『プレステージ』 (The Prestige)
ふんいきがバツグンに良いサスペンス映画でした!
舞台は 19 世紀末のロンドン──切り裂きジャックのいた時代です。レトロなファッションと近代的な設備が混ざり合った街並みが、なんとも美しい。
霧の煙るロンドンの街──闇夜にまぎれて殺人者が暗躍し──またひとり消えていく──、みたいな場面は、まったくありませんケドね! 2 人のマジシャンが主人公だけに、そういった非科学的な描写はほとんどありません。
──後半までは……。
なんだか意味ありげに書きましたが、自分にはこの映画の後半は納得がいきませんでした。前半の良さを、すべて台無しにしている。でも、「観なかったこと」にするには、あまりにも惜しい映画です。
そこで今回は珍しく、「この映画の何が不満だったのか」を主題にして感想を書きました。
まぁ、この映画の見どころは、上で挙げたように舞台の素晴らしさと、オリヴィア(スカーレット・ヨハンソン)の美しさだけで十分です!
あとはロバート・アンジャー(ヒュー・ジャックマン)とアルフレッド・ボーデン(クリスチャン・ベール)との対決に目を凝らすだけで良い。それだけでも楽しめる作品でした。
不満 1: 共通認識の「確認」
前半の雰囲気が最高に良いだけに、後半の理不尽さが残念でしたね。
ここで、「何が起こったのか」の共通認識を得るために、下のすばらしい解説サイトをご覧ください。
「ファロンはボーデンの複製」かどうかは、劇中ではハッキリと示されていません。でも、まず間違いないでしょう。ただの双子が、あそこまでマジックに(文字通り)命を捧げられない。
さて、不満の点はいくつかありますが──、まず、ニコラ・テスラの装置を使ったアンジャーのマジックに疑問が残った。
あれだけ素早くステージ上から二階席へ移動してしまうと、マジックに詳しい人なら完全に「ああ、入れ替わりだな」と思うに違いない。
そのため、アンジャーの立場から考えれば、「自分のマジックのタネを、ボーデンが探りに来るはずだ」という思考になるはずがありません。
たとえば、ボーデンがテスラの装置について知らなくても、「よく似たヤツを見つけてきたな」で終わってしまう。あの装置がコピーを生むことを知っていれば、自動的にタネは分かる。
いずれにせよ、アンジャーの舞台まで探りを入れにボーデンが来る可能性は、どこにもありません。あるとすれば──、映画のとおり、「わざとワナにかかりにきた」くらい。
不満 2: 回りくどい「展開」
ということで、「アンジャーは毎回自分を殺しながら、ボーデンをおとしいれる機会を待っていた」──「と見せかけて、じつはボーデンのほうがアンジャーをだましていた」──がこの映画の真相です。
──いやいや、回りくどすぎるだろ!
上記のこと──プレステージを実現するためにボーデンは、おぼれ死ぬアンジャーを目撃し、逮捕・起訴され、監獄へ入れられ、絞首刑になる──までを、自分の分身に強制させている。分身のほうは、愛したオリビアにも会えずに死んでいく……。
死刑になったほうの彼(分身? 本人?)は、もうひとりの彼が愛したサラを(間接的に)自殺に追い込んでいるから、このような仕打ちにあったのでしょうかね? それにしても、ひどすぎる。
不満 3: すべてを台無しにする「偉業」
上に挙げた 2 つの不満点は、人によっては「言いがかり」に聞こえるでしょう。完全に第三者である観客だから言えることであって、劇中のアンジャーやボーデンはそう行動せざるを得なかった──とかなんとか。
でも、次の点はフォローできないと思う。
──見事なプレステージを見せびらかし、自分が勝者であることを見せつけたボーデンは、恐ろしいことをしたあげく 何も得なかったな
とアンジャーに吐き捨てる。
そのボーデンが最後に何をしたかというと──、銃でアンジャーを撃ち殺すことでした。
マジック関係ねェエェエェ!!!!!1
殺さずに「お互いに多大なモノを失ったが、これからは一緒にマジックを続けよう。ガシッ(握手)」という道もあったはず。または、どうしても娘のためにアンジャー(コールドロウ卿)を始末したければ、マジックで解決して欲しかった。
そもそも事の発端は、アンジャーの妻・ジュリアをボーデン(の分身?)が死なせてしまったことでした。その仕返しのため、アンジャーがボーデンの指を奪った時には、一応は「マジックを利用した事故」に見せかけている。
そう、ここまで 2 人とも人生のすべてをマジックにかけてきたのに、最後の最後で「パン!」で終わりですよ。なんじゃそりゃあー!
「ハリー・カッター(マイケル・ケイン)は、いつアンジャーを裏切ったのか?」とか「なぜ、テスラはこんな『金の成る木』を放棄したのか?(宝石を複製するなど)」・「エジソンの子孫からクレームは来なかったのか?」といった疑問も、一発の銃声がかき消しました……。
非科学的は罪?
ニコラ・テスラが作った装置が非科学的であることは、自分には減点になりません。なんといっても、テスラがデヴィッド・ボウイだし!(?)
たしかに、ずっと「タネのあるマジック」を見せてきて、ミステリィ要素のある映画と思っていたのに、いきなり SF かよ! と言いたくもなる。でも、それはまだ「映画としてのどんでん返し」として楽しめました。
ただ、せっかくの装置も使い方がマズい。もうすこし良い見せ方があっただろうに──、と残念でした。
改善案
なるべく自分は、文句を言うなら改善の例を挙げるようにしています。言いっ放しは気持ちが良いけれど、格好悪い!
自分が脚本を書くならば、テスラの装置が「瞬間移動装置(カット・アンド・ペースト)」ではなく「物体複製装置(コピー・アンド・ペースト)」であったことは、映画の最後で示しますね。冒頭に出てくるシルクハットと絡めて。
そして、コピーができることはボーデンだけに気づかせて、テスラにはアンジャーに装置を渡さずに退場いただく。アンジャーはテスラにも頼れず、ボーデンのトリックも見破れない。
そのうち、アンジャーはカッとなってボーデン(の分身)を殺してしまう。実刑判決を受け、死刑になる直前にアンジャーは、不敵な笑みを浮かべながら絞首台を見つめる男──ボーデンを発見する。
ようやく、テスラの敷地で見かけた「大量に捨てられているシルクハットの謎」を解いたアンジャーだが、時はすでに遅く──。
蛇足の確認
もうすでに、自分から水槽の中へ飛び込むような苦行になっていますが──、今回もタイトルはゲーテから借りました。『ファウスト』の一節(自由も生活も、これをかちとろうとする者は、日ごとに新しく闘いとらねばならない
)です。