『なるたる』 – 作・画: 鬼頭莫宏
いよいよ終盤まで来ました。
──というタイミングで、いきなり「ロシア編」(仮名)が始まります(『なるたる (9)』 第 45 話 「ロシアの母」)。
これまでも、主人公である玉依シイナ(たまい しいな)の周辺にいる人物を中心とした、短編のような話はいくつかありました。
ところがロシア編は、妙に長いのです。それでいて、竜の子や成竜の核心に迫っているかというと──そうでもない。「竜は、世界各地にいるんだな」程度の印象でしたね。
『なるたる (10)』も「米軍編」(またまた仮名)からスタートする。こうやって、短編をつないだオムニバス形式の作品にするのかな──と思わせて、主人公たちにリンクさせてきます。
そして──、この上なく残酷な結果を見せる。
鶴丸という存在
古賀のり夫(こが のりお)は、鶴丸丈夫(つるまる たけお)に向かってこう言います。
キミは シイナの父親であり 息子だ
恋人じゃ ない
『なるたる (9)』 p.171
この発言の真意は、なんなのでしょうか?
最初は、普通に「鶴丸はシイナの父親役」だと言いたいのかと思いました。シイナの実の父親では、「黒の子供会」などからシイナを守れない。その役目は鶴丸が果たすのだ、と。
でも、あの鶴丸がシイナの「息子役」というのはヘンですよね。これまでに何度も、シイナからは母性を感じさせないような描写がありました。
というところから、昨日に書いた、「何度も造り直された地球説」「輪廻転生説」を思いついたのです。
つまり、のり夫の言ったことは、そのままの意味だった。いくつかの前世(来世?)では、鶴丸丈夫(のタマシイを持った者)はシイナの父親だったり息子だったりした──のではないか。
まぁ、「正解」は作者の中にはあるのでしょうが、それを知る機会はないでしょう。たとえ知ったとしても、切ない気がするし。自分の中では、転生説が真実として生きています。
参考(?): ゆの「お前がそう思うんならそうなんだろう、お前ん中ではな」(ひだまりファイト)を元ネタ作者の日本橋ヨヲコ先生が描き下ろし – ゴールデンタイムズ
というか──、転生説があり得ないとしたら、どうして鶴丸がシイナを守っていたのかが分からない。
意外なことに、「なるたる」のわからない所を解説してみるサイトでも、なるたる – Wikipedia でも、この最大の謎をスルーしています。いくつかの感想を読んでも、誰も疑問に思っていない。
みんな(誰?)、「鶴丸はシイナ(少女)が好きだから」という理由だけで、24 時間・毎日、ホシ丸でシイナを守り続けた──と納得できるのでしょうか。それが不思議です。
鶴丸丈夫は、古賀のり夫を失って、自身も被爆して、そのあげくにシイナからは嫌われて──。これでは、何のために戦ってきたのか、分かりません。
試して みようか?
(『なるたる (12)』 p.194)で、何となく「鶴丸も報われた」と思っている人も多いでしょうが──、いやいや、報われてねェから!
というか、シェオルなら鶴丸を治せた気がする……。
竜骸が作り出すモノ
物語が終わっても、疑問はいくつか残りました。
まず、竜の子が使える基本的な能力──シイナの母親が言うところの、物質再構成の能力
についてです。竜の子は、自身に取り込んだ物質をコピーして作り出せる。しかし、生命はムリなのです。
さて、『なるたる (10)』のラストでシイナは死にますが、『なるたる (11)』でアッサリと生き返る(大事なことをサラッと言う)。──この場面は、上記のルールだと不自然というか、不可能なはず。
自分が考えた可能性は、2 つあります。
まずは、「シイナが完全に死ぬ前に再生された」。これが一番、納得がいく状況です。頭部が無事であれば、体は(おそらくシイナの)竜の子が作り出せる。──鶴丸のところで、何日もシイナはケガしたままでしたけど(コレも不思議)。
もう一つは、「特殊な竜(の子)であれば、生命も生み出せる」。これはかなり強引な考え方ですが、じつは、こちらの説を推したい理由があります。それはまた、下のほうで書きますね。
終わりに
Wikipedia でシイナの項目を見ると、彼女と涅の子供である男女が登場した所で物語は幕を閉じる
、と書いてあります。「なるたる」のわからない所を解説してみるサイトの該当ページなどでも、同じ解釈をしている。
玉依シイナの影である涅見子(くり まみこ)が世界を滅ぼし、彼女たちの子どもが新たな世界を創る。その子どもというのは、シイナにとって大事な人(鶴丸)の子と、まったくドーデモイー存在(ヤクザ)の子──という皮肉が作者らしいですね。
しかし、その解釈は、まったく受け入れられない。
まず──、シイナと涅が妊娠するかどうかを、「運を天に任せる」方式にしていることが、もうオカシイ。鶴丸の容体からして、子どもができない可能性のほうが高かったはず。ヤクザとの件も、涅は試してみる
と思っただけなのです。
そして、シイナと涅が、たまたま男女(が最低でも一人ずつ)で産まれてくることに賭けている。さらに、その子らの子孫も──とどこまでもギャンブルなのです。
そんな理解で納得することは、自分にはできません。
最終話で涅見子は、シイナにここには 何も ないから あんたが つくらなきゃ
、と言い聞かせています。命は 代替がきくから 命たりえる んだから
とも言っている。
つまりは、乙姫や竜たちの力を使えば、命を生み出すこともできるのでは。
涅が言う気に入らない世界なら わたしが また 潰して あげるから
という言葉が真実であれば、涅とシイナは、何千年・何万年と生きる手段があることになる。
それなのに、(たったの一回だけ)子を産んであとは運任せ──とは考えられません。
──まぁ、ここまで書いておいて、いま急に別の仮説を思いつきました。その仮説も面白いし、それに、じつに作者らしい。その仮説とは──、
涅見子は狂っていて、デタラメを言っている。