貞本 義行 『新世紀エヴァンゲリオン』 5~8 巻 感想

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貞本 義行 『新世紀エヴァンゲリオン

EVA-03 戦いで何を得て──何を失ったのか

自分は「萌え」という概念をテレビアニメ版の『エヴァ』で知りました。旧・劇場版を 7 回も足を運んだり、フィギュア展を名古屋まで見に行ったり、ガレージ・キットやプラモデルに同人誌も買いあさったりする。

マンガ版も熱狂的に楽しんでいたはずですが──、いま読み返してみると、萌え要素なんて全体の 2% も見あたりません。なんだったら「硬派なマンガ」としても読めます。

まだ第 5 巻までは気楽に読めるけれど、第 6 巻からは重くて重くて──。少年時代に『エヴァ』と出会っていたら、もっとトラウマ的に影響を受けていたでしょう。良かったような、残念なような気がする。

さて、感想までドンヨリしては おもしろくない。シンジ君みたいに「誰かに認めて欲しかった僕」を語ることは ほかの人に任せて、いつものように お気楽な感想を書きました!

Volume 5 「墓標」

碇シンジ綾波レイの家に訪問する回は衝撃的です!

現役の女子中学生シャツ 1 枚の「パンツ履いてない」状態で おもてなしする──! (言うまでもなく、「パンツ」には 2 通りの意味があるよね……) なんという優良店──もとい、世間知らずなレイちゃんなのでした。

思ってる 本当のこと お父さんに 言えば いいのよ」とシンジに話すレイも興味深い。これまでは極力 抑えていた「綾波レイの母性」を感じさせる場面です。あの綾波が、ごく普通のコミュニケーション方法を説明している──という面白味もある。

──もうエヴァとかアダムとか使徒とかは置いておいて、貞本エヴァは日常パートだけで 20 巻分くらい続けて欲しかった!

しかし、「こんな楽しいことは 長くは続かない すぐに苦しみはまた やって来るだろう」──。それが『エヴァ』なんだよな……。


碇ゲンドウが、こんなにも明確にシンジのことを拒絶するとは思わなかった。たしかに「自分の足で 地に立って 歩け」は父親から息子への言葉には ふさわしいけれど、そこには愛情が感じられない。

その直後には、理解し合うことの無意味さをゲンドウは説いている。たとえ完全には理解できなくても、それでも話し合う生き物が人間であり、親子の姿です。ゲンドウは、父親の立場もヒトも捨て去ろうとしているのか──。

Volume 6 「四人目の適格者」

第 6 巻の見どころは、何と言ってもアスカのブr ──じゃーなくて、ツインテールの扉絵──も最高だけれど、鈴原トウジの話です。

シンジに気持ちを打ち明けるトウジが良かった。

第四の使徒との戦いでエントリー・プラグに乗っているから、トウジは実際にエヴァで戦う現場を知っている。それでも、自分ひとりでエヴァを動かす恐ろしさ・心細さとは比べものになりません。


先の展開を知っている読者は、トウジに軽々しくアドバイスをするシンジが、無責任で残酷に思えたのでは?

しかし、あの時点では惨劇など知りようがないし、友だちと一緒に戦える心強さをシンジが感じて普通です。妹の医療費のことも考えるとトウジは断われないし、先輩パイロットとしてシンジが励ますことは当然でしょう。

この「誰も悪くない」状況が、よけいにタチが悪い。


戦い──否、一方的な惨殺後のトウジを、あんなにもハッキリと描くとは驚きです。扉絵で笑っているトウジとシンジが悲しい……。

Volume 7 「男の戦い」

テレビアニメ版の『エヴァ』で一番好きな回は、第拾九話 「男の戰い」です。第 7 巻で分かるように、コミックスでは 1 冊分を要するくらいの話が 30 分間弱に濃縮されている。

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』では、参号機のパイロットも含めて大幅に変更が加えられました。削りようがないし足しようがない話に、あえて手を加えた挑戦に感動です。どちらの「男の戦い」も大好き!


この第 7 巻は、加持リョウジの物語と読めます。

加持は、アニメ版では「シンジの兄貴役」という印象くらいで、よく分からない人物だった。なぜ命を懸けてまで真実に たどり着きたかったのか──。

貞本さんは、冷酷な過去を描き足しました。軍人たちの行為は決して許されないが、それはリョウジの仲間たちも同じことです。彼らが略奪を続ければ、飢え死にする軍人が出るかもしれません。

「どうすれば良い?」の答えがない世界に生きている。

碇シンジのように「選ばれた人間(仕組まれた子ども)」の側に立って物語を傍観している読者には、今まで想像もしなかった光景です。

それでも、「幸せになっては いけない 運命」だとシンジに対して言う加持は、絶対に間違っている。「生きていこうと 思えば どこだって 天国になる」というユイの言葉とは対照的です。


それはそれとして──、「私たちには もう エヴァを 止めることは できないわ」→「S2機関は完全に停止してます」と、「初号機の体液を浴びたゲンドウがラストでキレイに なっている」という高レベルなギャグは健在でした。

Volume 8 「MOTHER」

「拘束された人型(エヴァの素体)」の幻覚をシンジは何度も見ています。その正体は、シンジの母親である碇ユイだろう──と思っていました。この巻を読むまでは。

しかし、シンジと同じくユイは「エヴァ初号機に 取り込まれて しまった」。そしてエヴァには「人の意志が こめられている」とのこと。

つまり、エヴァ自身にも「魂」が宿っている

リツコの母親である赤木ナオコ博士の意志(碇親子に対する執着心)と、碇ユイの母としての心と、エヴァンゲリオン自身の心──それらが「三位一体」となった心を初号機は持っている。そう考えました。


エヴァに取り込まれたシンジは、彼と一体化しようとした「母のイメージ」に会っています。あれは、日本で言うところの「地母神」や、「グレート・マザー」のイメージなのでは? もっと単純に「アダムより生まれしイヴ(エヴァ)」なのかも。

地母神 – Wikipedia


エヴァもレイも「人の造りしもの」として科学者的に扱いたいけれど、明らかに本人の意志を感じてしまう──。それが赤木リツコにとっての不幸です。レイの反抗的な態度に激情するリツコは、驚いたし恐かった。

リツコは、「母親には なれなかった女性」の象徴として描かれていると思う。


綾波レイという存在そのものが、シンジからは性的な対象として見ることを禁じられている」と前回の感想で書きました。シンジにとってレイは近親者(母親・ユイのクローン)的な存在──と見ていたわけです。

貞本 義行 『新世紀エヴァンゲリオン』 1~4 巻 感想 | 亜細亜ノ蛾

ただ、貞本版の綾波には、ユイの要素は皆無だと感じました。そのため、本部の庭で交わしたシンジとレイとの会話も、ごく普通の恋の始まりのように読めます。もし そうなら、どんなに良かったか──。

おわりに

アニメ版の登場人物は、ほぼ全員が「優等生の子ども」といった印象が残りました。「アダルトチルドレン」などという着飾った言葉で呼ばれたい気分──という感じ。それは庵野監督の人柄でしょうか。

マンガ版は心理描写が増えた分だけ、その人物を深く描ける。その付け足された味付けは、ほとんどが「心の中の醜い部分」でした。

「この人気キャラをより魅力的に見せよう」というサービス精神ではなく、より人間らしく紙の上に刻もうとしている。

その結果、「アニメだと好きだったけれど、マンガで嫌いになった」という読者も多いでしょう。そういう自分も、ただただ格好良かったアニメ版の加持さんのほうが好きです。

しかし、どんな人間でも、深く知れば知るほど嫌いな面が見えてくる。その事実から逃げずに、「自分のエヴァ」を創りだした貞本義行氏は、本当の創作者です。できれば、最後までその意志を貫いて欲しい──。