『コール』 (Trapped)
この映画は、愛すべき駄作です。
──と、自分がハッキリ「駄作」だと言いながら感想を書くのは、非常に珍しい。ひょっとして、初めてかもしれません。それでも、記事にしたかった。
ここで言う「駄作」とは、「つまらない作品」のことではありません。『コール』は、退屈な作品ではなかった。しかし──、脚本がメチャクチャだったり詰めが甘かったり、非常に惜しい作品なのです。
ストーリィ自体は面白そうなんですよ。
──ある裕福な家庭に、夫の留守を狙って誘拐犯が押し入る。誘拐犯のひとりは幼い娘をさらっていき、もうひとりは妻を強迫した。今までに 4 回も誘拐を成功させていると言う。3 人目の誘拐犯が夫の行動も制限し、今回も完全犯罪の成立かと思われたが──。
こんな感じの話で、見どころもたくさんあります。誘拐事件に隠された謎! 派手なアクション! 緊張感の連続!
ところが──、肝心の犯罪計画が穴だらけなのです。それに、せっかく良いキャストをそろえているのに、彼ら・彼女らの見せ方(魅せ方)を間違えている。
ということで今回は、「この映画は面白いよ! ぜひ見てみて!」という感想ではなく、「どうしてダメなのか」を中心に書いていきます。たまにこういう駄作のダメな点を意識して見ておくと、映画の見る目が養われて良いかもしれません。
美人でキケンな妻
まずは、医師の妻であるカレン・ジェニングス(シャーリーズ・セロン)から見ていきましょう。
彼女は、最初から最後まで「強い母」でした。「気丈すぎる妻」でもあります。
誘拐犯にさらわれて娘がどこにいるかも分からないし、夫も身柄を拘束されているらしいし、自分自身にも銃を突きつけられている。──この状況でカレンは、あまりおびえた様子もなく、何度も誘拐犯に食ってかかるのです。手も出している。
「30 分ごとに誘拐犯は携帯電話で連絡を取る」ことが、この誘拐劇の焦点になっています。その連絡が来なければ、すぐさま娘を殺す段取りになっている。
だから、誘拐犯を攻撃したり、気分を損ねることは、絶対に避けるべきです。とはいえ、ただただ犯人の要求どおりに動いたり、ビクビクとおびえていては、映画にならない。
そのさじ加減こそが、脚本家の腕の見せどころです。
でも、カレンはスキあれば誘拐犯を亡き者にしよう──というくらいの心構えで動いている。お前はスティーヴン・セガールか。本当に、「娘の誘拐」という縛りさえなければ、テロにも屈しないくらいの勢いでした。
そして、美しいシャーリーズ・セロンを起用しているのに、汗と涙でメイクは流れているし、傷だらけだし、セクシィなシーンも手負いの野獣みたい。──あ、それが良いのか……。
「頭」抜けている主犯
誘拐の主犯──ジョー・ヒッキーを演じるのは、われらがケヴィン・ベーコンです! 「われら」というか自分が大好きな俳優で、上に書いた「愛すべき駄作」の愛の部分は、ほぼベーコン成分という衝撃のオチ(オチてないよ)。
彼は、「ケヴィン・ベーコン指数」で有名です。
ある映画でケヴィン・ベーコンと共演した人──の共演者──の共演者とたどっていくと、ほぼ 6 回以内で世界の俳優・女優がつながるらしい。あのイチローまで指数が割り出せるとは、ビックリだ!
『コール』でのケヴィン・ベーコンの演技は、バツグンでした。不気味な犯罪者の存在感がよく出ている。感情にまかせた一面と、頭の良さと、悲しみとをよく演じ分けています。
ところが、脚本がすべてをぶち壊している!
まず根本的に、彼らが実行した過去の誘拐事件が、いまだに露見していないことがおかしい。たしかに、誘拐の進行中は欠点のすくないシステムですが、事件が終わったあとに、なぜかだれも通報をしていない。だから 4 回も成功してしまった。
次に、ジョーが押し入った家の妻を犯す──という設定の意味が分からない。どうやらジョーの妻も公認の行為なのですが、その「味付け」は必要か? 「シャーリーズ・セロンを脱がすため」だけなんだろうな──という底の浅さを感じました。
さらに、誘拐した娘について、今回は深く調査をしていなかったことは致命的です。映画の後半を見れば分かるとおり、この「ターゲットの娘を誘拐する」ことは、カネよりも重要なはず。それなのに、彼女の病状を把握していなかった。
これは、あり得ない!
そのせいで、けっきょくジョーは「気の触れた異常犯罪者」「金目当ての犯行」「性的倒錯者」としてしか見られませんでした。
それに、どう考えても過去の 4 回にも渡る犯行はいらないだろ! ──練習だったのでしょうかね?
娘が主役?
さて、文句を言い続けてきましたが、誘拐された娘──アビー・ジェニングスを演じたダコタ・ファニングは素晴らしかった! 彼女を中心にした脚本にしても良かったのでは?
アビーを演じた時点でのダコタ・ファニングは 7-8 歳くらいですが、「子役」という枠には収まらないくらいの演技力です。ぜんそく持ちのアビーの姿は、本当に苦しそうで痛々しい。
しかし、アビーは、ただただ泣き叫んでいるわけではありません。自分の頭で考えて、勇気ある行動に出ている。その演技が、痛ましいけれど知的でかわいらしい。
おそらく、本当にダコタ・ファニングが誘拐されても、かんたんに脱出できるのでは──と思わせるような、知性的な女優です。
彼女を誘拐したマーヴィン・プール(プルイット・テイラー・ヴィンス)も、なかなか良い味を出していました。
マーヴィンは、いかにも「幼女が好き」という外見をしている。いろんな意味で……。アビーに接する姿を見ると、本当に「かわいがっている」感じがします。いろんな意味で……。
映画も後半にさしかかると、マーヴィンにも良い面が見えてきます。ところが、一方では非常な犯罪者の一面も出てくる。この二面性は、うまく調理すれば深い味付けになるのに、これまた中途半端なのです。
どちらが犯罪者?
さらわれた娘の父親であり、カレンの夫であるウィル・ジェニングス(スチュアート・タウンゼント)は、犯人グループの紅一点──シェリル・ヒッキー(コートニー・ラヴ)によって行動を制限されている。
──はずなんだけれども……。シェリルの行動がずさんの極みなんですよ。なにしろ、初めはウィルに銃を突きつけていたかと思ったら、その銃を置いてお風呂に入っちゃう! 挙句の果てに、グーグー寝てしまった!「ヒッキー」だからってヒドイなー。
こんな犯罪映画、見たことない!!
映画が進むにつれて、「なぜ、ジョーとシェリルは、ウィルの家庭を襲ったのか」という理由が明らかになります。それなりに納得がいく話ではあるけれど、それにしては、シェリルはウィルを恨んでいない。むしろ、好意を抱いているようにすら見えます。
このチグハグさが、シェリルを薄っぺらくする。
しまいには、ウィルの方が主導権を握り始めます。もう、どっちが誘拐犯なのか、分からなくなる。これも脚本のミスで、「ウィルとカレンは、(映画の中では)絶対的な善人である」として描かないと、この悲劇は成り立たないのです。
シェリルには、もっと致命的なことがある。
シェリルを演じたコートニー・ラヴは、自分が大好きなバンド・「ニルヴァーナ」のボーカルであるカート・コバーンと結婚していました。カートはいま、麻薬も金も必要がない「世界で一番高いところ」にいます。
コートニー自身も、過去に「ホール」というバンドを組んでいました。プロモーション・ビデオの中でパフォーマンスをするコートニーは、セクシィだったなぁ……(遠い目)。
さて、『コール』に出てきたシェリルは、上で書いたような驚きの入浴・アンド・睡眠のほかに、「どこも縛られていないのに体を拘束」されたりアクションに興じたりします。
その過程で、シェリルのお肌からメイクアップがはがれるわけですが──。あのね、やっぱり、リアリティを出すためだろうとも、女優さんからメイクを取ってはイカンよ! とくにコートニー・ラヴは厚化粧と真っ赤な口紅がよく似合う。
だって──、メイクをしていないコートニー・ラヴは、某・日本のプロレスラの奥さまで、ご自身も元・女子プロレスラだったあの方にそっくりなんですよ……。いや、どちらも素晴らしい女性ですケド……。
最後で台無し
夫・ウィルの描き方も致命的でした。
最後に娘を救い出そうとする際、映画の冒頭で見せた「自家用プロペラ機を飛ばしたあとで、翼をゆらす」という飛び方を感動的に再現します。娘へのサインですね。
さて、その感動的なシーンのあとにウィルは何をしたのか。「犯人と娘の乗った車に、プロペラ機ごとつっこむ」です。えええーーー!? これはひどい!
そのせいで、多くの車が事故に遭いました。奇跡的に死傷者は出なかったようですが、本当にそれこそ奇跡だよ! 見た感じでは、犯人も娘も含めて、無関係な人々も十数名は死んでいてもおかしくない事故でした。
おそらく、最後に派手なアクションを入れておこうという、脚本家か監督の意図なのでしょうが──、この映画には派手な演出はいりません。たとえ地味でも、もっと徹底的に心理戦を描ききるべきだった。
『コール』という映画の全体を見渡してみると、いろいろな要素を盛り込もうとして、バランスを崩している。たぶん、監督や編集も、そのあたりは気づいていたのでは? でも、妥協してしまった。
駄作の「だ」は、妥協の「だ」・台無しの「だ」です。
蛇足
今回もまた、飽きもせず懲りもせず、この記事のタイトルはゲーテの言葉から借りました。
愚者と賢者はともに害がない。半分の愚者と半分の賢者だけが、いちばん危険である
うーん、この言葉どおりにキケンな男なんですけどね、主犯のジョーは。もっと効果的に描けば良かったのに。
蛇足といえば、この映画の邦題・『コール』も失敗でしょう。原題の『トラップド』も分かりにくい。
ついでに言うと、キャッチコピーの「外出禁止。
」にしても、「全員、外に出ているしなぁ……」という感じ。どこまでも煮え切らない作品でした。