『バクマン。』 39 ページ 「文集と写真集」 (週刊少年ジャンプ 2009 年 27 号)
今週号の『バクマン。』には、ビックリした点が 2 つある。
それは、高浜という人物と描写と亜豆の言動だ。この 2 人への印象が、大きく変わった。
──いや、やっぱり「亜豆は よく分からない」という部分には変化がなかったけれど……。
人の印象なんて、そのときどきで変わる。
ヤ■ザだって猫をなでる時はウットリとした笑顔になるし、しょこ■んだって たまには「キモオタ、ギザウザスッッッ」と思うこともあるだろう(ないかも)。お笑い芸人の多くが、普段は無口で無愛想──というのは有名な話である。
「あの人は○○だ」なんて決めつける人は、よっぽど人を見る目がないのだろう。あるいは人嫌いか。
マンガのキャラクタは記号的であるほうが良い、という向きもある。なるほど、「ピカチュウ」「バケラッタ」「なん……だと……」としか言わないようなキャラクタは、分かりやすい。
しかし、本作品のミリョクは、人物の描写が真に迫っていることだ。『DEATH NOTE』もそうだったが、『バクマン。』のほうが、よりリアルに感じる。
2 話目も上がり !
サイコーと港浦との会話を聞いて、ジャンプで新連載を始める苦労を感じた。
連載する前から「悪い結果」に対する準備をしている。探偵マンガなのにバトル方向に スライドしていく
展開まで考える必要があるのだ。これはツラい。
というか、いまだにジャンプは「人気が落ちたらバトルマンガへ変更」を鉄則として考えているのか……。誰か自分に、その方向で成功したマンガを教えて欲しい。
──と書くと『ドラゴンボール』や『幽☆遊☆白書』といった作品の名を上げる人がいるだろう。しかし、考えてみて欲しい。この 2 作品でさえ「人気が落ちたからバトル路線」になったのではない(はず)。「バトルマンガになってから人気が出た」のだ。順序が逆なのである。
「人気の落ち目になったアイドルが脱ぐ」みたいな話で、どの業界の人間も考えることは同じようだ。賞味期限が切れかけた食材を加工食品にして売るようなものである──というのは言い過ぎだろうか。
相変わらず気が滅入る
当たり前のように、港浦は高木と打合せに行く。あれ? いつからサイコーとシュージンとで別々に打合せをするようになったんだろう。
見吉が来てフンイキが良かった仕事場は、一時的だったようだ。作画のジャマにならないように、高木がエンリョしたのだろう。あるいは、港浦の指示かもしれない。
そのあたりの描写がないため、すこしだけ不安になってしまう。
また、夜遅くまで執筆を続ける真城たちを見ると、「話を作る人間は楽だな」と思ってしまった。それは、すべての作家に対して失礼だ。──とは思うけれど……。
僕にも小河さんにもない
仕事場での高浜の態度を、小河は気にしている。それは分かるのだが、サイコーは どう思っているのだろうか。
この仕事場の主人は真城なのだから、自分でフンイキ作りをしていくべきだ。一人だけ音楽を聴く者がいて注意するかどうかを迷ったり、静かすぎることがイヤなのであれば、音楽を流せばいい。
──高校生に そこまで期待するのは、ムチャかもしれないが。
ここに来て初めて
なんと、高浜は口が きけるのであった! 『少年アシベ』に出てきたスガオくんのように、話ができない人物なのかと思っていた。
今週号のサイコーは、妙にデフォルメされている。高浜と初めて会話をして驚いている場面では、まるで岡崎京子さんのキャラクタみたいだ。
夢は大きくて いい
いつから真城は こんなに性格が良くなったのだろうか。
今までしゃべらなかった人物が、とつぜん大きすぎる夢を語り出す。それを聞いたサイコーは、まるで悪い印象を持っていない。高浜に賛同している。
以前からずっと「サイコーは性格が悪い」と書き続けてきた自分だが、見解を改めた。
真城に一番の影響を与えたのは、高木に間違いない。それと、服部や港浦との出会いも大きいだろう。本当に、サイコーは人との出会いに恵まれている。
マンガ家はアーティストなのだから、性格の善し悪しは関係ない。──そういう見方もあるだろう。
しかし、言い方を選ばなければ「マンガ家も客商売」なのだ。お客──読者の要求に応えられないマンガ家は、ただ単に趣味で描いている人、なのである。
マンガの天才である新妻エイジという人物を出して、彼ですら人の意見を取り入れる場面を描いた。その意味を、じっくり考える必要があるだろう。