• 更新:
  • 投稿:
  • カテゴリィ:

『暗殺教室』 第 10 話 「プロの時間」

coffee lover たとえ異邦人とでも──仲良くできるはず

今週号はセンタ・カラーを飾りました

(おそらく)色鉛筆で描かれた潮田 渚が、自然の緑に溶け込んでいて目に心地好い。内容と合っているはずなのに、「こんなマンガだったっけ?」と思ってしまうところも楽しかった。

「イリーナ・イェラビッチが殺せんせーの触手でヌルヌルと【超・自粛】されているコピック塗りの絵」──という安直な路線にしなかったところが、いかにも松井優征先生らしいですね!(訳: 次は お願いします!)

話の内容も おもしろかった!

マンガとして楽しめるだけではなく、「日本よ、これが教育だ。」と言われたような歯ごたえです。暗殺と触手とビッチさえ なかったら、学級文庫に指定できますね(作品が成り立たない)。

プロのヤリ方

前回の感想で「イリーナは、完全にドロンジョ様の立ち位置」と書きました。てっきり、毎回毎回 手を替え品を替えて殺せんせーに挑んでは「大人の手入れ」(ごくり……)をされる──のかと だまされましたね!

暗殺教室 第 9 話 「大人の時間」 山を張って御里が知れる | 亜細亜ノ蛾

心から反省して生徒に謝るイリーナは かわいらしかった! イリーナがヘタに先生を気取ろうとするのではなく、自分の経験を生かして「生きた英会話」を教える姿も美しい。

外国人との恋愛を前提とする英語の先生──という設定も、メチャクチャなようでいて効果的です。これほど明確な目的のために英語を習う人も教える人も、日本には少数なのでは?

人を生かす

物語の流れを殺せんせーに すべて任せるのではなく、生徒たちの反抗をきっかけにしたり、烏間にイリーナを指導させるところも見事でした。

しかも、渚や茅野・カルマといった主役級の生徒ではなく、どちらかと言えば「モブい生徒」を生かしている。

前作・『魔人探偵脳噛ネウロ』では、物語の起点は桂木 弥子で、最後は解決する──という話が大半でした。『暗殺教室』とは大違いですね。

これは物語の傾向が違うだけで、どちらが優れているという問題ではない。主人公の視点だけで話を進めるか、複数人で話を作るか、という差です。どちらも描けるように作者が成長した──と見て間違いありません。

誤用を互用

イリーナは役不足」という言葉を誤用しています。

役不足とは - Wiktionary日本語版(日本語カテゴリ) Weblio辞書

──ところが作者の あとがきによると、これは「確信犯」でした(←これも誤用)。殺せんせーは地球を壊そうとしているし、作者は日本語を破壊しようとしている!

「役不足」の間違った方の意味を正しい意味で普及させたいです。面倒なので 〈優征〉

以前に『めだかボックス』で、この「役不足」を正しい意味で使うネタがありました。──こっ、これは松井優征先生から西尾維新先生へ向けた挑戦ですね! 分かりまs

「小説家よ、これがマンガだ。」

おわりに

だんだんと E 組の生徒たちとビッチ先生が打ち解けていく──なかで、ただひとり・茅野だけ脱巨乳 !!」のプラカードを手に戦うのでした。──そんな話だっけ!?


受験生としても暗殺者としても生徒たちを鍛える。──そんな殺せんせーの目的は、烏間には分からない。自分なりに殺せんせーがE 組の教師になった 理由を考えてみました。

地球の滅亡を目論む敵生徒を戦わせるのでは?

「殺せんせー」に対して「生(いか)せんせー」ということで、戦う相手はイカ型の生命体だと想像しましたが──、それすらアリガチに感じる。

ズバリ! 第 1 話の回想シーンに出てきた あの女性こそラスボスと見ました! 「彼女を倒す暗殺者を育てるように、彼女が殺せんせーに依頼した」というクレイジィさは、作者に よく似合う。

それこそがオトナの愛──なのかなぁ……。

[2] このページの一番上へ戻る