『暗殺教室』 第 131 話 「浸蝕の時間」
今週号の巻頭カラーと表紙を飾りました!
映画版の公開に合わせた表紙は、手描きイラストと 3D CG の殺せんせーが肩を並べています。帽子のヒモの位置がズレていたり、質感が異なっていたり、それぞれの差違が目立っている。
「映画と原作は違うモノとして楽しんで欲しい」というメッセージ──とは考えすぎでしょうか。
タイトルのカラーは時代劇(?)でした。
神崎 有希子と倉橋 陽菜乃・速水 凛香が、ごく自然に(棒)悩ましいポーズを取っています!
しかし──、アニメや単行本の宣伝が絶妙な位置にあって隠れている! 雪村あかりレベルの殺意に目覚めそうです!
色めくグロテスク
カラー・ページの あかりが毒々しい!
頭身バランスを(わざと?)崩し、人形のように細すぎる手足・腰つきに描かれています。それは白黒のページでも同じはずなのに、不思議と色がつくとバランスの奇妙さが目立つ。
言ってしまえば、松井優征先生は「とても上手な絵」とは反対の方向ですが、作風には完全に合っている。
さらに、影を利用して(映像で言えば「照明を利用」して)どす黒い表情の あかりが恐ろしい。素っ気ない塗り方が逆に狂気を強調しています。
たとえば、この 1 ページ目を小畑 健さんが描いたら、「きれいな絵だな」で終わった かもしれません。
当事者いわく
同級生たちは「茅野カエデ」の変化に戸惑っています。
正体が分かった あかりのことを「茅野
」「カエデちゃん
」と呼び続けている。「雪村あかり」と呼ぶことに抵抗があるのでしょう。
一方の あかりはどうか?
あかりが憎んでいるのは、「姉を殺した」殺せんせーだけです。椚ヶ丘中学校や E 組には恨みも何も無いはず。
──そう、あかりにとって E 組の生徒は、殺せんせーを倒すための踏み台でしかない。何の感情も無かったのです。ずっと一緒に勉強してきた仲間を「部外者
」と呼ぶ。その態度が証拠です。
あかりの興味は姉のカタキ討ちにしか無い。
寄主は どちら?
戦う あかりは、美しくも悲しかった。
精神が 触手に浸蝕 され始めている
あかりは一見すると「暗殺を楽しんでいる」に見える。しかし、茅野カエデが今までに見せた表情とは まったく違う。
あかりは、文字どおりに命を燃やして「炎の触手
」を操っています。いや、逆に触手が あかりを操作しているに違いない。
人間の脳に寄生して浸蝕する触手には、意思が あるように感じます。自分の活動範囲を広げるために宿主の壊し続ける存在は、まるで がん細胞みたいだ。
「こんな事が…
本当に茅野が やりたかった 暗殺なの?
」という渚の疑問は、「茅野カエデ」自身も思ったことでしょう。
食と蝕
タイトルには少しだけ違和感が ありました。
一般的に使われる「浸食」ではなく「浸蝕」の字を使った理由は何だろう? どちらかと言えば、「浸蝕」のほうは「自然災害」の印象が強い。
おそらく、「触手に蝕まれる(むしばまれる)」あかりを表わしているのでしょう。たしかに、「食われる」という感じには見えません。
おわりに
題名は「塩が浸む
」から借りました。
この言葉での「塩」とは「苦労、辛苦
」の意味です。つまりは、「世間の苦労が身にしみる
」という言葉になる。
今回のタイトルの「潮」は、潮田 渚を表わすと ともに、「高まったり静まったりするもの
」の意味を含めました。
あかりのなかで感情が揺れ動いている。
最後には「ころして
…たすけて
」と心のなかで つぶやきました。堀部イトナの推測が当たっているのならば、もう あかりを救う手段は存在しないのか……。