どうでもいい人の話

たまには毛色を変えて、mixiで書いているような内容を──

以前から不思議に思っていることがあります。それは、

身近な人から聞いた言葉は右から左に抜けていくのに、どうでもいいような他人から聞いた話がいつまでも心に残る」のは何故だろう?──

──ということです。

あるタレントの話

たとえば、こんな感じ。

かなり以前、TVで、あるタレントがこんなことを語っていました。

「仕事から帰ってきて『疲れたー』と言いながら、ゆっくり家で休んでいるときに感じるのは、単なる《疲れ》であって《ストレス》ではない。

《ストレス》というのは、普段は気がつかない間に蓄積していて、ある日突然倒れる──というたぐいの物だ」

──とのこと。

この話は自分の腑に落ちたので、いまでも心に残っています。──話していたのが誰かは忘れたましたが。

それで、「普段は意識しない間に蓄積されていくのがストレスだ」というのが真実かどうかは、知りません。

──たぶん、ネットで調べれば数分以内にそれらしい答えは見つかるだろう。

──科学的根拠とか、生体医学などのサイトに詳しく書いてあることだろう。

だが、あえて調べない。なぜだか知らないが、彼の言葉を信じているから──

──不思議なのは、誰が言っていたかも忘れた言葉を、何故信じられるのか?

仮説

──先日、その答え(らしき物)に気がつきました。

要するに、「ストレスは単なる疲れではない」というのが、まずは《自分の考え》としてすでにあって、その考えを補強してくれる人を無意識で待っていた。──ということではないか?

つまり、「自分が考えていたことを、全く無関係の人も同じように考えていた。ということは《自分の考え》は真実に違いない」──ということです。

友人から聞いた場合

たとえば友人が「ストレスってね──」と上記のことを話してくれても、たぶん、自分の心には残らなかったと思います。 なぜなら、《友人が語った言葉》として聞くからです。それはあくまで「○○君が言っていた言葉」であって、《自分の考え》ではないので、残らない。

自分で考えてみる、ということ

まったくの仮説ですが、この考えがしっくり来ました。実際はどうか、知りません。

とっくの昔に、この手のことは語られてきたことでしょう。しかし、この「何となく自分で答えを見つけ出した」感覚が、気持ちいい。「生きている」ということは「考える」ことだ、とたまに思います。

これからも、いろいろと自己解決していこうと思います(寂しいね!)。

この記事のタグ(偽)

[mixiの方が熱心だったり][自作自演(ちょっと違う)][コメント欄でストレスの解説とか勘弁]

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