HUNTER×HUNTER 1 巻 「出発の日」 1 – 少年よ、大海へ挑め

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『HUNTER×HUNTER(ハンター×ハンター)』 No.1 「出発の日」

くじらたん!
(一回り大きくなって戻ってくる──その日を信じて)

あけおめことよろー(棒)。いやー(year)、年が明けましたね!(棒) 1 月 1 日という おめでたい日に、『HUNTER×HUNTER』 第 1 巻の感想を書くという喜びを全身で感じています!

「あれ? でも おかしーな もう日付は 2 日だけど……」「いやーー めでたい !!」(『HUNTER×HUNTER (6)』ネタ)

10 年以上も前から熟読しているコミックスなのに、読めば読むほど味わい深い作品です。スルメ──じゃ ありきたりだから、まるでクジラみたいに食べ尽くせない。

1 巻の前半は、言ってしまえば「登場人物と世界の説明」というだけの内容です。それなのに、どうしてこんなにワクワクするのか!

No.001 「出発の日」

冨樫義博先生の新連載は、『レベル E』とはガラッと異なる絵柄で始まりました! クジラの形をしているから「くじら島」といった分かりやすさ、少年マンガらしい展開の軽快さも手伝って、とくに説明なしで この世界に入り込めます。

しかし、よく見ると珍獣・怪獣は悪夢のような姿形をしている。『幽☆遊☆白書』の後半や『レベル E』の心理世界みたいです。

お上品な言葉を選ばずに言えば、「トガシ、初っぱなからトバシてんなー!」ですね。前作が 2 作品とも最後は内容や絵が壊れていたから、すこしだけ不安だったりする。

パッと見た感じは「スカスカな絵」に感じるけれど、じつは情報の密度が濃い。

たとえば、ぱっと見はファンタジィな世界観ながら、指紋認証(?)のハンター試験応募カードを さりげなく出している。また、かわいらしいコンの横顔に野生動物の凶暴さを重ねたりして、世界の広がりを演出しています。

マンガは「絵で語るモノ」だと再認識しました。


ハンターという生き方を見せたカイトは、次の言葉を残しています。気が遠くなるほどの未来に、この言葉は別の意味を持ってくる。それまでは、頭の隅にでも置いておきましょう──。

気の毒だが 人間を傷つけ ちまった 巨獣は…… 処分する 決まりだ

具体的には第 307 話の展開です。

HUNTER×HUNTER #307 「喪失」 繰り返される見たくない光景 | 亜細亜ノ蛾


ついさっきまで死ぬ寸前だった上に、「見知らぬ大人の男」に殴られて説教された。普通の子どもなら泣きじゃくるか落ち込むところです。

ところがゴンは、もう そんなことは忘れている。なごやかな表情をして、カイトが語るジンの話に聞き入っています。肝が据わっていますね。これまた あとのほうで関係してくる描写でした。

なにげない場面を重ねながらも、ゴンやカイトという人物を 100% 描ききっている。

連載の当初とコミックス何十巻で「顔が変わっている」ことは、マンガでは よくあることです。性格まで変わっていることも多い。

しかし、『H×H』は違う。この第 1 話のゴンとカイトは、ずっとずっと先まで「同じキャラ」です。当たり前のようでいて、じつは驚くべきことだったりする。

ゴンは、自然のなかで生きる厳しさを知り、父親がいないことの さびしさを感じながらも、動物に対する優しさを見せます。たくさんのことを一日で学びました。カイトが お兄さんみたいに見えて ほほえましい。

(まったくの思いつきで書いたけれど、カイトとゴンの血がつながっている可能性って、ゼロではないよな……)


酔っ払ったミトの代わりに片付けたりして、「お利口さん」で「いいこ」に見えるけれど、ゴンには正体の知れなさを感じます。「子供を捨ててでも 続けたいと思う 仕事なんだね」と軽く話すなんて、大人でも むずかしい。

育ての親であるミトを捨ててまで試験を受けようとするゴンの姿に、ミトはジンの面影を見たのでしょう。いったいジンとは、どんな人物なのだろう──。

この時は、連載の最後で父と子が出会うと思っていた。

ゴン:
「ジン… !?」
ジン:
「…… ゴン…か !?」
アオリ文
(応援ありがとうございました! 冨樫先生の次回作に──)
No.002 「嵐の出会い」

ONE PIECE』でも めったに見ないような大荒れの海です(そもそも あの作品は航海の場面が すくない)。洗濯機かミキサか──という状態の船内なのに、これでまぁまぁの 波だと船長は言う。

この波に打ち勝てない志望者は失格した──と あとで分かります。試験会場に着く前から、すでに地獄の門は開いていた。

ただ、どんなに強い人間でも、「船や車に酔う」という体質的な問題を持っている可能性は あるのでは? 「船酔いしただけで失格」という判定基準は厳しすぎると思う。

最初から飛行機などで試験会場を目指すなど、慎重かつ柔軟な判断が求められているのかもしれませんね。なるほど、受験生たちは すでに試されている。


会話劇の巧みさが作者は ずば抜けています。説明的なセリフが ほぼ皆無なのに、その人物の生き方まで見えてくる。人物も会話も「生きている」からです。

冨樫作品のほかで同じくらいキャラを外さないのは、ピカチュウくらいかもしれません。

3 人がハンターの志望動機を打ち明ける場面は、もちろん船長だけではなく読者へも語りかけています。どうしても説明ゼリフを書かざるを得ない。

それでも、簡単には話さないクラピカやレオリオを見せることで、2 人の性格を的確に表現しています。口論から本気のケンカに移る場面が素晴らしい。

前作の『レベル E』でも、バカ王子と筒井雪隆が掛け合い漫才のような会話を続けるうちに、2 人の性格が明確になっていきました。

船長もまた、ゴンにジンの姿を重ねて見ています。冨樫義博ファンの自分は、レオリオとクラピカに『幽☆遊☆白書』の桑原和真と蔵馬の幻影を見ました。なにしろクラピカだし。


その人を 知りたければ その人が 何に対して怒りを 感じるかを知れ

ゴンがミトから聞いたこの言葉は、10 年以上も ずっと自分の心の中に刻み込まれている。とても大事なことですね。一生 忘れられない。

現代風に言えば、下のツイートになるでしょう。

調子に乗りすぎたニコ厨に乙武さん遂にキレる「超えちゃいけないライン、考えろよ」 : はちま起稿


海へ向かって飛び出したゴンの行動は、考えなしに見えます。命を落とす可能性が高かった。

レオリオもクラピカも いがみ合いをしていたのに、すぐにカッツォを助けに行ったところから、ゴンは 2 人の性格を見抜いていたのでしょう。必ず助けてくれると信じて、一瞬で判断した。この「思考の瞬発力」に注目です。

No.003 「究極の選択」

緊張続きの展開のなかで、「ドキドキ 2 択クイズ」の不意打ちはズルい! 「絶対に笑ってはいけない」シリーズに出て欲しい人物です。

前回で意気投合したかと思ったら、クラピカとレオリオは もうケンカしている。よく見ると、クラピカのほうが劣勢なんですよね! じつは ものすごく貴重な一場面です。

たぶん、レオリオが相手だから、クラピカは実力を出せなかったのだと思う。その理由は──また書きます。


この「鼻丸ニンジャ」(いま命名)に出されたクイズは、ゴンたちへの出題とは意味あいが違う。自分も母親を助けます。理由も同じで、母親と恋人とでは比べものにならないと思う。

レオリオがブチ切れる気持ちはよく分かるけれど、無防備な老人に襲いかかったという事実は消えません。船上の件と違い、レオリオは「クラピカやゴンが止めることを予想していた」のではないはず。

たとえば、レオリオが 1 人だったら、本当に殴っていました。キレやすいとはいえ思いやりのある彼の行動とは、とても思えませんね。上のほうで「冨樫作品はキャラがブレない」と書いたけれど、もうブレとるがな。いまだに謎です。

──あ、そう言えば、ゴンも止なかったのは なぜだろう? クラピカの動きを見ていたのかな。


ネーミングからして ふざけた印象のクイズでしたが、奥深い真の意図が隠されていた。いたるところに二重三重の仕組みが仕込んである作品です。油断できない。

同じ試験に挑むライバル同士なのに、もう 3 人は一生の仲間みたいに思える。しかし、いつかは別れ道が現れるでしょう。かなり不吉な道に思われるけれど、はたして どうなるか──。

分かりにくい描写をあとから「伏線として回収」する作品は多いけれど、冨樫先生の場合は ほとんどありません。すぐに伏線は分かるし、そもそも分かりにくい箇所が すくない。

No.004 「魔獣 凶狸狐」

2 時間なんて 2 時間前に 過ぎちまったぞ」という軽妙なセリフが大好きです。文句を言わせたらレオリオは天下一品ですね! イチャモンだけで食っていけそう。

人語を操れる獣である「魔獣」は、『幽白』の妖怪たちを思わせる。『H×H』の世界は、どことなく「『幽白』から何十年・何百年あと」という感じがします。

「凶狸狐」(キリコ)も、前回のクイズおばばも、かなり細い目をしている。じつは、次の回に もう 1 人の細目が追加されます。もしかして、家族だったりして!?(ないない──かな?)


おそらく手加減なしでクラピカは「レオリオ」に殴りかかっている。初めて読んだ時には「なぜ!? もう破局!?」と驚きました(破局?)。

殴った理由にシビレますね! ニセ物とか本物とかは、まるで関係がなかった。クラピカの心意気にキリコも感心しているでしょう。

──でも、これがダウンタウンの番組だったら、間違いなく松っちゃんキリコが「痛ったー……」と顔を押さえて、スタッフが爆笑している。


表面上は本気で襲いかかってきている魔獣への態度にしては、ゴンはスキが大きすぎます。ここでもゴンは重傷を負う可能性がありました。

この「相手の善意を信用しすぎる」ゴンの甘い性格は、あとあと致命的な問題に なりそうです。じつは そのとおりで、「ただたんに運が良かった」としか思えない場面が次々に立ちふさがる──。

自分が中学生くらいのころに『ウィザードリィ』というロール・プレイング・ゲームが爆発的に流行していました。自分も MSX 版で、ユーザ・ディスクをコピーして入れ替えながら(ズルいテクニック)遊んだ。おもしろかったなー。

その『ウィズ』のマニュアルによると、「運」は英雄に欠かせない重要な要素である──みたいに書いてある。当時の自分は目からウロコがボロボロ落ちました。たしかに、運が強いヒーロばかりですよね!

──人はそれを「御都合主義」という。


試験が合格したあとなので明るい ふんいきで語られているけれど、娘が神の妻となり 生涯独身を通すことも、息子が本当にケガをしていたことも、どちらも事実です。

大半の読者からすれば「終わったこと」だからすぐに忘れられますが、深く考えると──なんだか恐ろしい。古代の神をいまだに崇拝していたり、試験のために息子を傷つけたり──。

「キリコ夫婦は良い人」とは単純に思えなかった。

この「善悪感を読者に考えさせること」と、「それを作中では描きすぎないこと」が、『H×H』の大きな特徴です。

たとえば、ミトを置いて試験を受けに来たゴンも、ジンから親権を奪い取ったミトも、どちらも「良い・悪い」で片付けられない。

しかし読者が、そこまで考える必要があるのか?

──その答えは、しっかりと自分の足で歩いて、自分の目で見て、自分の頭で考える。つまりは、「生きてみる」しか ありません。