『暗殺教室』 第 134 話 「過去の時間」
たった 2 年で ここまで人は変わるのか!
──という話でした。殺せんせーの場合は、文字どおりに「ヒト」では なくなったけれど……。
人間だったころの殺せんせーには面影が あります。
一目見て「あ 殺せんせーだ!」と分かる。ただし、「いつもニコニコしている」印象は同じでも、今と過去とでは その意味合いが まるで違う。
彼を変えた「原因」もまた、静かに微笑む──。
教師の昔
殺せんせーは、数千人を殺した 殺し屋
には違いない。
しかし、その暗殺対象は、戦争に関わるような人物が多かったのでは。いわゆる「悪しか斬らない殺し屋」を望んでしまう。
金のための殺人が ほとんどだろうが……。
殺せんせーが語る過去には聞き覚えが あります。
自分から「死神」と名乗った男──死神の二代目が話していました。イリーナ・イェラビッチに語った二代目の「身の上話」は、たんなる殺せんせーの受け売りです。
「死」だけを 信じて育った
殺せんせーだけれど、弟子の事をそれなりに信頼していました。なぜなら、「殺せば 人は死ぬ
」という真実まで同じ口調で二代目が語っている。
それなのに、なぜ裏切られたのか──。
巣立ちの時
二代目の父親を暗殺した殺し屋は殺せんせーだった。
だから、二代目の裏切りは「父親の敵討ち」という理由なら納得が できます。あとになって殺意が芽生えてきた、と。
しかし、実際は「死神」の 名声と技術
のためでした。
あくまでも二代目は、殺しの技術(スキル)を高めるためだけに生きる。その姿は、ひとりで活動していた初代と同じくらい純粋なのかも。
強者の証明
絶対的な 力の差も 見せつけてきた
場面が興味深い。
本物のナイフを使って威圧感を与える方法は、あの鷹岡 明と まったく同じです。この あたりは、格闘家や武道家も共通している。師弟関係の植え付け方について、以前に書きました。
鷹岡を見て、殺せんせーは何を思ったのだろう。
かつての「間違った師匠」としての自分を振り返ったのかも しれない。その幻想を打ち砕いてくれた潮田 渚には深く感謝したでしょう。
道具と使い手
柳沢と あぐりは、どんな関係だろうか?
「"天才科学者"の柳沢」は、「雪村あぐりの婚約者」
と前回の感想で予想しました。ところが柳沢は、あぐりを「モルモット
」扱いしています。
「全てを奪った
」と言って殺せんせーを憎んでいるけれど、あぐりという「実験道具」を壊された程度の意味だったのかも。
また、ここで疑問が わいてきます。
あぐりが死んでも誰も 文句を言わない
と柳沢が断言する理由は何だろう? 妹である あかりの存在を知らなかったのか?
研究所は外部の人間も 雇いにくい
状況です。
あぐりを従順で そこそこ優秀
と柳沢は評価している。以上から、あぐりは柳沢の身内の人間と思われます。「柳沢の教え子」だと見ました。
死から師へ
「教える側として 私に何か 足りなかったのか?
」
その疑問は、殺せんせーが立派な教師を目指した理由の一つでしょう。ただ、それだけで冷酷な殺し屋が先生に変わるだろうか?
あかりを「柳沢の実験道具」と上で推測しました。
この言葉は皮肉でも なんでも無く、本当に柳沢の研究から生まれた「成果物」という可能性もある。この死神を第 1 話の殺せんせーに変えたのは、あぐりの優しさや愛情では無かった。あぐりの能力による結果なのでは。つまり──。
あぐりは(服装以外)普通に見えて洗脳術の使い手だ!
おわりに
二代目を見てハンニバル・レクターを思い出しました。
『レッド・ドラゴン』『羊たちの沈黙』『ハンニバル』の映画版 3 部作にて、レクター博士はアンソニー・ホプキンスが演じました。彼の迫力ある演技と眼力は、一度見たら忘れられない。
しかし、ひねくれたミステリィ読みは こう思う。
──「国際的な指名手配犯が、素顔をさらしたまま捕まらないのは おかしい」と。
そう、そのとおりです。
原作であるトマス・ハリスの書いた小説版では、レクター博士は整形手術をして変装しました。ついでに言うと、もともと博士は多指症で片指が 6 本あります(後に手術で切断)。
これらを映画版でカットした理由は、「アンソニー・ホプキンスの演技のジャマになる」からと「分かりやすさ」でしょう。もっとも、カラー・コンタクトや付け鼻を付けても、ホプキンスのオーラは隠せないけれど。
さて、二代目は どうか。
花屋の時には まったくの別人に変えて欲しかった。マンガだったら「何でもアリ」です。「変装の達人」を強調するためにも、いっそのこと女性になりきるくらいの変化が見たかったな。
題名は「月日変われば気も変わる
」から借りました。
一年中が三日月になってしまった現状と、「死神」の師匠の変化を示しています。変わった順番が逆だけれど。
似たような意味の言葉は多く あります。
それくらいに人の心は変わりやすい。別人かと思うほど態度を変える人がいます。自分自身では気がつかないからタチが悪い。
ところが、後悔の念は なかなか消えてくれません。「諦めは心の養生
」を心がけたいものです。また、「明日は明日の風が吹く
」と天候のせいにしてしまう大らかも持ちたい。