『バクマン。』 23 ページ 「天狗と親切」 (週刊少年ジャンプ 2009 年 10 号)
本作品で言われている「王道バトルマンガ」の中でも、生き残る作品とはどんなものか。
超人的な強さを持った戦士が超人技を駆使した超人バトルを繰り返したり(「強いから強い」理論)、美形な戦士がスタイリッシュに戦ってばかり(「格好いいから強い」理論)、というマンガは すぐに飽きる。
何か、もうひと味は欲しいところだ。そのひと味にこそ、作者の力量が見られる。
かといって、「意表を突く展開」や「意外な一面」として描いたエピソードが、ストーリィやキャラクタを壊してはダメだ。
別のマンガの「石」とか「本物」とかの話はヒドかった。何の伏線もなく、唐突すぎるからだ(昔は面白かったので、それでも今後に期待してしまう)。
『バクマン。』の作者は、キャラクタのさまざまな面を描くのが非常に上手だ。とくに、今週号はキャラクタ描写の見本市のような回だった。
メリハリをつける
連載マンガを描くのは大変だな、と改めて思い知った。
自分では話が作れないはずのサイコーが、エイジのマンガを批評している。それはもちろん、長年の間に大量のマンガを読み続けてきたからだ。同じように批判ができる読者も多いはず。
しかし──言うは易く行うは難し。どんなマンガ家でも、初めて連載マンガを描くのは、デビュー作になるはず。デビュー前にどれほど大量にマンガを描いても、ほとんどは「読み切りマンガ」なのだ。いざデビューしてしまうと、そこから先は真っ白な地平がどこまでも続く。
週刊連載のマンガ家とは、なんと大変な仕事なのか……!
「とりあえず新人の期間は先輩の仕事を見て覚えて、それから──」などと悠長なことを言っていられる仕事なら気楽だ。歓迎会で気になるあのコを紹介してもらうのが待ち遠しいことだろう。しかし、週刊誌で連載するマンガ家には、次から次へと締め切りがやってくるのだ。
考えてみると、人生は一発勝負の連続だ。上手に泳げることを確信して、それから水に入る人は いないのだ。胎児のころ、最期まで幸福な人生が保証されてから生まれよう、とは思わなかったはずである。ならば、成功する確証を持たずに連載を開始することも当然なのだ。
ただ、問題なのは、新連載の半分以上が 1 年ももたずに消えてい
ったあと、2 度とその作品の作者を見なくなることだが……。
スランプを脱したとしても、シュージンには連載の経験はない。サイコーが今の職場から持ち帰ることができる最大のものは、「マンガを連載する感覚」だろう。
雄二郎テキトーーッ
前回に登場したばかりだが、自分の中で福田の好感度が急上昇している。
なんといっても、福田は雄二郎に文句を言っているところが良い! いいぞ、もっと言え!
──というのは冗談だが、この作者はキャラクタの印象を二転三転させるところが本当にニクい。
『バクマン。』で何度も見せているキャラの印象の変化が良いのは、芯がぶれていないからだ。初登場のころから、福田は福田のまま、印象だけを変化させている。「ページ 1」からかなり変化したとはいえ、サイコーもサイコーのままだ。冒頭で例に出したマンガとは決定的に異なる。
思い返すと、自分はこの「キャラクタや話を壊さずに印象を変化させる」ことが好きだ、と分かった。エヴァも第拾九話で狂気の目をして使徒を追い詰めるシンジにゾクゾクしたし、『寄生獣』の「ミギー、防御たのむ」も同じ系統に入れていいだろう。再開待ちの『HUNTER×HUNTER』でのゴンも強烈に印象が変わった。
ただ、これだけだと「不良が雨の日に子犬を──」みたいなエピソードと同じように聞こえる。もっといい例を思い浮かばないのが残念だ。
現実の世界に生きている人たちも、接する人によって印象はさまざまだ。ある人には恐そうなゴツい男に見えても、ある人には頼もしく見える。気っぷのいい江戸っ子と思っている人や、ただのエロオヤジと思っている人もいるだろう(あ、これだと両さんか)。
「事実は小説よりも奇なり」という言葉がある。これを格言──むしろこの世の真実だと信じている人は多い。実際は、詩人が書いたたんなる言葉──つまりは創作だ。事実よりも、もっと不思議で面白い創作は できるはずである。
そして、『バクマン。』には最大限の期待をしても良いのだ、と心から思う。