『暗殺教室』 第175話 「戻らない時間」
先生が生徒に与えられるモノは多くありません。
限られた時間のなかで、先生は多くの生徒を見る必要がある。そこには公平さが求められます。熱心に個人を指導すればするほど、ほかの生徒や保護者から不平等だと非難される。
一方では、「死神」と「二代目」の関係は特殊でした。
共同生活を送りながら、完全に個人指導が可能です。殺し屋を熱望する二代目には最高の環境でした。
しかし、死神には先生に必要な「見る目」が無い。
穏やかな日々
「二代目」の才能が回想の中で語られます。
花を上手に生けることは、標的を和ませる技術
として学んだだけかも しれない。「死神」に気に入られようと必死に考えただけで、重要なスキルとも思わなかったかも。
ただ、E組の生徒に近づく際にも、二代目は花屋を選んでいます。もともと花が好きで、草花を愛して育てる素質が あったに違いない。
もしも二代目がナイフや銃ではなく花を選んでいたら。
どうしても その可能性を考えてしまう。今となっては遅すぎるけれど──。
たとえ二代目が花屋の店主になっても、認めて欲しいと思える師に出会えなかった かもしれません。しかし、多くの人々の笑顔を見られたでしょう。自分だけのスキルを身につけられた見込みもある。
死闘より指導
殺せんせーは、戦いながら茅野を守り続けていました!
じつに先生らしい行動です。下手をすれば命を落とす状況なのに、何よりも生徒の無事を優先している。
赤羽 業が登場したばかりの話を思い出しました。
殺せんせーは調理実習で離れ業を見せています。飛び散ったスープをスポイトで すべて空中で吸い取っていました(※)。
いま思えば、あのころから緊急事態に備えていたのだな──(『ONE PIECE』や『BLEACH』もビックリの後付け──もとい伏線!)。
(※同時に、萌え萌えなエプロンをカルマに着せている。これは「フが付く女子」の受けを狙ったり攻めを狙っているのではなく、ごくごく自然な教育的指導である──ワケがない)
狂気に等しい優しさ
殺せんせーはサラッと恐ろしいことを手術中に言う。
「例え君達の体がバラバラにされても蘇生できるように備えていました
」とのこと。頼もしい発言にも聞こえるけれど、その「裏」を想像すると背筋が寒くなる。
つまり、「生徒たちの命が いつ奪われても おかしくない状況」を先生はずっと想定していた。毎日毎日、自身が暗殺されながら──。しかも、「先生がその場に いさえすれば
助けられる」という限定された条件も頭に あったはず。
殺せんせーは いつもノンキな表情を見せていました。
その一方で、殺せんせーは いつでも予期せぬ危機を予知し、不測の事態に備えてきたでしょう。つねに最悪の状況を考えてきたの かもしれない。
どれほどの神経を使ってきたのだろう。あらためて殺せんせーの怪物性が見えました。
誤りの後
人間は、誰でも必ず間違いを犯します。
完全無比の殺し屋である「死神」ですら間違いだらけの人生を歩んできました。弟子である「二代目」は言うまでも ありません。
間違いによって他人を傷つけ、自身も心を痛める。
「大事なのは
過ちを繰り返さない事
」です。
二代目には悔い改める機会が最後まで なかった。柳原 誇太郎には その気すらない。
生徒たちは、人生の中で何度も間違えていくでしょう。そのたびにE組の思い出を振り返り、成長していくはずです。
そして殺せんせーも、無事であれば──。
おわりに
公衆の面前で女子中学生の胸が丸見え……だと……!?
という「『To LOVEる』では よくあること」な茅野カエデの手術です。潮田 渚への恋心も丸出しだし、なにかと恥ずかしい思いばかりしている。
しかし──、なぜだろう?
思春期以降の女子にあって しかるべき「ふくらみ」が自分の目には見えません。たったたたぶん、きっと、「青少年保護育成条例」に沿って規制した描写ですよね!
厳しい世の中だなー(Aカップ以下に とっては)。
タイトルは「覆水盆に返らず
」から借りました。
みなさん ご存じの言葉でしょう。しかし、太公望(呂尚)の言葉が出典だと知っていましたか?
しかも、太公望は結婚していました! 藤崎 竜版『封神演義』のイメージしかないので、大きな違和感を覚えます。
どうか、覆水盆に返らずな結婚をしませんように──。