『バクマン。』 90 ページ 「芸術と商品」 (週刊少年ジャンプ 2010 年 29 号)
三回目の「今週のジャンプまじ面白すぎ」コーナは、『保健室の死神』です。
ハッキリ言って『保健室』は──、もう、お色気路線でしか票を稼げないのかと思っていました。それが今回は、頭脳戦をキッチリと描いている。面白かった!
ついでに言うと、アシタバって──ナヨナヨしてウザい「碇シンジ・クローン乙」だったのに、今回は格好良かったです。
気を抜くとまたすぐに人気取りを始めそうですが──、しばらくは今回のような緊張感のある展開を続けて欲しいですね。
さて、マンガ家も編集者も読者も、テコ入れというモノを勘違いしているようだけど──、単純な「お色気とバトル」では人気が取れないのです! どういう事かと言うと──、
『HUNTER×HUNTER』や『ドラゴンボール』・『スラムダンク』って、ただただ「戦っている」だけで面白かった──のではないですよね? 大ざっぱに言えば、「知的な戦い」──頭を使って戦うところが最高に面白かった。
たとえば──強敵に出口をふさがれている状況を、ゴンとキルアはどう切り抜けるか──。絶対に勝てないほど強いフリーザから、どうやってベジータはドラゴンボールを奪うのだろう──。シロートの桜木花道は、なぜ猛者(もさ)たちの中で対等に戦えるのか──。
──作者は考え抜いた末に名場面を描けたに違いない。
それなのに、単純にキャラを脱がしたり、バトらしたりするだけで人気が取れる、といまだに思っていたら──甘いにもホドがある。
商業主義に走りすぎるのも良くないですが、走るならその前に、「本当に売れる作品とは何か」を考えるべきですね。
あと、女性のコスプレイヤさんは大至急、(半ケツ・半■■の)操たんのコスプレをやるように!(いままでのいい話が台無し)
これと同じタイトルの 外国映画
森屋・白鳥の性格がだんだんと分かってくるページです。たぶん、彼らの衣服が「黒/ 白」色をしているのも、「男性的/ 女性的」な印象なのも、対比させるための演出でしょうね。
どちらかと言うと、森屋は取っつきにくく、白鳥は接しやすい印象である──、このページではそう描いてあります。
もう、「猫の目のようにキャラクタの印象をコロコロと変える」という、この作者の手法は読み慣れていますからね! そう簡単には、2 人の性格を見抜いた──とは思えません。
おとなしそうな面影をしている白鳥に、コロッとだまされたりしませんよ!(ぜひ、だまされたい──という女性は多そうだけど) 森屋も、どうせハートウォーミングなエピソードが待っているに違いない!
──ひねくれ者は、こうやってマンガを読むのです。
何か間違って ますよね
「ジャンプ」のシステムに森屋が疑問を投げかける! その姿は、かつての福田を思い出します。まぁ、編集者に面と向かって文句を言った、福田のほうがスゴイですけどね。
以前に描いたことと同じテーマをもう一度語らせるなんて、このマンガではかなり珍しいことです。ただでさえ、毎回の展開が速すぎるというのに。それくらい大事な話だ──ということでしょう。
森屋の言うことは分かるけれど、白鳥の意見も正論です。ただ、マンガ家を人気商売
・マンガを商品
──とハッキリ言われると、なんだかサミシイ気がしますね……。
芸術か ……
森屋は、初対面から「芸術家肌」という感じでした。だから、マンガは自己表現であり 芸術ですね
、というセリフもスンナリと受け入れられます。その言葉の善し悪しはともかくとして……。
一方、白鳥は──ここに来て、意外な一面が見えてきました。
何のポリシィも持たずに、白鳥は絵を描くことが好きなだけ──なのかと思ったら、自分の主張をハッキリと通す性格なんですね。しかも、ちょっとイヤミっぽく……。それに、マンガというモノに対して、かなり冷めた考えをしている。
──これが、白鳥の本性なのか。
だったら 失礼しました
サイコーとシュージンは、初めから売れたいと思って描いて
いる。より具体的には──「1 ページ」を見ると、
サイコーは亜豆と結婚するために──、
シュージンは金持ちになるために──、
──マンガ家を目指す。
さらには、川口たろう先生は女にモテたかった から
マンガを描き始めたという……。
主人公たちは全員、かなりストレートな理由でマンガを描いているのです。
第 1 話で「芸術のためにマンガを描こう!」と熱っぽく語るような、劇画調の主人公だったら── 90 話まで来なかったと思いますケド。
僕達の親の 世代の親
サイコーが語った内容は、やっぱり──すこし悲しい感じですね。
文化として恥じる事のない作品を 描くべきだと思う…
でも そこまで力のない僕達は 読者の人気をどうすれば取れるか それを考えて描くしかないんです
つまるところ、マンガを文化として──芸術作品として描くか、商品として描くかは、マンガ家の才能によって変わってくる。でもそれは、自分で決めるのではなく、才能の有無によって決まってしまう。
『バクマン。』の世界で、読者の顔色を一切うかがわずに描いているのは、新妻エイジくらいです。「芸術作品を描いている」という意識を、彼が持っているのかどうかは不明ですが──、
──そもそも、芸術家にはそんな意識などないと思う。
自分の描いている作品が、芸術なのか商品なのかを考えた時点で──芸術家ではないのかも。とはいえ、芸術家も、カスミを食って生きているワケでもない。パトロンがつかない限りは、どうしても客商売になる。
いま、ピンと来た。すでに一生分くらいは遊んで暮らせるであろう──、
──エイジがパトロンになればいいのだ!
「有限会社えいじー」を出版会社としてスタートさせて、アンケートとは無関係に「本当に面白いマンガ」だけを載せるのです!! エイジは編集長と作家を兼業して、心置きなく「亜城木先生」と永遠に戦い続けられる。
と、書いているウチに急激に冷めました(えー)。
たぶん、同じようなココロザシを持った雑誌はいくつかあるハズです。しかし、「ジャンプ」ほどは売れていない。それは、「多くの読者を楽しませる」という観点からも、商業的にも──失敗と言えるでしょう。
けっきょくは、「読者に支持される作品」を「売れている雑誌」に描くことが、できるだけ多くの人に 楽しんでもらう
ことになり、文化としても認められることになる。
──答えは初めから出ていた。