『なるたる』 5~8 巻 鬼頭莫宏 – 天使と華と歯の生えたモノたち

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『なるたる』 – 作・画: 鬼頭莫宏

Vienna Natural History Museum - 95
(たしかに、歯が生えていたらコワイ──)

作品も中盤まで来ると、ラストにつながるような伏線がいろいろと張られるようになります。

とくに、鶴丸丈夫(つるまる たけお)と古賀のり夫(こが のりお)のキャラクタを掘り下げる場面が多い。何ということのない話でも、あとの展開につながってくるため、読んでいて気が抜けません。

そして、残酷な描写も増えてくる……。

偶数巻の悲劇」という言葉を、これから『なるたる』を読む人は頭の隅に置いておくといいかも。あ、これは余計なお世話(という名のネタバレ)だったか。

伏線いろいろ

一番ビックリした伏線は、援助交際の話(『なるたる (7)』 第 33 話「その価値」)です。この話自体は、ほかの話からは浮いていて、一話で完結している。なんだったら、「いい話」っぽく読めるのです。

それがまさか、あんな繋がり方をするとは……。

直前にある第 32 話「古賀のり夫の閨(ねや)」も第 33 話も、「鶴丸とのり夫との事情を説明する話」と軽く読んでいました。刺身のツマみたいな扱いですね。ところがツマには遅効性の毒が盛られていた、みたいな。

小沢さとみ(おざわ さとみ)が気絶しているのに、彼女とリンクしているアマポーラが第 2 形態(格好いい!)になって勝手に動いている──という場面も深いです。竜の子とリンク者との関係が、たんなる「生物兵器と操縦者」ではないことが分かるシーンですね。

でもじつは、アマポーラの件とよく似ていて、もうひとつ重大なことが同じ場所で起こっている──。

伏線の中でも重要なのは、玉依シイナの名前──「秕」という漢字の意味を、同級生が話している場面です。子供に こんな名前を つける 親なんて、とシイナも思ったことでしょう。

──親の心子知らず。

残酷な天使の──

四方八方・多次元から、作者は読者を苦しめる。

『なるたる』で残酷な描写と言えば、シイナの親友である貝塚ひろ子(かいづか ひろこ)の話が重いです。おはようからおやすみまで、苦しみを見つめることになる。視覚的にも精神的にもキツイです。

でも、ひろ子のほうが、その何倍も苦しんだ。

そういえば、残虐な行為を絵的に見る場面は、意外にも少ないのです。絵で描いて見せたのは、「試験管ガール」こと(?)、亜希(あき)の件が最大なのでは。

それよりも、精神的な攻撃がキビシイ。

高野文吾(たかの ぶんご)の「趣味」も、イヤな感じですよね。でも彼の場合は、そんな偏った趣味をしていても、幼馴染みや仲間には受け入れられている。

そうかと思えば、「はいてない」で有名な涅見子(くり まみこ)が文吾の罪を淡々と語り出す。これも、エグイ。

宮子巽(みやこ たつみ)と佐藤明希(さとう あき)が、楽しくスポーツチャンバラをする。そんな時にポロッと出てきた、宮子の新しい 人を 探すよ、というセリフもドロリと黒い。

気分が悪くなるような場面は、次々に出てきます。

佐倉明(さくら あきら)が保健室に運ばれる場面や、秋吉睦(あきよし むつみ)という男の存在、さとみの感想シーンも、軟弱なファンにとってはキツイでしょうね。

須藤直角(すどう なおずみ)が言う、生命(いのち)を もてあそぶのは 楽しい よね、という言葉も胸に刺さる。

私の 念土(ねんど) イカすで しょ、と澄まし顔で言う江角ジュン(えずみ──)がかわいい。それだけに、病院での福本笙子(ふくもと しょうこ)とのやりとりが痛々しい。

のり夫の活躍

今回の範囲には、のり夫の見せ場が多いです。

たとえば、のり夫がさとみに接触する場面が出てくる(『なるたる (8)』 第 39 話 「枯れてゆく遺恨」)。

この時、のり夫は女装しているのですが、(おそらく)胸パッドまで入れています。わざわざそんな物を入れなくても、のり夫は十分、女性に見えますよね。入れるべきなのは、シイナだったりして……。

そして、さとみはのり夫を見ても気がつかないのが面白い。シイナの例で繰り返し見てきた、「一度会った人物は完全に記憶している──とは限らない」ルールが有効活用されましたね! ほかのマンガだったら、もうちょっと変装しないと気づかれるはず。

鶴丸が言うとおり、このオリエンテーリングの回は、のり夫もノリが良かったように思いますね。

つまりは──、「のりのりのりりん」です。

よく分からないシリーズ

シイナと鶴丸・さとみ・同級生が、のり夫の個展に訪れる場面が出てきました(『なるたる (7)』 第38話 「満ちるコップ」)。ここがどうも、分かりにくい。

さとみは、のり夫が作った人形を見て、文吾の…… どうして?と言う。それを聞いたシイナは、さとみを殴る。連載時にこの展開を見た時には、何が起こったのかが理解できませんでした。

もちろん、さとみは人形を見て、高野文吾とリンクしている竜の子──ハイヌウェレだと思ったのでしょう。あるいは、なぜ竜の子をモデルにした人形を作ったのか──と疑問を持ったのかもしれない。

さとみの発言を聞いたシイナは、天使の像に反応したさとみ(と「ブンゴ」という人)が、自分の父親を襲ったのだと確信し、殴りかかったのですね。このことは、単行本を通して読めばすぐ分かるでしょう。では──、

なぜ、のり夫はハイヌウェレに似た像を造ったのか?

まず、個展での飾り方から見て、ハイヌウェレ(の姿形)に対する、のり夫の愛情や敬意を感じます。すくなくとも、竜の子を操っている人物(生物)や、像そのものに屈辱を味わわせるような、つまりは「磔(はりつけ)」の意味は感じない。

そもそも、あののり夫が、自分の嫌悪するモノを造ったり、近くに置いておくはずがないのです。

問題なのは、のり夫は、この竜の子をいつ・どこで見たのでしょうか。そして、リンク者のことを知っていたのか、なぜ人形を作ろうと思ったのか──、それが分からない。

魂の構造

鶴丸は、生まれ変わりとか 前世とかって 信じる? とシイナに聞く(『なるたる (8)』 p.198)。この場面を見て、上の「天使の像問題」の面白い仮説を思いつきました。

のり夫は、「前世」でハイヌウェレを見たのでは。

つまり、シイナたちが住んでいる星は、何度も造り直された地球だった、ということです。うん、「あの作品」や「その作品」を思い出しますよね。シイナたちは、輪廻転生した者だった説、です。

そうやって考えていくと──、竜の子(のカタチ)は、のり夫が前世で創造したのではないか。

そもそも、『なるたる (3)』・第 16 話「混沌の住人」で、のり夫はハッキリと全て 僕が創った、と言っている。

──いや、もちろん、この時にのり夫が言っている対象は、竜の子に似た人形たちのことです。普通に考えれば、のり夫は何らかの方法でさまざまな竜の子を知り、それらをモデルにして人形を作った──と見るべきでしょう。

でも、本当は逆に、前世ののり夫が創ったカタチを元にして、竜の子は自分たちの姿を決めたのではないか、と思ったのです。それが何を意味するのか──は分かりません。正解とも思えない。でも、なぜかこの仮説が気に入りました。

人の子を産めないのり夫が、竜の子を生んだ──。

そうだったら美しいな、と思う。