い人ですが、同じくらい有名な『雪国』は「愛人を囲う男の話」ですからね! 「こっち側」の人なのです(?)。

本作・『眠れる美女』では、もうすこし踏み込んだ世界──正義や善から離れた宇宙を描かれていました。話の舞台は せまい寝室だけですが、そこには無限の広さがある。


主人公である江口老人(「エロ老人」ではない)の お相手は、おはようから おやすみまで眠っている女の子です。まったく会話がない。

これで、どうやって話を作るのだろう?

この小説をもっと「実用的」に するのであれば、微に入り細に入りアレに入り、女性の描写(ごくり……)に大半を費やすでしょう。自分だって そうする。しかし──、

そんな安直さでは、ノーベル文学賞は取れません。

江口老人が宿(の名前は「眠れる美女」)を訪れるたびに女性は変わる。そのつど、彼は昔のことを思い出すのです。昔の女との思い出を──。

──無抵抗な裸体の女性が隣で眠っているのに、ひとりで昔話に花を咲かせるというのも、老人らしいと言えば らしいですね。江口は、自分では「まだ枯れてはいない」なんて言っていますが……。

その思い出話は、男だったら一度は経験がある程度の「悪さ」が大半で、なんとも微笑ましい。ところが なかには、14 さ──若い娼婦が登場したりして、ちょっと現代日本では考えられない(こともない?)ような危うさです。


さて、だんだんと「悪」への道に興味が行く江口老人は、はたして少女との「一線を越える」のか? ──ここが焦点になってきます。

そして、最後の最後で、ついに その一線を──というところで、「ハッキリとした あいまいさ」を残して物語は幕を閉じました。

この終わり方がゾクッとして素晴らしい!

このあとの江口や、宿の女や、少女たちが どうなったのか──を想像する楽しみが味わえます。振り返ってみると、宿のことも ほとんど分からないんですよね。だが それがいい!

もしも「眠れる美女」という宿があったら──、人生の終わりまでには眠りに行きたいです。できれば、今すぐにでも──。

老人どもは羞恥を感じることもなく、自尊心を傷つけられることもない。まったく自由に悔い、自由にかなしめる。してみれば「眠れる美女」は仏のようなものではないか。そして生き身である。

片腕

「自分……? 自分てなんだ。自分はどこにあるの?」

「自分は遠くにあるの。」

とつぜん「片腕」を貸してくれる娘にも驚きますが、「ありがとう」と素直に受け取る男も怖い。そうか、義手なのかな──と思わせる間もなく、生々しい描写が襲いかかってきます。

とはいえ、ホラーでは ありませんね。

腕を貸す時に、娘が腕に話しかける場面は かわいらしい。まるで自分自身のような様子で大切にしています(ん?)。

また、たしかに「若い女の子の体」を借りることは浮き浮きしますね(──あ、不適切な発言?)。「娘の腕」を持ち帰る時に、誰かに見られないようにコートで隠す心理も理解できてドキドキする。


ある意味では「恋愛小説」かもしれません。

ちょっと変わった女の子の趣味に付き合う男の話──と見せかけて、主人公の「私」は、どうやら「腕フェチ」らしいのです。腕の付け根にある ぷっくりと円みが好みとのこと。

眠れる美女』の江口老人とは大違いで、「私」は思い出に ふけることもなく、目の前の腕を愛でることに専念しています。うん、それで良い!

主人公の好みを知った上で、そして好意から、娘は腕を渡したのだと思いました。「男に体を預ける」にしても、かなりの信頼感がないと できない行為でしょう。──そういう問題でもない?


眠れる』と同様に「物言わぬ娘」との話ではなく、「しゃべる腕」という点が奇妙で愉快です。もちろん、実際に体験したら怖いけれど……。

腕の語る言葉が かなり幼い点も興味深い。娘の全人格ではなく ごく一部だからでしょうか。

──川端康成という作家は、女性蔑視の視点を持った作家だと個人的には思う。だから、この腕のような「足りない」存在として女性を描きたかったのでは──と想像しました。


この作品も終わり方が急流で、「このあと」を妄想したくなります。うーん、やっぱり「一線」は超えてはいけませんね!

でも、もしも女の人から腕を借りられたら──「私」のように試したくなるよなぁ……。

「なにの幻をみせてくれたかったの?」

「いいえ。あたしは幻を消しに来ているのよ。」

「過ぎた日の幻をね、あこがれやかなしみの……。」

散りぬるを

「しかし、過去ってものは、いったい失われたり、消え去ったりするものかしら。」

「ところが、そいつを人工的に保存する工夫を覚えだした時から、人間の不幸がはじまったような気もするな。」

そう言えば 3 作品に共通する点は、「幻想的」うんぬんよりも、「気味の悪い小説」のほうが正解でしょう。死んだように眠る女も、しゃべる腕も、殺人犯の心理と同じくらいに不気味ですね。

本作品に登場する犯人は、すっかり犯行を認めているけれど、もう何もかもが不思議な点だらけです。子どもだって もうすこし脈絡のある行動をするでしょう。

このあたりがミステリィ要素──つまりは、誰かをかばっていたり、「大どんでん返し」が待っているのでは、と考えさせる点ですね。どんな仕掛けがあるのか・ないのかは、読んでからの お楽しみです。


そして、もっと恐ろしい存在がいる。

散りぬるを』の主人公は小説家で、知人の女性を殺された怒りと虚しさからか、不可解な犯行を読み解こうとする──ような始まり方をするのですが、どうも そんな正義感からじゃない。

主人公の心理はギリギリ追えるのですが、彼の考えには もっと根深い悪の影が見える。

なにしろ小説家を志望する女性に、下に引用した言葉をかけるような男です。もしかしたら彼が──と見てしまいますね。

──彼の真実と事件の真相は、読者の胸の内にある。

文学なんかは、もっと人生でひどいめにあってから、はじめたがいいですよ。

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