『バクマン。』 35 ページ 「嬉しさと寂しさ」 (週刊少年ジャンプ 2009 年 22・23 合併号)
亜城木夢叶の仕事場を元・川口たろうが使っていた事を知って、港浦がハシャいでいる。その姿が面白い。うすた京介がたまに描く画風に似ている。──あれは、元ネタがあると思うけど、なんだろう?
この港浦を見るだけでも、同じ小畑健さんが描いた『DEATH NOTE』とは、かなり絵柄が異なっていることが分かる。
今となっては、小畑さんの名前には必ずといっていいほど「美麗な絵を描く──」といった枕詞がつく。しかし、そういえば、デビュー作はギャグマンガである『CYBORGじいちゃんG』だったのだ。ギャグとシリアスとの描き分けや動きのある場面は、お手の物である。『DEATH NOTE』だけを見て、「小畑絵は動きがない」などと評論家を気取る人は、反省しなさい。
というか──。G ちゃんは(うろ覚えだが)かなり大笑いして連載を読んだ記憶がある。Wikipedia で設定を読んでも「いい意味でアタマオカシイ」のが最高だ。
そうすると、どうして小畑さんは「原作者付きで」「美形キャラが中心の」「リアルタッチな」絵を描く事に専念しだしたのだろうか?
このあたりは、たぶん、調べれば分かるだろう。ご本人がどこかで語っているかもしれない。しかし、自分としては、なんとなくこの謎を「墓まで持っていく」ことにしよう(わざと誤用している)。
そのほうが、ロマンチックだ……!
大丈夫かな この港浦さんって……
上では『DEATH NOTE』との違いを書いた。そう思っていたら、港浦がスケジュール帳にペンを走らせる場面は──やっぱり、デスノートに名前を書いているように見える。
小畑さんは、このさき一生、筆記する場面が出るたびに「デスノートだ!」と言われるのだろうな、と思った。どのマンガ家でも似たようなことはあるだろうけど。
サイコーは港浦の言動を見て、心配になったり信用しようとしたりして、迷っている。服部との初対面のときよりは、ソフトな視線だ。角が取れたというか、相手を正確に判断するには時間がかかる、という事を学んだのだろうか。
そうそう、思い出した。サイコーの過去に対して疑問があったのだ。
いまコミックスの一巻を読み返すと、初期のころの真城は他人をまるで信用していないことに驚く。初めは「イマドキの若者は こんな感じか」と思っていたが、すこし異常な感じがする。
他人が信じられなくなるような事が、サイコーに起こったのではないか。
──それがいつ語られるか、と待っていたが、どうもその機会はなさそうだ。本当に「典型的な最近の冷めた中学生」として描いたのかもしれない。
平丸さんって新人
『くちびるから散弾銃』(名作!)な港浦に圧倒されながらも、シュージンの頭の切り替えのするどさが光る。この状況でよく、ほかの新人の話を聞けるものだ。
それにしても、「福田組」同士を競わせるような形で金未来杯と連載会議を描いておいて、平丸一也をデビューさせるところがニクい。本当に、どんな人物なのだろう。
まったく経験がないマンガの世界へ飛び込んだり、初めて描いたマンガが受賞したり、華々しいエピソードで平丸は語られる。これから何度も言われる事だろう。森博嗣さんとメフィスト賞のように。
ただ、心配性の自分からすると、連載の準備が足りていないように見える。ジャンプで連載するに値するほど面白いマンガを平丸は描けるのだろう。だが、「(初対面の)アシスタントつきで」「毎週締め切りを守って」「一定以上の読者の支持を集める」マンガを描き続けることは できるのだろうか。
もちろん、それは亜城木夢叶も ほかの新人も同じ事だ。経験の有無よりも、「面白いマンガ」が載る。それだけだ。
ただまぁ、「読み切りだと面白かったけど、連載の 5 話目あたりからアヤシくなってくるマンガ」って、多いんだよなぁ……。
「あててんのよ」の『タカヤ -閃武学園激闘伝- – Wikipedia』のことかーーーーーーーっ!!!!(そうだよ)
いい事言うな
たしかに港浦はいい事を言った。その通りだ。
マンガってのは 他の作品と比べて どうこうじゃないだろ! 個々の作品が面白いか 面白くないかだろ !!
初めて会った服部が「作品をヒット させるのって 結構 博打なんだ
」と言うのを聞いて、真城は信頼した──という話があった。「おじさん」の言葉を知らない人からすれば「なんのこっちゃ」だが、こうやって人の印象がひと言で変わる事は多い。
口数が多く、失言も多数である港浦は、その分、信用を落としているのだろうな……。自分も、気をつけよう。
あと、港浦は下のアスキーアートとの合成が作られていそうだ。もう、あるかもしれない。
