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アメリカン・スナイパー』 ("American Sniper")

Navy Seal V2 戦場に忘れてきた──心と愛

運命の皮肉に心を引き裂かれた男伝記映画です!
戦場での戦闘・銃撃戦が描かれる「戦争映画」であり、「伝説」と呼ばれる「英雄」が登場する。砂煙が舞い重苦しく、張り詰めた空気まで伝わってくるような戦闘シーンがリアルでした。
しかし、クリント・イーストウッド監督が見せる物語は、家族を守りたかった素朴な男の姿です。敵からは「悪魔」と称される男が、家庭では不器用で善良な顔しか見せません。
ある時までは──。

家庭的な超人

ブラッドリー・クーパーの演技が素晴らしかった!
「レジェンド」ことクリス・カイルを等身大で演じています。ためらいなく敵兵に照準を合わせて引き金を引き、初めて授かった子どもに満面の笑みを見せる。どの姿も自然で、抑えた演技が光っています。


心境の変化も見事に見せていました。
厳格(というよりは頑固)な父親から「番犬」であることを強いられたクリスは、戦場で心をむしばまれていく。文字どおりの番犬(飼い犬)に手をかけようとする場面や病院での一件は、カイルの凶暴な一面が見えて恐かった。

でも、一番 恐ろしかったのは、クリス自身でしょうね。
妻に指摘されるまでは、自分が精神的に追い詰められていることも気付かなかった。「番犬」には、「狼」から「羊」を守ることしか頭にない。自身が「狼」と化していることも知らずに……。

夢うつつの初戦

親子の命を奪う場面から物語は始まります。
あとあと回想シーンだと分かるため、「残酷な仕事に心を痛めて引退した契機となる『最後の射撃』だな」と思っていました。ところが、なんと この民間人(?)が最初に遭遇した「敵」だったのです。

不思議と幻想的で、クリスの幻覚かと勘違いしました。
なぜなら、友軍の戦車や兵士の数十メートル前に親子が居るのに、司令官と思われる男から「見えない」と連絡を受けるからです。歩兵たちも戦車も、目の前の民間人を警戒することなく移動している。
つまりは、「カイルにしか仲間を救えない」という追い詰められた状況でした。そんな責任重大な任務が初回に来るとは──、現実は いつも残酷です。

狙撃手が覗く世界

その後の任務も過酷でした。
何時間も同じ姿勢で銃を構えるたり、誰が敵か分からない状況が続いたり、精神力と体力を試される状況が何度も現われます。しかし、最初の狙撃に比べたら、それすら楽に思えてしまう。

狙撃手は、拡大されたスコープを覗いて敵を撃つ。
標的以外が切り取られた世界で、相手の生死が「目の前」で見えてしまう。仲間の生死に関わるため、確実に相手を倒したかどうかの確認は必須です。
兵士の中で もっとも敵から離れていながら、もっとも敵の命に近づいている。それがスナイパです。

原作本

映画を見終わったあとで、原作の存在を知りました。
現実世界のクリス・カイルの口述を筆記した史実が原作です。邦題・『ネイビー・シールズ最強の狙撃手』として日本でも出版されていて、映画化を受けて再出版されました。
原作では、クリスの心情が くわしく書かれているそうです。もちろん、映画よりも さらにカイル側・アメリカ側に偏った視点になっている はずですが、それはそれで興味深い。

寡黙な五輪選手

敵側の狙撃手・ムスタファが格好良かった!
仲間からの連絡を携帯電話で受けて、ナイキのスニーカで屋根を飛び回る。そんな近代的な装備を使いこなす一方で、ムスタファ愛用のスナイパ・ライフルは使い込まれた旧式(ドラグノフ狙撃銃?)に見えました。
そんなギャップも魅力的で、まったくの無言なのに凄みの ある演技を見せたサミー・シークに拍手を贈りたい!


虐殺者」(ミド・ハマダ)が完全な悪役として描かれる一方で、ムスタファには「向う側の正義」を感じました。
もしもムスタファを「たんなる敵」として描くのであれば、「ムスタファの住み家」を出す必要は ありません。そもそも、原作ではムスタファの記述は一行だけ(架空の人物?)らしく、「あの 2 人」は映画で追加されたそうです。
彼を主役にして映画が作れそうですね(アメリカでは あと 50 年はムリそうだけれど)。

(とはいえ、ムスタファが売ったとされる「アメリカ兵をわざと痛めつけてから射殺する」悪趣味なビデオが出てくるんだよなぁ……。生活のために仕方なく売ったのか、あるいは別人が撮ったのかな)

一瞬の勝利

ムスタファの狙撃直後、クリスの表情が印象的です。
「2km 近い距離でヘッド・ショット(頭部を狙撃)!」「戦友のカタキを討てたぞ!」「宿敵を倒した!」──といった高揚感による快楽なんて、一瞬で消え去ったでしょう。
あとに残った感情は──ひたすら後悔でした。たった一発の銃声でも、敵に居場所を知らせる。すぐに仲間と一緒に包囲されてしまい、絶体絶命です。

クリスは瞬間的に家族の顔を思い浮かべたに違いない。
あとで妻に向かって軍人を辞めると初めて宣言していますが、すでに射撃の直後に決めていたのでしょう。それくらい、「今まで何と戦っていたのか」を自問するような表情に見えます。

妻であり母

タヤ・カイルの存在も大きかった。
演じているシエナ・ミラーは、タヤや子どもたち本人に会って、くわしい話を聞いたそうです。演技指導というわけでは ないけれど、もっと大切な「魂」のようなモノを受け継いだと思う。


携帯電話は、戦場と日常を時差なく結びつける
友軍による空爆が迫るなかで、クリスからの電話をタヤが受ける場面は泣けました。つくづく、携帯電話は便利なようで残酷な道具です。死を覚悟する夫の声を聞きながら、妻には何もできない……。

女優のシエナは、実際に電話で銃声を聞いていました。
──もちろん、映画用に作られた効果音です。しかし、演技に入っている役者には実銃の音に聞こえただろうし、銃社会では本当に起こりうる状況でもある。その臨場感は、当分の間は忘れられないでしょうね。

戦士たちの末路

エンディングの直前の「たった一行」に絶句です……。
九死に一生を得て戦地から帰還し、婚約者にも振られなかった戦友の「そのあと」など、やりきれない皮肉が あふれている。「事実は小説よりも奇なり」と言いたくなります。
まるで、戦争に関わった者に罪滅ぼしを求めているような、死神が取りついているかのような、避けがたい「大きな力」の気配がする。
そして、まだ戦争は終わっていない──。

おわりに

自分はアメリカ人でも戦争体験者でも ありません。
クリスが軍に志願したキッカケの爆破事件や「911」を知らない自分には、カイルの愛国心も戦争も理解しきれない。「神・国・家族」という優先順位も受け入れられません。
そういう意味では、本作品を完全に分かったことには ならないのでは……?

とはいえ、本国・アメリカでの反応も疑問です。
RPG-7を拾い上げた子供を射殺するか迷うシーンでは「撃て!」の大合唱が起きたり、「スナイパーは背後から人を撃つ臆病者だ」と(的外れな)非難したりする彼らは、はたして本作品を正しく受け止めているのだろうか。

むしろ、非・参戦者のほうが正しい目で見られるかも。
われわれのような戦争を体験していない人のほうが、「政治的な価値観は反映されていない」と語るクリント・イーストウッド監督の意図どおりに本作品を味わえるでしょう。
アメリカン・スナイパー』は、ドキュメンタリィの要素を持ちながらも、あくまでも映画です。つまりは芸術作品でもある。ひとりの男の半生──いや一生を描いた物語を偏見なく眺めたい。

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