『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』 EVANGELION:3.0 YOU CAN (NOT) REDO.
「碇ゲンドウは、いったい何をしようとしているの?」
──上の問いに即答できますか? 『ヱヴァ:Q』を観て「意味不明」や「難解だ」と思っている人ほど、答えが的外れになるでしょう。
『新劇場版』は、『エヴァ』だけに多くの設定や用語が出てくるけれど、まずは あくまでも人間を中心とした物語として楽しむべきです(リリンのほかに使徒などもいるけれど)。
ところが、それぞれの登場人物は何を考えて行動しているのか──という視点から感想を書いた記事は少ない。「この時の作者が考えていることを書きなさい」という国語の問題に毒されすぎて、「庵野(総監督)なら──」とメタな視点からしか批評していません。
今回の記事は、「設定資料集」や「謎本」を片手に「解釈」するのではなく、各キャラの気持ちとシンクロして味わっています。辛(から / つら)かったり苦(にが / くるし)かったけれど、サッパリとした気分で楽しめました。
前回の感想: 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』 – やり直せる彼(女) | 亜細亜ノ蛾
また、ネタバレありの考察と感想に関しては、下のリンク先で asiamoth? とかいう人? が まとめているので、ぜひ ご参考にしてくださいね!
- 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』 【考察】まとめ! 【ネタバレ】【随時更新!】 – NAVER まとめ
- 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』 【感想】まとめ! 【ネタバレ】【随時更新!】 – NAVER まとめ
碇ゲンドウの目的
「碇ゲンドウは、ユイと再会したい」 ──このシンプルな答えを最初に導けましたか?
「ゼーレの持つ『(裏・)死海文書』を──」とか「『人類補完計画』を利用して──」から「解説」や「解釈」を始めた人は、たとえるならば「ドライブしたい」を「キーレス・エントリィ・システムでドアをアンロックして──」と言うようなものです。
ゲンドウのように、「たったひとり自分を愛してくれた人と、もう一度 会いたい」だけで人類を滅ぼすような計画を実行できるかどうか、一度で良いから真剣に考えてみましょう。
──きっと、「理解できない」という結論になるはず。
最初から「ゲンドウ、わけ分んねー w」と思考を放棄せずに、自分の頭で考えた末に「自分には理解不能だ」と結論を出すことで、ゲンドウの狂気を感じ取れます。──共感は できないけれど。
まずはゲンドウの目的が土台にあって、その上で碇シンジや葛城ミサトが踊らされていた──と考えていけば、『エヴァ』の物語が(すこしだけ)分かりやすくなる。
謎解きは、そのあとだ。
碇シンジの目的
『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』から『破』の半ばまでのシンジは、「父親に認められたい」という一心でエヴァンゲリオン初号機に乗っていました。14 歳の少年として行動原理が分かりやすい。『破』では「よくやったな、シンジ」とゲンドウも褒めてくれました。
ところが、「アスカぱっくんちょ事件」から父親への反抗──どころではない憎悪を抱くようになる。さらには「綾波ぱっくんちょ事件」のあとは、「シンジさん」へと進化した(してしまった)。
不可能を可能にして綾波レイを救い、「第 10 の使徒」を倒してネルフを救った事実が、「ゲンドウから認められること」以上の喜びに つながる。より多くの人から認められる「はず」だし、綾波との仲も進展する「はず」です。
(シンジがレイのことを恋愛の対象と見ていたかどうかは不明だけれど、少なくとも「前よりは自分を見てくれる」と彼は思ったはず)
『Q』のシンジにとっては、その「覚醒」が数分前の出来事です。ヴンダーの前に現われた「ネーメジスシリーズ」(人工の使徒?)も「オレがやりますよー! オレ、強いッスから!」と自信満々になって(調子に乗って)当然です。
──が、すべては redo(やり直し)になった。
『Q』後半のシンジは、ひたすらに「救われたい」という気持ちで いっぱいです。「救う側」から「救われる側」に移れば、普通なら気持ちが楽になるけれど──シンジには救いの場はなかった……。
渚カヲルの目的
意味不明なセリフだらけのカヲルも、いったんシンプルに考えると、「シンジを幸せにしたい」という本人が言っていたこと そのままの希望が見えてきます。
「カシウスの槍とロンギヌスの槍」が あれば何ができたのか──は、(まだ)描かれていないから推測するしかない。現時点で「正解」を求めることは無意味です。
もしも今の世界に絶望したシンジが、「槍があれば世界をやり直せる(どやぁ」──ことなんて望まずに、カヲルとピアノの連弾やホ【自主規制】ォ…を望めば、永遠に 2 人だけで生き続けたんじゃないかな。
──なんて非・生産的なアダムとイヴ! 故に美しい。
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冬月コウゾウの目的
冬月先生も「ユイくんに会いたい」が目的のはずです。
だがしかし! 他人の奥さまに対しての愛を隠すことなくゲンドウにくっついている生き方は、他人からは理解しがたい関係ですね。
そもそも「(元・)副司令」のわりには、冬月が自分から何かをしたことは、今回の「ゼーレ、アウトー」と将棋くらいでした。ネルフのメンバからも「冬月さん──必要ある?」とか思われていたのでは。それは さておき──。
冬月とシンジが まともに会話をしたことは、今回の将棋が初めてでした。『エヴァ』史上で初の快挙なのに、「大事なことをサラッと言う」(by. 『さよなら絶望先生』)だけで終わったことが残念です。
あと、『破』のカヲルが言う「初めまして、お父さん
」は、けっきょく「碇シンジの父親(= ゲンドウ)」という意味だけみたいでしたね。「白髪」・「とがったアゴ」・「手を隠す立ち方」から、「冬月カヲル説」を考えたのになー。
葛城ミサトの目的
ヴィレの一員となり(自分からヴィレを結成し?)、ヴンダーで仁王立ちするミサトの目的は──まだわかりません。加持リョウジの生死も含めて、次回で明かされるのでしょうか?
「空白の 14 年間」については、演じている声優さんでさえ知らないことだから、これまた想像するしか ありません。だから、劇中でのミサトの行動をよく観て、言葉に耳を傾けてみる──。
少なくとも乗組員の前では、シンジを「勝手な行動で多くの人々に犠牲を出した人物」としてミサトは扱っています。そのため、ミサトを「説明不足だ」と責めることは見当違いでしょう。「極悪人」に対して親切に説明する状況ではない。
それ以前に、もともとミサトは、父親に対する ゆがんだ愛情のためにネルフに入りました。自分自身の夢(使徒への報復)をかなえるために、シンジを利用していたことも認めている(テレビ版の第拾九話「男の戰い」と『破』にて)。
ただ、ミサトとアスカだけの「身内」でシンジと会った時に、態度が変わったかどうかは気になります。アスカはともかく、ミサトは「シンジくん、じつはね──」と話しかけたかったのかも。
赤木リツコの目的
最初はゲンドウではなくミサトに従っているリツコに驚きました。でも、旧エヴァや貞本版と違って、『新劇』のリツコにはゲンドウへの思いが ありません。
「科学者として最後まで世界の行方を見届けたい」──この純粋な気持ちが、『新劇場版』でのリツコを支えていると思う。私情が感じられない分だけ強いけれど、いつか もろく崩れそうで──怖い。
リッちゃんを演じている声優の山口 由里子さんは、「リツコは、オンナを捨てられない人
」だとパンフレットに掲載されているインタビューで答えていました。
しかし、『新劇』ではリツコの女らしさは あまり感じられません。また、パンフレットには「リツコ = オンナを演じてる
」とも書いてある。
──伊吹マヤとのことかーーーっ!!!
本当に『Q』には百合と薔薇が咲き乱れていやがるぜェ……!
ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Qを見てきたのでとりあえず一言 « おれせん。
式波・アスカ・ラングレーの目的
(ヴィレに?)雇われた兵士であり・熟練した兵士であるアスカは、何のために戦っているのか?
旧エヴァを含めて『破』までのアスカは、「他人から認められたい」という自己顕示欲が強い。そのため、同じ思いを持つシンジともシンクロしていました。──ほんの ひとときだけ。
『Q』のアスカは、最初から最後まで怒鳴って戦っていただけです。マリと違って、アスカは「エヴァに乗って戦うだけで幸せ」という性格にも思えない。
──「アスカ派」を自称して 15 年以上も経つけれど、今回のアスカが戦っている理由は見えません。これも次回に明かされるまでの お楽しみ──というか、明かされない気がするなぁ……。
今回のアスカは、私服の場面が一切なかった。プラグスーツの下が どうなっているのかも気になります(性的な意味で──ではなく)。
『新劇場版』では加持リョウジに対する(子どもっぽい)恋愛感情がなくなったことで、『美味しんぼ』の海原雄山なみに「ツン: 9.99・デレ: 0.01」くらいのツンデレ具合なアスカでした。
- リツコ
- 「まさに作品の垣根を越えた究極と至高のツンデレ対決ね!(太鼓を叩きながら」
- シンジ
- 「(またリッちゃんが解説キャラに なってる……)」
──ってか、リッちゃん太鼓って公式だったのか!?
真希波・マリ・イラストリアスの目的
昭和の歌謡曲を歌ってニャーニャー言うこと(完)。
おわりに
4,000 文字近くも書いておいてブチ壊しにするけれど、「庵野秀明 総監督の思考をトレースすること」と「『エヴァ』を理解すること」とはニア・イコール(近似)なんですよね。良くも悪くも。
ただし、サード・インパクトと同じで、「ニア」が付くから同じではない。両者の違いには、スタッフや視聴者たちの思い(や恨み)が込められている。だから今回は、登場人物の内面に注目してみました。
ゲンドウの言動()が理解できない理由の 1 つは、庵野さんに「そこまでして会いたい人」の影が見えないからかも。奥さまも いらっしゃるし。
──あ、結婚する前の みやむーとか!?(禁句)