『夜は短し歩けよ乙女』
大切なおともだちから、小説をお借りしました。──そう、こんな(どんな?)自分にも、大事な大事なトモダチがいるんですね。自分でビックリです。
同じような事が一年ほど前にもあって、その時にも森見登美彦さんの本を借りました。
『有頂天家族』 森見登美彦 – タヌキ鍋すら恐れず面白く生きよ : 亜細亜ノ蛾
前に読んだ『有頂天家族』はジャンル分けがむずかしくて──うーん、「動物が主人公のドタバタ日常冒険活劇」、かな?(何だそりゃ)
『夜は──』は簡単で、「恋愛小説」と言って間違いではないでしょう。この作者のことですから、もちろん、ヒトスジナワではいきませんが……。
上で名前を出した 2 つの物語は、それぞれフンイキが異なります。ところが、読後のスッキリ感は同じでした。「世の中にはオモシロオカシイことがある──それを見つけに行こう!」と思ったのです。良い本を読むと、行動を起こしたくなる。
ああ、この本に出会えて良かった! 未読の方は、ぜひどうぞ。
食わず嫌いは老化の始まり
私は慌てて手を合わせ、「なむなむ!」とお祈りしました。これは、私が独自に開発した万能のお祈りで、絵本を読んでいた幼い頃から愛用しているのです。
『夜は短し歩けよ乙女』 p.89
自称・天狗が出てきて宙に浮いたり、ゴツゴウシュギがまかり通る世界観だったり、古本の神様(らしき人物)が出てきたり、と不思議な世界観です。
それよりなにより、かなり独特な文体が、次から次へと回転ずしのごとく流れてくる。
──そのあたりが目について鼻について、苦手意識を持つ人もいるでしょう。「ブンガクとはかくあるべし!」とカタクナに思い込む気持ちも、まぁ、分かります。
しかし、グッと鼻をつまんで飲み干せば、これこのとおり、オモチロイ!
そもそも、これくらいのお遊びが許せないのは、頭がかたくなっている証拠です。日本語も文学も、そんなに許容範囲は狭くありません。もっと、ココロもサイフも、広く開け放ちましょう!
ああ青春の日々
「学園祭とは青春の押し売り叩き売り、いわば青春闇市なり!」
『夜は短し歩けよ乙女』 p.146
全編を通して、甘ったるくて酸味が利いた(ときどきイカ臭いような)、「セイシュンのニオイ」がします。毎日、モヤモヤとした「雲の糸」で心をしめつけられるような、それがまた心地好いような──。
実際には、自分にこのような青春の思い出はありません。多くの読者も、同じでしょう。そこら中からダルマがコロコロと転がってくるような日常は、なかったはずです。
だがしかし! 本を読むという行為は、自分の半生を振り返ることではないのです。そんな感傷の道具ではない。本書を通して、「ああ、そんな日々があったら、楽しいだろうなぁ……」と思えばいいのです。それに、記憶などネツゾウすればいい(えー)。
あるいは、そんな青春のデキゴトは、これから見つけに行けばいいのです!
読んだ次の日から
「若人よ、自分にとっての幸せとは何か、それを問うことこそが前向きな悩み方だ。そしてそれをつねに問い続けるのさえ忘れなければ、人生は有意義なものになる」
『夜は短し歩けよ乙女』 p.21
そう、オモチロイことは、世の中にたくさんあるのです。この本を読んで、あらためて思い出しました。昔は、知っていたのに……。
これからもずっと、自分が楽しいと思うこと・面白いこと・シアワセ──などなどを見つけていきます。
わざわざカタクルシイ本を読まなくても、本書で目が覚めました。さあ、みなさんも、
「(自己啓発)書を捨てよ町に出よう」