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探偵伯爵と僕』 (His name is Earl)

Untitled 物や思い出は──なくならない

子どもが語り、子どもが読むべき本です!

本書は講談社の「ミステリーランド」シリーズの 1 冊で、子どもの読者に向けたミステリィ小説ですね。多くの作家が作品を書き下ろしています。

講談社BOOK倶楽部:ミステリーランド 講談社BOOK倶楽部:ミステリーランド

著者の森博嗣先生は、いつも「子どもには一流の物を見せるべきだ」と主張されている。本作品も一級品の切れ味で読者に迫ります。

多くの人が児童書だと思っている『星の王子さま』のことを、「この本に書いてあることは子供には当たり前のことで、つまらない。大人が語り大人が読むべき本でしょう」(『森博嗣のミステリィ工作室』 p.128)とも書かれていました。

一見ひねくれているようでいて、いわば「子どものように純粋」な作者だから、本作品に描かれている子どもの視点も新鮮に感じます。たぶん、小学生くらいの子が読むと「そうそう!」と何度も うなずくでしょう。

ミステリィ小説だけあって、殺人事件が出てきます。だからといって「子どもみたいに」恐がらずに読んでください。かつて子どもだったあなたと少年少女のための物語ですからね。

現実の苦さ

ZOKU』シリーズで森先生は、「悪と正義の戦いを現実的に描くと滑稽だ」という新しい娯楽性を見せてくれました。この発想を深めていくと、戦争や宗教に行き着くでしょう。

探偵伯爵と僕』では、さらに引っ繰り返しています。

ちょっとダーティで自分を「アール」と名乗る「探偵伯爵」は、子どもが あこがれそうな存在なのに、リアルに描くと──不思議と物悲しくなる。

「探偵伯爵」や「僕」・秘書の「チャフラフスカさん」は、外見的な特徴だけを取り出せば、まるで少年マンガの登場人物みたいです。ところが、なぜ「探偵伯爵」になったのか──。その理由は、大人にも直視しがたい。

だからこそ、子ども向けのマンガにもして欲しいです。

理屈屋の「僕」

主人公の「僕」こと「馬場新田」(ばば あらた)くんも良いキャラでした! 分かる人には「いかにも森博嗣している」で十二分に伝わるはずです。

子どもは誰でも大人に質問をしたがるけれど、新田くんは確信を突きすぎ・的を射すぎていて、こちらの胸まで痛くなる。この子と会話を 3 分間も続けたら、自分が とてつもなく汚れている──と絶望しそう。

探偵伯爵とチャフラさんは、普通に「僕」と接していていて すごい。──素直に そう感動しました。

ミステリィとしての質

じつは、単純なミステリィや探偵小説として読むと「犯人は誰だ?」な要素が薄い。その代わりに、クイズ的な謎解きで楽しませてくれます。とくにトランプの謎は、最後のページ付近で二重の種明かしが あって驚きました。

そして、「人間は、なぜ人間を殺すのか?」という「V シリーズ」で描き続けた問題も盛り込まれている。

この問題を考えることこそミステリィの本質です。殺人の意味を問わなければ、ミステリィは ただのパズルですからね。

──『衣裳戸棚の女』という優れた例外もあるけれど。

空前絶後のトリック『衣裳戸棚の女』 | 亜細亜ノ蛾


そして、さらに一歩踏み込んだ思考も明かされました。ここで探偵伯爵が語っている相手は「僕」──つまり子どもであることに注目です。

今牢屋に入っている犯人を殺すか殺さないか、なんてことは問題じゃない。それよりももっと大事なことは、これから、それと同じようなことをするかもしれない人間に注意を払うことだ。

おわりに

森先生は『夢・出逢い・魔性』の作者解説で、下のように書かれています(昨年・2011 年に出版された講談社文庫版の『100人の森博嗣 100 MORI Hiroshiesにも収録されているはず)

日本のミステリィでは、誰が決めたのか暗黙の約束事が存在する。それは、「地の文では真実に反することを書いてはいけない」というルールだ。(……)

登場人物の台詞ならば問題ないが、地の文ではダメなのである。変なルールだとは思うけれど、一応、森もこのルールを遵守している。

この「ロボット工学三原則」的なルールの盲点を突いたトリックが、最後の最後になって出てきました。

ところが、読解力と理解力がハムスタ並に残念──もとい、子どものように純真な心を持つ自分には、何のことやら分かりません。「ふーん」と読み流すのであった。。

そんなことよりも、アンガールズ・田中卓志氏の解説のほうが素晴らしい! 彼もまた、子ども心を忘れていない一人ですね。

──そして何げなく見かけたウェブの書評で、ようやく「事件の真相」に気がつきました。なるほど、最後の数行によって「事件の意味」自体が変わってくるのか……。

「このトリックは、子どもには分からないのでは?」と自分には感じてしまいました。それこそが、「自分の作った常識」に縛られた大人の考えでしょう。たぶん、「馬場新田くん」くらいの年齢なら理解できるはず。

あ、そう言えば、「僕」や友だちの年齢は明記されていませんよね。文体や状況から「小学生くらいだろう」と判断しましたが、それすら「僕」に──つまりは作者に誘導されている

誰も気づかないトリックが、まだありそうな──。

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