『暗殺教室』 第174話 「顔色の時間」
卒業には、寂しさと切なさが詰まっている。
生徒は巣立っていけば教え子
では なくなります。恩師からの教えを一生の糧にする生徒もいれば、教師を忘れてしまう人もいるでしょう。
しかし、生徒の卒業後も、先生は先生のままで残る。先生を卒業しない限りは──。
あと、なぜか最近では「卒論」のほうが よく聞くけれど、それは置いておいて。
身も心も暗黒に
殺せんせーは過去最大の怒りで爆発直前です!
これで2度も「救えなかった」ことに対する自分自身への激怒も あるでしょう。当然、雪村姉妹に対する悲しみも込められています。
闇の黒こそが破壊生物の本性
と柳沢は言う。
触手生物を作りだした柳沢にとっては、目の前の教師は大量破壊兵器の一種でしかない。 いや、婚約相手も将来も何もかも奪われた──と柳沢は思っている。だからこそ、「『モルモット』は偽善者面
した絶対悪だ」と信じ続けた。
その歪んだ思考は、いまの殺せんせーよりも醜い。
命の光
殺せんせーの「白」の表情が あらためて笑える!
このシリアスな場面を想定していなかった せいか、顔文字のような無表情です。また、柳沢が「シロ」を装っていたことも皮肉が効いている。
もしかしたら、「二代目」に最期の一撃を放った時も、この純白
顔だったのかも。だったら二代目も柳沢も気の毒すぎる。
光の三原色であるR/G/Bの混色で強大な力を得た!
なぜ殺せんせーが発光しているのかは謎ですけどね! でも、いかにも少年マンガらしくて良かった。
『ジョジョの奇妙な冒険』第3部のラスト・バトルで、空条 承太郎が急に空を飛び出したことと同じ理由でしょう(= その場のノリ)。
命を賭けた授業
殺せんせーは「殺せない先生」という意味の名前です。
そして同時に、「殺さない先生」でもある。「死神」時代とは正反対──というよりは別次元の生き方を彼は選びました。
ところが「殺せんせー」に なって以来、初めて人の命を奪っています。もちろん仕方のない状況ではある。しかし、殺せんせー自身と生徒たちは許せるだろうか?
天才の末路
柳沢 誇太郎の最期が哀れでした。
空中で何もできずに もがく無様な姿には、『魔人探偵脳噛ネウロ』が頭に浮かびます。
柳沢の優秀な頭脳であれば、ほんの数秒間の間に絶望を何回も味わったでしょう。走馬燈を見ることもなく、過去を反省するでもなく、ただただ助かりたい一心でジタバタする。なんとも彼らしい断末魔でした。
おわりに
「ジャンプ」マンガで「白」と言えば!
『シャーマンキング』の「阿弥陀流 無無明亦無」を思い出してしまいます。『HUNTER×HUNTER』や『BLEACH』の原稿も白いけれど、王者には勝てません。
一方、『暗殺教室』には手抜き感が ありません。
今回の極大エネルギィ波も しっかりと描かれています。殺せんせーの一撃と月の白色が、夜空や森の黒色に映えている。殺せんせーの顔は「手抜きの象徴」みたい分だけ、ほかの部分には全力を惜しみません。
そもそも、いちおうはバトル・マンガの側面を持っているのに、「必殺技の名前を叫ばない」点が珍しい。作者の松井 優征先生はベタな笑いが好きでよくネタにしているのに、肝心なところでは独創性を発揮しています。
この唯一無二な作品が終わるのは嫌だぁぁーーーーーーーーッ!!
(バチュッ
)
題名は「仏の顔も三度まで
」から借りました。
みなさんも ご存じの言葉ですね。今回のタイトルは元の意味からは完全に離れていて、自分の願望が入っています。怒りっぽい先生だから何度も腹を立ててしまうけれど、一生──いや亡くなってからも教育者でいて欲しい。
また、「秋の雨が降れば猫の顔が三尺になる
」という言葉も あります。こちらを改変して「先生の顔が三色になる」でも良かったけれど、ネタバレにも程がある。
ところで、「顔」という漢字は奇妙に見えます。
なぜ これでカオなのか。とくに、半角に圧縮された「彦」の部分がモヤモヤしてしまう。ちなみに顔の部首は「頁(おおがい)」で、こちらも何かだか虫っぽくてゾクゾクくる!