「泣きっ面に蜂」という諺(ことわざ)のダイナミズム

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「泣きっ面に蜂」

週末なので手抜き──もとい、軽めの話題を書こう! のコーナ。第(うーん忘れた)回目。

今回は、「泣きっ面に蜂」のダイナミズムに ついて。

(以下、ろくに調べずに半分酔いながら書いているので、間違いがあるかも)

いらすとや「怖い蜂のイラスト」

「泣く子はいねがァー!」とは言ってない

似たような諺

「泣きっ面に蜂」と聞くと、脊髄反射的に「踏んだり蹴ったり」を思い出す。

──が、これも、諺(ことわざ)じゃなかったっけ? 諺の意味を聞いて諺で返すのは、「質問を質問で返す」てきに、頭良くなくない? みたいな。

ということで、意味は「災難が立て続けに起こること」だろう。

(一応、ゆとりある教育を受けた方々向けに説明すると、「泣いているときに蜂に刺された」というところから来ている諺です)

それにしても、「泣きっ面」と「蜂」という、まったく関係のない両者が隣接していることに、この諺の特異性を感じる。

それに比べ、「踏んだり蹴ったり」って──。それ、どっちも「脚を使った攻撃」じゃん。「踏んだりコロニー落とし」くらいのコントラストを付けて欲しい。そもそも、「踏まれたり蹴られたり」じゃないのか、という疑問もある。

「一難去ってまた一難」は、もっと酷い。作者出てこい、と言いたくなる手抜き諺だ。というか、それ、単なる「状況説明」じゃないスか。「長男去ってまた次男」の ほうが、ドラマティックでミステリアスだ。

(数例しか思い出せなかったが)これだけでも、同じような意味合いの諺の中で「泣きっ面に蜂」が「キング・オブ・不幸」と呼ぶに相応しいことが わかるだろう。

同じようなものを並べる

さらに(検索せずに)諺について考えてみると、「同じようなものを並べた諺」が多いことに気がつく。諺界の「どんぐりの背比べ」「十把一絡げ」な諺だ。

「五十歩百歩」がその代表選手と言えるだろう。違いは歩数だけ、という謙虚さ。「泣きっ面に蜂」を見習って、「五十歩背泳ぎ」くらいの跳躍を見せて欲しい。

「虻蜂取らず」というのも、じつに詰まらない。似たような虫なんだから、「二兎を追う者は一兎をも得ず」のように、「蜂々取らず」で いいではないか。それに、都会っ子には両者の違いは わからないだろう(田舎モンのオサーン発想)。──そもそも「虻」って読める? と意地悪を言いたくなる(オレも単体では読めね)。

(これまた数例しか諺が出てこなかったが、それは次回に取っておこう)

科学的な理由?

ちょっと思いついたのが、ひょっとすると、

「ヒトの涙に含まれるナントカ成分が蜂のカントカ神経を刺激して引き寄せる」

のような、科学的に説明できる理由があって「泣きっ面に蜂」という、奇妙な状況が生み出されたのではないか?

──と妄想してみるが、弱い感じ。そんな話は聞いたことがないし。

日本のワビサビ

「泣きっ面に蜂」には躍動感・特異性と共に、日本らしい侘び・寂びを感じさせる。

尾崎 放哉の「咳をしてもひとり」のように、短いながらもその情景が目に浮かぶのが素晴らしい。

「風邪を引いて遅刻したが、ちゃんとやってきた劇団ひとり」

──の姿が見えるようではないか!(シーン)。

それはそれとして──。

「泣きっ面に蜂」は、松尾 芭蕉の名句、「静かさや 岩にしみいる 蝉の声」に通ずる物がある。

この句を学校で習ったとき、テスト用紙には、

「蝉の声が辺り一面でしている。ずっと聞いていると蝉の声が岩にしみこむようで、また、静かに感じられるのが面白い」

──的なことをでっち上げていたが、「蝉の声が静か? ねーよ www」と思っていた。この句の面白さが わかってきたのは、つい最近。俳句や詩が好きでもない子供に読ませるのは、十年早いよね。

実際、真夏の公園でボンヤリ散歩をしているときに、蝉の鳴き声(※)を聞いて この句を思い出し、

「──あ、本当に『静か』に感じる。芭蕉 GJ !」

とオモタ。無意識に聞き流していることに気がつくのが、俳人の凄さなんだろうな。

「泣きっ面に蜂」の作者も、その場面に出くわして「m9(^Д^) プギャー」するだけではなくて、諺として広めようと思ったのだろうか。

──というところまで考えると、面白い。

(※: 余談だけど、口で鳴く虫は存在しない らしい。羽や脚で「鳴いて」いる)

じつは自分ですた

──で、ここまで引っ張ってきて思い出したけど、じつは「泣きっ面に蜂」状態になったことがある。

順番的には「蜂に刺されて、泣いた」のだけれど、そのあとがツラい。

小学校一年生の頃、友達と遊んでいたら(その頃はトモダチが多かったんだぜ・泣)、蜂に刺された。かなり痛くてワンワン泣く自分(犬になったわけでは ないんだぜ)に対して、友達が取った行動とは──。

その頃の自分が知らなかったトリビア、「蜂に刺された時はアンモニア」を知っていた友達は、さっそくズボンを下ろし──

訳もわからず、蜂に刺された上に、友達に小便をかけられる asiamoth 少年。

──その後、「いいこと思いついた お前 俺のケt(ry」な道を歩まなかったのは、幸か不幸か。

まとめ

最後のほうで、自分の思い出と無理矢理に絡めてみたが、いかがでしょうか(って聞かれてもなー)。

「泣きっ面に蜂」のダイナミズムが、少しでも伝わったら幸い。

──まぁぶっちゃけ、書いている途中で「瓢箪から駒」とか「月とすっぽん」なども思い出したのだけど。