『バクマン。』 24 ページ 「ノートとキャラ」 (週刊少年ジャンプ 2009 年 11 号)
「物語」というモノに対して失礼な描き手や読み手がいる。残念なことだ。
昨日の話とカブるけど、「作中でこう書いてあったから、作者もこう思っている」という読み方や、「主人公が良い気持ちになったから、オマエも良い気持ちだろう」という描き方は、度が過ぎると良くない。物語はそんなに安っぽくない。
なんというか──「商品をオイしそうに食べるタレントをアップで撮って、オイしそうに見せる CM」のような安易さを自分は感じるのだ。「食い方だけやん」と突っ込みたくなる。便秘薬の CM で「実際に出ている映像」を流すような下品さがそこにはある、と思う(どんなにムチャクチャでも思うことは勝手だ)。
それとも、作品に対する自分の態度が異常なのだろうか?
自分の知り合いに、『バクマン。』の登場人物がいたらイヤだ。亜豆とは、知り合っても話ができないだろう(向こうが恥ずかしがるから、としておこう)。見吉も──たぶん、相手にしてくれないはず。唯一、服部だけは一緒に酒を飲みたい人物だ。──けど、マンガ家でもない自分とは、話すことがないだろうな……。
書いていてウツになってきたが、とにかく、『バクマン。』の作中で知り合いたい人物は、いない。それでも、『バクマン。』という作品は大好きだ。
サイコーとシュージンを応援するし、見吉は かわいい。福田や服部を格好いいと思うし、中井のデビューにも期待している。あと、エイジと亜豆は、2 人とも「雲の上でフワフワしている感じ」がお似合いに感じてしまう。雄二郎──誰それ?
今週号のある一場面を見て、「共感なしに感動する」という感覚を再確認した。それについては、またのちほど……。
じゃ 考えます
エイジが次回のネタ出しに苦労している。この場面を見て驚いた。
展開をある程度は決めてから新連載を始める、のではないのか。せめて、連載前にコミック 1 巻分── 10 話目くらいまでは展開を考える、というのが通常と思っていた。
さらには、エイジは話作りの協力を福田に頼ることもできなくなった。エイジと福田は、なれ合いの関係にならないのが面白い。「カカロットとベジータ」に近い間柄になると思ったのに。
そういえば、大場つぐみさん原作の『DEATH NOTE』も、全体の構想は連載当初から決めてあったそうだ。『DEATH NOTE (7)』での「あの展開」は、初期段階から選択肢のひとつとして考えていた、とのこと(『DEATH NOTE (13)』 p.064)。
あの密度の高い『DEATH NOTE』という物語の全体像が、連載前から頭にあったと思うと、ただただ恐ろしい。だいたいの概要だけとは思うが、それでもスゴい話だ。
作品を仕上げながら展開を考える、というと思い出すことがある。
時に、1995 年。テレビで『新世紀エヴァンゲリオン』が放送されていた。庵野監督はこの作品を「ライブ感覚」で作っていたという。
放映当時「ライブ感覚」で作られた「エヴァ」の新作を庵野監督はどう作るのか?: 序破急 (TV放映終了直後の庵野氏と宮村優子氏の対談
がリンク切れで惜しい! 読みたかった!!)
──まぁ、「計画が甘くて切羽詰まった」を「ライブ感覚」と言っているだけの気もする。しま■らファッションを「チープでオシャレ」と言ったり、おもしろい 顔の人を 「キャラ 立っているよね」 と言いかえて みたり
──って、またまた絶賛発売中・右記リンクから購入をどうぞ・の『さよなら絶望先生 第14集 (14) (少年マガジンコミックス)』ネタかよ! というオチ。
大切なノート
エイジがノートを取り出すのを見て、サイコーの顔色が変わる。その表情はただ事ではない。
この場面を初めて読んだときの感想を、正直に話す。
──スマン、サイコー。てっきり「エイジのキャラ表……だと…… !? ──ネタをパクれる!」とサイコーが思ったのかと勘違いした。あるいは、「ノート……デスノート !?」という感じ。
エイジが小学校のころに書いたスズメのマンガ
は、絵柄が「ガモウガモウ」している。あと、しゃがんでノートを見ているエイジが、スヌーピーっぽくて妙にかわいい。
僕もそうだった……
エイジが珍しく思い出話を語る。ここからの展開は、目頭が熱くなった。
前から何度も書いているが、物語に共感は不要だと思う。それは言い過ぎだとしても、「それほど必要ない」と感じている。共感がなくても、感動はできるのだ。
自分は、サイコーやエイジのように、子どものころにマンガを描いたことはない。それに、友だち(ではないけど)と昔の思い出を語り合うことすら、ほとんどないのだ。
それなのに、エイジと福田の会話のシーンから「なんか、いいな」の気持ちは味わえる。アシスタントと先生・仕事仲間という立場のギリギリにいる、エイジと福田との関係もウラヤましく感じるのだ。
そう、読者が 1 度も見たことがない・聞いたことがない・味わったこともないモノゴトを見せて、感動させる。それが物語の力だ。これこそが、作家の力量の見せ所だろう。
だから自分は、明らかにターゲットとなる読者層に合わせた「さえない主人公」が「理不尽にオイしい目に会う」ことで「感動した!」という話が、大嫌いだ。
──と言い切りながら、『あさってDANCE』など、好きな作品もあるな、と思い出した。えっと、上の段落は「──けど、例外もあるよ」ということで……(煮え切らない態度が持ち味のブログです)。
ガキの頃から マンガが好きで
サイコーが何か描きたいもの
を見つける場面が熱い。
きっと、初めから答えは出ていたのだろう。サイコーとシュージンが本当に描きたいマンガは、2 人が出会ったころから同じだったのかもしれない。
サイコーが小学生の時描いたマンガ
の中で、シュージンの 得意な分野
と合う物があるらしい。まるで博打(ばくち)の「邪道マンガ」からジャンプらしい「王道バトルマンガ」へと路線を変更した 2 人の、次に描く作品はどのようなものだろう。
思い出の中のサイコーが描いているマンガは、パッと見た感じはギャグマンガにも見える。川口たろう先生のマンガも模写していたようだ。とすると、ひょっとして、『超ヒーロー伝説』──というか、『とっても!ラッキーマン』のような作品を描こうとしているのでは?
当たらない感想が得意なブログだが、何となく次の作品は「ギャグヒーロー物」が正解の気がする。しかし、このジャンルは一番むずかしいと思う。
いまのジャンプのギャグマンガは、とくに読み切りに「はいはい、うすた京介が好きなのね」という作品ばかりだ。主人公がムチャを言って(ドゴーン)、カメラを引いた目線の一コマが入って(シーン)、アップでサブキャラが突っ込み(ガビーン)、みたいな。そればっかし。もうその席には本家と『いぬまるだしっ』が座っているので、満席だ。
ギャグだけでも難しいというのに、さらにヒーロー要素──つまり、格好いい場面を盛り込もうとすると、大変だ。笑いと格好良さ──ヘタなことをすると、『ナル■』のように、どっちつかずになってしまう(どっちもコケている?)。
そこをあえて、サイコーとシュージンがギャグヒーロー物に挑戦する、というのは面白い。この予想は当たって欲しい。
後は任せてくれ
キラキラ光ったり「頭でかっ!」な中井とか、サイコーの「あっ 福田さんも
」とか、エイジのクロウ・ポーズなどネタの絵がつまったラスト 2 ページだ。
その中でも、自分は福田のツンデレ態度がツボだった。ちゃんと仕事は仕事と割り切ってこなしつつ、人生の先輩としてサイコーにアドバイスをする。何かをつかんで去ろうとするサイコーを、あえて見はしないが満足そうに笑みを浮かべる──何という男らしい男だろう。ドラマ化した際には、きっとキムタクが演じるに違いない(──あれ、台無し? いやいや……)。
人生に疲れたような「1 ページ」のサイコーは、もういない。いろいろな出会いを経て、忘れてしまっていたあの時の気持ち
をサイコーは思い出した。
「24 ページ」にして、原点に返る──。なんと、サイコーとシュージンの物語は、たぶん、これから始まるのだ。
中井が言う、マンガ家に必要なしつこく描き続ける根性と体力
は、この仕事場にいる全員とシュージンとが持ち合わせているだろう。それでも、全員が連載を持てるとは限らない。厳しい環境の中、それでも夢に向かう者たちを応援し続ける。
自分も、まだまだやれることがあるはずだ。書きたいと思っていた話が、何かあったような……。
