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「ほぼ日刊イトイ新聞」10 周年/ 「ほぼ日ストア」が好き

ほぼ日 10 周年

「ほぼ日刊イトイ新聞」が本日(2008/06/06)、10 周年を迎えました!

ほぼ日刊イトイ新聞 - 目次 ほぼ日刊イトイ新聞 – 目次

──といっても、特に派手なイベントがあるわけでもなく、糸井重里さんの「ごあいさつ」のページが あるくらい、という「ユルさ」が、「ほぼ日」らしいです。

ほぼ日刊イトイ新聞 – 「ほぼ日」10周年を迎えてのごあいさつ

みんなの記念日

そう思っていたら、「みんなの記念日」というページができていました。

ほぼ日刊イトイ新聞 - みんなの記念日。 ほぼ日刊イトイ新聞 – みんなの記念日。

読者から、個人的な記念日を募集しています。まだ投稿が少ないですが、良いですね。じつに「ほぼ日」らしいページです。

これは、「ほぼ日手帳」の「何でもない日を大切にする」というテーマを引き継いでいますね。

ほぼ日刊イトイ新聞 – ほぼ日手帳2008_spring

そう言えば、ブログの更新は続いていますが、「ほぼ日手帳」はホコリを被っているな……。よし、今日からまた始めよう。そうやって、気軽に始めて気楽に続ける、というのが似合う手帳です。

そう、この手帳といい、「ほぼ日」のオリジナル商品が好きなんですよね。

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掃除機の話をダラリと語ってみる

掃除機の話

0x21 年も生きていると、それなりに含蓄ある言葉が、自然に口を突いて出てくるものです。

──理想の世界では。

現実世界ではどうか というと──、くだらない知識ばかりで、頭でっかちになっていたり。

それはそれとして、意味がないことを語るのも、また一興。それこそが、個人ブログの醍醐味、ではありませんか?

今回は、なんとなく温めていた「掃除機の話」を語ってみます。

掃除機自身を──

掃除機は、
掃除機自身を
掃除できない

photo

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森 博嗣さんの『新しい諺』 / 文章の見た目を気にする話

森 博嗣さんの『新しい諺』

今日の(と言っても日付は四日前なのが仕様)森博嗣さんのブログ記事が面白い。日記のほう じゃなくて、「国語」。

MORI LOG ACADEMY: 新しい諺

これを見て、一瞬でピンと来た。

行末が そろっている

「──何が?」という人のために、等角フォントで紹介。

二階で目薬 (二階で目薬を差しても牛にならない)
長いものは巻ける (比較的巻きやすいというだけ)
能ある鷹には爪がある (鷹にはたいてい爪がある)
蛙の子はオタマジャクシ (卵はまだ子ではないか)
雨降って地ぬかるむ (グラウンドに砂を撒いたり)
腐っても鯛 (賞味期限切れでも別の魚にならない)
帯は長いし襷は短い (帯とか襷とか知らないから)
二階でも目薬 (同時多発目薬か、という心配に)
長芋にはマカロン (食い合わせでは、と心配に)
能ある鷹は爪を噛む (臍を噛む、といいたいが)
蛙の子がさきか卵がさきか (特に面白くないね)
雨降って血固まる (血の雨が降ったのか、心配)
腐ったら鯛 (腐るまえはもっと凄かった、の意)
ルビは短かし漢字は長し (お化け漢字みたいな)

MORI LOG ACADEMY: 新しい諺

そう、ことわざの末尾がそろっている、ということです。

──で、だから どうした、と言われると、ちょっとツラいですが……。

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『君の夢 僕の思考──』と『議論の余地しかない』

森博嗣さんのメッセージブック

森博嗣さんのメッセージブックを 2 冊読みました。自分が読んだ版は 2002 年発行、と少し前の出版ですが、もちろん、中身は古びていません。今は文庫版の方が手に入りやすいですね。

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ポジティブを履き違えたバカにならないように

「ネガティブ」「ポジティブ」

「ネガティブ」「ポジティブ」という言葉が日常的に使われるようになって久しいです。──が、ただ単に「明るい」「暗い」を言い換えているだけ、という人が多いようです。──でも、うーんと、それって本当に置換可能なのか? と前からモヤモヤしていました。

同じようにもやっとボールな人がいたようで。

ネガティブが「否定」とか「消極」って意味だから、ついポジティブは反対の「肯定」「積極」って意味に捉えられがちなんだけど、そうではないのだよね。

みたいな話を江原さんが、靴ひもが解けたときの対処で例えていた。

  • 靴ひもが解けた
    • 靴ひもを結ぶ
      • →ポジティブ
    • 靴ひもが解けたって前に行けるさ!
      • →バカ(原文ママ)

深海魚のカタルシス – 誤ったポジティブ観
なるほど! と腑に落ちました。

是非とも深海魚のカタルシス – 誤ったポジティブ観にある「posit系・negate系」の意味が書いてある表もご覧ください。

「悩む」というだけで「ネガティブ」呼ばわりしている人は、「悩まない馬鹿」の事を「ポジティブ」と言っているに等しい──というのは言い過ぎですかね。でも、「ポジティブに悩む」という事もある、と考えられるだけでも少し認識が広がりますね。

(まぁ、ぶっちゃけ“positive”には「積極的な」という意味もあるので、“negative”の反対、と考えるのは問題無さそうだが)

「好き」「嫌い」

そういえば、

「好きの反対は嫌いではなく、無関心」

てきな事を初めて聞いた時も、同じように膝射ちでした。世の中には「嫌いにすら、なってもらえない」という苦痛があるのだよ──ね?>若き日のオレ

「──って、きんじょのオジサンからきいたよ」

「ちがいますー。スキのはんたいはキライ、ってセンセーがゆってましたー」

「うう、いやでもさ」

「センセー、asiamoth くんがぁ、ヘンなこといってまーす!」

「(うわ、きらわれたかな……。でも、スキのはんたいはムシだよな……)」

──いや、ゴメン。そんな思い出は無いけどさ(記憶を捏造)。


「ザイーガ」閉鎖(!)に思うこと

さよならは突然に

いつも面白い(けどちょっとエログロい)コロコロザイーガ学園livedoor Reader で見ていたら、こんなビックリ記事が。

2006年12月12日午後未明、大人のザイーガは大人の事情を持ちまして閉鎖の運びとなりました。

コロコロザイーガ学園 【お知らせ】大人のザイーガ、大人の事情により閉鎖

工エ エ ェ ェ(´д`)ェ ェ エ エ工

ということで、ザイーガにアクセスしても見られなくなりました……(2006-12-12T22:49:40+09:00 現在)。

上記の記事を読むと、復活の予定はあるそうですが──どうするんだろう? パルモ先生の記事をひとつひとつ保存している人でもいるのだろうか? 各種アーカイブサービスから集めるのかな?

2006-12-16T22:09:31+09:00 追記

復活してました! パチパチ。

ザイーガ:【お知らせ】ザイーガ再開のお知らせ

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定義せよ

#### 唐突に思いついた
女・xに対して男・yが『世界で一番キミが好き』と言った。左記の言葉が真である時、「世界」と「好き」を定義せよ。


結城浩氏と長男の会話 「ゆがんでいない鏡」

ほのぼのとした、いい話。
[[結] 2006年9月 – 結城浩の日記 己を知るということ](http://www.hyuki.com/d/200609.html#i20060920214035 “[結] 2006年9月 – 結城浩の日記”)
「敵を知り、己を知れば、百戦危うからず」という孫子の言葉を借りて、「自分を知る」とはなにか、他人と自分との関係、そして神様について、結城浩氏が長男と会話しています。
[結城浩の日記](http://www.hyuki.com/d/index.html “結城浩の日記”)では、親子の会話が書かれることが多いです。親子の会話というより、旧知の親友同士の会話のように聞こえまて微笑ましいです。自分は、父親といい関係を築けないまま他界されたので、結城親子がうらやましいです。自分に子供ができたら、お互いに尊敬できるようになりたいですね。
自分は特定の信仰を持っていないのですが、今回の「ゆがんでいない鏡」の話は解りやすく、腑に落ちました。
日本では「神様」という言葉を軽く使いがちです(というか[ネ申](http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%CD%BF%BD “ネ申とは – はてなダイアリー”))。八百万(やおよろず)の神様がいる環境では、「唯一絶対の存在」というのは受け入れがたいのかも。


腑に落ちる話

#### どうでもいい人の話
たまには毛色を変えて、mixiで書いているような内容を──
以前から不思議に思っていることがあります。それは、
「*身近な人から聞いた言葉*は右から左に抜けていくのに、*どうでもいいような他人から聞いた話*がいつまでも心に残る」のは何故だろう?──
──ということです。
#### あるタレントの話
たとえば、こんな感じ。
かなり以前、TVで、あるタレントがこんなことを語っていました。
「仕事から帰ってきて『疲れたー』と言いながら、ゆっくり家で休んでいるときに感じるのは、単なる《疲れ》であって《ストレス》ではない。
《ストレス》というのは、普段は*気がつかない間に蓄積*していて、ある日*突然*倒れる──というたぐいの物だ」
──とのこと。
この話は自分の腑に落ちたので、いまでも心に残っています。──話していたのが誰かは忘れたましたが。
それで、「普段は意識しない間に蓄積されていくのがストレスだ」というのが真実かどうかは、知りません。
──たぶん、ネットで調べれば数分以内にそれらしい答えは見つかるだろう。
──科学的根拠とか、生体医学などのサイトに詳しく書いてあることだろう。
だが、あえて調べない。なぜだか知らないが、彼の言葉を信じているから──
──不思議なのは、誰が言っていたかも忘れた言葉を、何故信じられるのか?

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