『魔法少女まどか☆マギカ』 (PUELLA MAGI MADOKA MAGICA)
アニメ史に残すべき第 3 話がやってきました! 第 1 話から見続けていたら、1 時間くらいで「あの場面」がやって来る──。何という展開の早さでしょうか。
ただし、『まど☆マギ』は「魔法少女ものにしては過激な場面がある」というだけのアニメではありません。この作品で真に評価すべきな点は、マミさんのおっp繊細な心理描写です(台なし)。
第 3 話で まどかと父親の知久と話す場面は、とくに素晴らしかった。自分の妻のことを尊敬できるし自慢できる
と子どもに語れる夫は、世間に何人いるでしょうか? この夫婦と一緒に暮らしているから、まどかは優しい良い子に育ったのです。
ていねいに心情を描く場面があるからこそ、『まど☆マギ』は名作になれました。これ見よがしに残酷な物語を押しつけるだけのアニメだったら、すぐに飽きられたでしょう。
第 3 話 「もう何も怖くない」
上条恭介(かみじょう きょうすけ・声: 吉田聖子)の病室に美樹さやかが訪れる場面は、ふんいきが最高です。
ガサツな言葉づかいと態度の さやかにも、女の子っぽいところが あるのだな──と視聴者には初めて分かる。本当の彼女は心優しくて女性らしいのだけれど、そういった性質に気がつけるのは、とくに親しい友人だけでしょうね。ちょっとソンをしている性格です。
マミがキュゥべえと契約した時の回想が出てくる。この場面も不思議です。都合良く事故現場にキュゥべえが現われたのは、偶然なのか──それとも、契約するのに絶好のタイミングを狙っていたのか。
また、マミの願い事は何だったのかも気になります。これまでに判明している限りでは、「家族を蘇らせて欲しい」ではないはず。彼女の身内は、遠い親類しかいなくなりました。
「魔法少女になる代わりに、死者を生き返らせる」ことができるのかどうかも、現時点では不明です。キュゥべえの口調からすると、これくらいの奇跡も起こせそうな気がしますが……。
おそらく、願い事を考えている余裕さえなかった
マミは、「死にたくない」とだけキュゥべえに伝えたのでしょう。彼女からすれば、キュゥべえは命の恩人です。暁美ほむらをマミが嫌う理由も、これでよく分かる。
とはいえ──、夜の公園で ほむらと会った際のマミは、すこし腹黒に見えました。じつは まどかの才能に気がついていたり、いじめられっ子の発想ね
──などと言ったりする。マミが黒幕(何の?)なのか──と思ってしまう。
魔法少女は、他人のために願い事をして良いのか──。じつは、これが『まど☆マギ』の大きなテーマになってきます。
上記のことを質問するさやかに、マミが真意をたずねる場面は素晴らしかった! マミの口調が厳しくて耳をふさぎたくなるし、地味な場面ではある。このような会話は、見たくなかった人もいるのでは? しかし、こういう心情をていねいに描けるのはすごい。
マミは、心の底から仲間が欲しかったはずです。誰にも知られずに、たった一人で戦うのは、さみしい。まどかと さやかとの出会いは、本来であれば飛び上がるほど喜んで良いと思う。
それなのに、さやかのことを思って、わざと冷たい言葉でマミは忠告する──。友人のために嫌われる覚悟で話すなんて、オトナになっても できない人は多い。とても中学三年生の言葉とは思えませんね。
まどかにとって、魔法少女として──ひとりの人間として、尊敬ができて あこがれの対象であるマミが、初めて弱みを見せる場面も秀逸です! 独りで戦い続けることは、本当に心細かったのだろうなぁ……。
魔法少女になれる素質──というかキュゥべえが目をつける条件は不明ですが、おそらく何百人・何千人に 1 人だと思う。そんなチャンスが目の前にあるのに、まどかにも さやかにも、よく考えて契約するように──とマミは言うのです。
普通の中学生だったら、キュゥべえと一緒になってマミが契約をせまっても おかしくありません(そんな二次創作が見たいぞ)。ホンマに、エエ子やなぁ……。
さて、いよいよ魔女戦ですが──。
魔女図鑑: 「お菓子の魔女」 | SPECIAL|魔法少女まどか☆マギカ
この魔女・Charlotte(シャルロッテ)の本体は、じつはイスに座っていた ぬいぐるみではないか──とネットでは言われています。実際のところは、現状では分かりません。ほむらが「本体」を踏んづけたから倒せたのか、何度も爆破したのが良かったのか──。
もしも、動かなかった側が本体だった場合は、一気に決めさせて もらうわよ!
の場面で、マミがもう一つのイスも倒していれば──、と考えてしまいますね(あの時、どうやって銃を連射したのだろう?)。
参考: File:Ep3 Charlotte Fake JP.jpg – Puella Magi Wiki
シャルロッテは ほかの魔女とは比べものにならないくらいに優遇されています。まず、下のグッズなどで、 公式に名前が公開されている。本編でも、コラージュではなく「普通のアニメ」で動いています。
かわいらしい魔女の容姿だけに、「頭に押し当てた銃をゼロ距離から撃つ」マミは──、ちょっと(かなり)こわかった。この時点では、今度の魔女は これまでのヤツらとはワケが違う
という ほむらの言葉も意味が分からなかったはず。
巴マミが「マミさん・マジカル・ステップ」(マミカル・ステップ?)で変身して、スタイリッシュに魔女を倒して、キュゥべえが「契約~契約~」と言う。──そんな展開がずっと続くと思っていたのに……(最後だけ当たっている)。
でも、そんな状態が 10 話くらい続いてから、目に焼き付けておきなさい。魔法少女になるって、そういうことよ
──を見るほうが、よっぽど つらかったかも。
どちらにせよ、悲しい別れですね……。
第 4 話 「奇跡も、魔法も、あるんだよ」
卵の黄身を見てマミを思い浮かべる まどかは、ちょっと ひどい。気持ちは分かるけれど、「黄色 = マミ」という公式は、どうなんだろう。
魔法少女を非難できるのは、同じ魔法少女としての運命を背負った子だけ
──とキュゥべえは語る。前回の最後で、グリーフ・シードを拾う時に ほむらが言っていたことと重なります。
じつは、まったく逆の意味で 2 人に ほむらは忠告していました。「あなたたちとは関係のない世界のこと」だから、「魔法少女には ならないで」──という意味が込められていたのです。分かりにくいよ!
さらには、あなたを非難できるものなんて 誰もいない
──と まどかに対して ほむらは言う。ほむらの優しさが、ほぼ初めて まどか(と視聴者)に届きました。本当は、第 1 話から ずっと思いやりがあったんですけどね、ほむらは……。
魔法少女の過酷さは、「わけの分からない敵と戦う」だけではありません。どれだけ人や街を守るために戦っても、誰からも褒められない。最後は、人知れず消えてしまう──。まどかを説得するには、十分な言葉の重さを ほむらは持っています。
たった 1 人で戦い続ける ほむらにとって、彼女のことを絶対忘れたりしない
と言う まどかの言葉は、何よりも ありがたかったでしょうね。
それならば、なぜ、まどかが魔法少女になることを ほむらは阻止しようとするのか──。
むくわれないのは魔法少女だけではなく、さやかも同じでした。献身的な さやかに文句を言う上条には、ガッカリしましたね。ただ、自分の生きがいを奪われたら、誰でも上条と同じ気持ちになると思う。どんな優しさも、上から見ている者の同情に感じる。
まどか・さやかの前から あっさりと去ったのに、ここで突然現われるキュゥべえには、ほんのすこし黒さが出て来ました。ただたんに「少女たちの願いをかなえるマスコット」ではないな──とようやく分かる。
黒さと言えば、「緑」こと仁美も本性を出して、ボディ・ブローで まどかを襲う! ──って、ネットでは「緑 = 腹パン」とネタにされていますが、よく見ると普通に「手を出して まどかを止めている」だけなんですよね。
その仁美を操っている魔女は、公式サイトでは おどろおどろしい姿です。面白いことに、劇中に出てくるテレビ・モニタの中では、「かわいらしい少女(のシルエット)」でした。これは、「いつまでも可憐な少女でいたいと思う魔女の願い」なのかも。
魔女図鑑: 「ハコの魔女」 | SPECIAL|魔法少女まどか☆マギカ
さやかが魔法少女になることは、誰にも止められなかったでしょう。その重大さは、まだ完全には明かされていません。だから、魔女を倒す さやかが格好良かった! と軽く思える。新しい魔法少女・佐倉杏子の登場も、ワクワクして見られますね。
いまのところは……。
おわりに
(テレビ放送やネットの配信では)第 3 話からエンディング・テーマが流れました。このノリの良い曲は、劇中でも何度か挿入されて、気分が盛り上がります。シッポまでおいしい鯛焼きのように、イントロからずっと聞き応えがある。
エンディングの映像は意味深です。さやかとマミは まどかの「手前側」、杏子と ほむらは「奥側」にいる。そして、「どこか」へ歩いて行く まどかに向かって、ほむらは手を伸ばす──。どういう意味でしょうね?
コメント
まどか☆マギカは、私も見ています。
単なる魔法少女ものかと思ってずっとスルーしていたのですが、
脚本が「虚淵玄」だと知ってこれは絶対見なければと思い見るようになりました。
(ご存知かどうかは分かりませんが、この方の本職はPC18禁ゲームのライターで、
なかでも「Pantom of Inferno」は超オススメです!)
>奇跡も、魔法も、あるんだよ
この作品の長所のうちの一つに、サブタイトルのセンスがいいことがあげられると思います。
といっても私の好みに合致しているというだけかもしれませんが。
それはさておきこのフレーズは、この作品が魔法少女ものというカテゴリーであることを考えれば、
もっと夢のある話として、目を輝かせていうようなセリフのように思われるのに、
実際はもっと重みのある覚悟が必要となるセリフだったという・・・。(可愛らしい絵柄でありながら、さやかの余裕のない目の表現は素晴らしい!)
けれども、さやかが本当にしなければいけなかったのは、起こってしまった不幸を奇蹟で帳消しにすることではなくて、
彼の支えになってあげることだったように思います。
嫌な見方をすれば、辛い状況にある彼から、自分に当り散らす彼から逃げるために奇蹟を使ったわけで、
結果として報われなくても自業自得といえなくもありません・・・。
>キュウべえ
怖いですね! 一度二人の前から立ち去ったのは口先だけのことだと分かるシーンです。いやらし過ぎる!
>エンディング
はじめてみたときは、曲調と映像をみて、これって絶対魔法少女もののエンディングじゃないよなって思いましたw
無茶苦茶怖い。だからこそ、第3話から流すことにしたのでしょうけどねw
おおー、永空さんも観ていましたか!
自分の場合は「こ……虚淵玄?」「ウロって誰だよ」
というレベルでしたが、十二分に楽しめました。
さやかの行動は、あの状況に置かれた中学生なら、
誰もが同じ判断をしたように思います。
彼の手が治っていなければ、
つらい思いをし続けたでしょう。
どのみち、奇跡でも魔法でも、
上条を振り向かせることはできなかった──
という事実が悲しすぎます。
「すべてキュゥべえのせいだ」と言い切れない
シナリオの絶妙さ!
>さやかの行動は、あの状況に置かれた中学生なら、
>誰もが同じ判断をしたように思います。
本来どうしようもないことであるにもかかわらず、
どうにかできてしまう選択肢を与えられてしまったのが、
さやかの不幸、ということなんでしょうね。
願いを叶えていなければ、選択肢があるにもかかわらず、
その選択をしなかった自分を責めていただろうことを考えると・・・。
と言う風に考えると、どんな願い事を叶えるか指定しなかったとはいえ、選択肢を与えたキュゥべえこそが悪な気がしますね・・・。
さやかの選択肢と言うならば、
「ケガなんてドーデモイーから、
恭介が私だけを見るようにして!」
でも良かったわけです。
そう願わなかった さやかは優しいな──
と思いましたね(自分なら上の願いにした)。
「ケガなんてドーデモイーから、
恭介が私だけを見るようにして! ただし、私がこの願いを叶えたことは私を含む全員の記憶から消して!」
が、ベスト!