『SKET DANCE(スケット・ダンス)』 第 6 巻「カイメイ・ロック・フェスティバル」
この世で一番恐ろしいことは何だろうか?
多くの人は自分の死を恐れるだろう。しかし、死は誰にでも平等に訪れ、命を失うのは一瞬で終わる。誤解を恐れずに言えば、「恐れるほどのことではない」(ややこしい)。──こんな事を書くと「じゃあ、強盗にナイフを向けられたり火事にあっても恐くないのか」と言われそうだ。しかし、それは「死そのもの」を恐がっているわけではない。痛みや苦しみを避けたい気持ちのほうが強いはずだ。
幽霊や妖怪・お化けは論題である。しかし、「人の頭の中だけにいる、実際には存在しないモノ」を恐れるのは興味深い。いわば、勝手に自分で自分を怖がらせているだけだ。
自分がもっとも恐れるのは、よく知っている身近な人間の急激な変化だ。簡単に言うと、いわゆる「ボケ」の症状が出たり、まったく知らない一面を見たりするのが恐い。信頼を裏切られることも、根本的に同じだ。「こんな人ではなかったはずなのに──」という感じ。
これだけを聞くと、「何だそんなモノが恐いのか」と笑う人もいるだろう。そういう人は、少し想像して欲しい──。ある日とつぜん、自分の親兄弟や恋人・友だちが、アナタの事を他人のように見てきたらどうする? 平気でいられるだろうか。自分には、考えるだけでたまらなく恐ろしい。ロボトミー手術のことを例に挙げれば、自分の気持ちが伝わるだろうか。
実際、女の子に振られたら同じような事が起こる。昨日まではカレシ、今日からは他人──以下の存在。女性って、どうしてあれほど簡単に過去を「なかったこと」にできるのだろうか……。
本当であれば、それ以上に、「自分が自分ではなくなる」ほうが恐いはずだ。しかし、そのような場合──自分がボケてしまったら、そのことも理解できないだろう。だから恐くない──正確に言うと「恐がれない」。
そのせいか、自分は ほとんどの人と一定以上の距離を取り、関係が変化することを避けている。その代わりに、本当に親しい人に対しては、好意を変えない。どんなことがあっても自分からは離れたり裏切ったりしない、と決めている。それだけ信用できる人としか、親しくしないのだ。
さて、6 巻ではモモカ・吉備津 百香(きびつ ももか)が変わってしまった話が出てくる。けっこうギャグが多くて笑える話に仕上がっているが、自分にはモモカの舎弟の 3 人の気持ちがよく分かるのだ。
ただ、ヒメコのように変化を受け入れる姿勢も大事だと思う。自分も、そのように度量を広く持ちたい。