『ソウ (SAW)』シリーズを振り返る
映画・『SAW』のシリーズは、完全に終了しました。
もしも今後、『SAW』の名がついた作品が作られたとしても、おそらく別物になることでしょう。──まぁ、「彼」がジグソウになるまでの経緯はやや唐突に感じるので、「ソウ(ジグソウ)・ビギニング」くらいは観たいけれど。
ここで一度、シリーズ作品を振り返ろうと思います。
『ソウ』 (SAW)
ソウ (SAW) – この一作から映画史の新しい時代が始まる : 亜細亜ノ蛾
シリーズ中の最高傑作です!
『SAW II』のほうが世間の評価は高いようですが、あのラストの衝撃は 1 作目があってこそ──なんですよね。単独の作品として観ると、やはり『SAW』が一番だと思う。シンプルな作品の構造が素晴らしい。
「ジグソウの手がかりは、作品中にほとんど出てこない」という批判を多く聞きます。だからあのラストが突然すぎるのだ──と言う人もいる。本当でしょうか?
『SAW』をよく観ると、驚いたことに、「自分の正体」をかなり明確にジグソウは中盤で告白している。あまりにもズバリと言ってのけているから、逆に気がつかない人も多いのでは? 自分も分からなかった。
それに、ゴードン家を襲った「犯人」──ゼップをチラチラと見せていくから、「彼がジグソウだな」と騙される。本当にうまい演出です。あとは偶然なのか、ゼップが口を開けている表情は、微妙にジグソウにも見えたりする。
ただし、日本語吹き替え版の音声で聞くと、ジグソウの用意したテープから「性別と年齢層」が丸わかりですケド……。ここはもうすこし、音声の合成にこだわって欲しかった。
それに、途中で「ジグソウは誰か」を当てられたとしても、ラストで驚かされる。なんとも憎らしい作りですね。
じつはこのラストは、次回へつなげるような編集がしてあります。2 作目のあとで見直すとしっくり来る。──いや、最後の「舞台」の話ではありません。「音声」です。はっきり言うと、『SAW II』のネタバレになっている(!)。
おそらく、『SAW』の時点で次回作へつなげるアイデアがあったのでしょうね。一作だけでも完全な作品なのに、その次まで考えていたとしたら──恐ろしいことだ……!
あと、あたしたちを 置いていかないでね
──とさみしそうにゴードンの娘が話す場面は、何度観てもドキッとする。ゴードン先生と家族との関係は、このゲームのあとにどうなったのだろうか……。
『ソウ 2』 (SAW II)
ソウ 2 (SAW II) – ネタバレのない 「Q&A」 : 亜細亜ノ蛾
アマンダの再登場!──なんだけれど、パンクっぽいショート・ヘアにはガッカリしました。やはりアマンダは、あのモップ頭じゃないとダメです。
『SAW』の音声解説によると、リー・ワネル(アダム役)が一部分だけアマンダを演じています(1 作目の感想を参照のこと)。そのとき、アマンダの髪型を再現するためにモップをかぶった──とのこと。これは、ジョークかもしれませんが。
『2』あたりまでは、「ジグソウは、被験者の生死には直接手を下していない」というルールがギリギリ守られていて美しい。けっこう重要なこのルールが、後半にはグダグダになっていったことが残念です。後継者たちには、ムリだったか。
やはり、最後の「ゲームオーバー」は良いですね!
『SAW』のラストで『2』がネタバレが出てくる──と上で書きました。どういうことかと言うと、最後にジグソウがドアを閉める直前、各場面がフラッシュバックして、「彼が私を救ってくれた」とアマンダの言葉がかぶさるのです。
──こじつけくさいけれど、アマンダが後継者になることは『SAW』の時に決まっていたのかな、と思いました。
『ソウ 3』 (SAW III)
ソウ 3 (SAW III) – 彼をゆるせるか? それとも── : 亜細亜ノ蛾
だんだんと、「『SAW』とは、一大アトラクション映画である」といった色合いが濃くなってきます。1 作目以外は、みんな「ジグソウが贈る楽しい観光案内」という感じですよね。『SAW』のソリッド・シチュエーションが好きだったのに……。
このシリーズには珍しく、直接的なお色気シーンが『3』には出てきます(ゴクリ……)。家族と一緒に観ていたら、気まずいことこの上なし!(だから家族と見るような作品じゃねェっつーの!!)
まぁ、そんな「硬そうなお胸」(文字どおりにカチカチ)の魅力なんて、「腐ったブタたん☆」のころには忘れているけれど。
『3』のラストには、ジェフの子どもは犠牲になったのだ・・・という描写が出てきます。「あれ? ジグソウは子どもには手を出さないのでは?」と思った人もいることでしょう。『2』のラストを見て、そう思わされたはず。
じつは、『SAW』でゴードンの家族・アリソンとダイアナが助かったのは、ゼップがしくじったからです。それ以外には理由はなく、初めからジョンは 2 人の殺害をゲームに組み込んでいた。
『2』のダニエルは、「助かった子ども」の例外です。しかし、彼にしてもゲーム中に死ぬ可能性はあった。 アマンダの気が変わって「憎い刑事の息子」を殺さないか、ジョンも心配だったのでは。
まぁ、急に出てきたジェフやら子どもやらはさておき(おいおい)、アダムの再登場(!)とジョンの最期が一番の見どころでしたね。
アマンダの生死は──じつは不明なのがアヤシイ……。
『ソウ 4』 (Saw IV)
ソウ 4 (SAW IV) – テーマは「原点回帰」(※ネタバレあり) : 亜細亜ノ蛾
『SAW』シリーズとジグソウは容赦がない──を体現した始まり方です。「ジョンはまだ生きている」なんて可能性は、すこしも残さない。
でも、この解剖シーンはいろいろと疑わしいのです。
参考: さるおの日刊ヨタばなし★スターメンバー: 映画『SAW V』推理5 ジョンの解剖シーンと時系列を見直してみれば、You won’t believe how it ends.
『4』も、リッグが楽しく観光旅行をする内容ですが(え?)、なぜ彼が殺人にハマっていくのかが、どうにも分からない。ちょっと描写が甘かったですね。
『ソウ 5』 (Saw V)
ソウ 5 (SAW V) – テーマは「殺人と更正との差」──あるいは狂気 : 亜細亜ノ蛾
『5』には、いろいろな点で詰めの甘さを感じました(上の感想をご覧ください)。世間の評価も『5』が一番低いようですね。
「ジグソウの後継者は誰だ?」を追うことがメインのストーリィであるため、ゲームの印象も薄かった。そして、シリーズ中で唯一、「ゲームオーバー」で終わらない。『5』は、ジグソウの話ではないのかも。
『ソウ 6』 (Saw VI)
ソウ 6 (SAW VI) – 救いのない男の最期・最後に生き残る男 : 亜細亜ノ蛾
あろうことか、劇場では見逃しました! 『5』があまりにもアレだったので……(言い訳)。
その反動なのか何なのか、感想では「すべての行に『ソウ』を埋め込む」という、謎のこだわりを試してみる。面倒くさかった!
『SAW』シリーズとしての面白さは下がりっぱなしですが、「ホラー映画」や「どきどき☆殺人ムービー」として観るならば、かなり楽しめます。
そういえば、「生き残りが何人か出ることを、最初から想定しているゲーム」も珍しいですね。生き残らせたウィルアムも、生き残った人も、まったく良い気分は味わえないけれど……。
最後にゲームの主役がひっくり返るところは、なかなか良かったです。このゲームを勝ち残った親子が、どんな人生を送ることになるのか──考えると面白い(それこそ悪趣味)。
そしてまたもや、ヘッドギアは不発に終わる。
『ソウ ザ・ファイナル 3D』 (Saw 3D)
ソウ ザ・ファイナル 3D (SAW 3D) – ノコギリが残した甘美な痛み : 亜細亜ノ蛾
「ジグソウはゲームを最前列で見ている」とか「被験者の屍体に『ジグソウのピース』を残す」といったルールが、『3D』ではまるで無視されています。ホフマンも、すでにジグソウのルールなんてどうでも良くなったのでしょうか。
最後の最後で、ようやくヘッドギアがその本分を果たしました。
- ヘッドギア:
- 「パパー! ボク、ちゃんと仕事したよ!」
- ジョン:
- 「……」
──と悪趣味な小芝居は置いておいて、この装置の使い方も最悪ですね! 『6』でもソウだったけれど、まるでゲームになっていない。たんなる処刑道具に成り下がっています。脱出する手立て(カギの入手)があってこそのゲームなのに……。
この出来損ないの後継者モドキたちには、ジョンもがっかりしていることでしょう。
ゴードンとアダムを被験者にしたゲームから始まった『SAW』が、ゴードンの「ゲームオーバー」で終わる。ファンが待ち望んだ終わり方です。ただ、どうせなら、ホフマンはゴードンがいたほうの鎖につないで欲しかった。
鍛え上げられた刑事たちを警察署内で次々に血祭りにあげるホフマンを、「ホフマン無双」とネットでは称えています。
その無敵な彼ならば、『3』でエリックが見せた方法などで、「鎖抜け」くらい簡単にできそうですよね。特殊ベークライトで通路を固める──くらいはしないとダメでしょう(『エヴァ』ネタ)。だからこの終わり方には、続きがあるように思える。
そこで思いついたのは、こんなネタです──。
妄ソウ
──自信満々でホフマンを始末した(と思い込んでいる)ゴードンは、足を引きずりながら地下の道を歩く。しかし、なぜか地上へ抜けるドアが開かない。なぜだ……!? そしてどこからか、煙が立ちこめてきた……。
地上では、ゴードンの家に訪問者がやってくる。不審に思いながらもアリソンが対応した相手は、自分と同じく「ジグソウ・キラー事件」の被害者だという。同情と共感を持って、アリソンはその女性を迎え入れた。
入り口のドアを閉める寸前に、女性がそっとつぶやいたひと言は──「ゲームオーバー」。
アマンダは静かにドアを閉めた──。
蛇足
今回もまた、ジグソウの導きどおりに(ウソ)、ゲーテの言葉をひねってタイトルに付けました。
Twitter / ゲーテ名言集: かの一は永遠に一であろう。多に分かれても、一。永遠に唯一のもの。一の中に多を見いだせ。多を一のように感ぜよ。そうすれば、芸術の初めと終わりが得られる。
やっぱり、1 作目が永遠の名作だよなぁ……。