『バクマン。』 6 ページ 「ピンとキリ」 (週刊少年ジャンプ 2008 年 43 号)
『ONE PIECE』があからさまなテコ入れに走ったり、『バリハケン』が完全に開き直って己の道を行く中──、今回の『バクマン。』はすごかった。
サイコーとシュージンの才能が豊かである描写は、何回かあった──はずなのだが、ほとんどサイコーに焦点が合っていた。今回は、ようやく分かりやすい形でシュージンの底知れぬ才能を感じられた。本作のように「マンガ内マンガ」が出てくる作品では珍しく、ちゃんと「マンガのストーリィ」を読者に見せているのがすごい。
──先ほどから「すごい」しか書いていないが、さらにすごいのが、2 人を「好かれるキャラに描こう」としていないところ。今回の冒頭で 2 人の会話を聞いて、気分が悪くなった人もいるのでは? そういった悪い感情を持たせておいて、最後はやっぱり応援してしまう──。
たった十数ページで、これほどの世界を描ける作者に、そしてマンガそのものに、感動した。
下を見てバカにする
初めから 3 ページは、新ライバルの出現でイラだっているせいか、サイコーもシュージンも文句ばかり言っている。正直、初めて 2 人が「イヤな奴」に見えた。──まぁ、才気あふれる若者というだけで、ねたましい感情を持つのは自然かもしれない。とくにこの国では。
中学生のころ、親友が絵のうまい奴だった。『ドラゴンボール』の模写が上手、というお決まりのパターン。そいつはマンガ家を目指しているわけでも、「マンガ書いてますって周りにアピールして 注目されたいだけ」でもなかったが、なぜかシュージンにバカにされている気がしてイヤな気持ちになった。
実際、今回のサイコーやシュージンが「下」に見たような人は、読者やその友だちにいるだろう。その人たちが、「いまのマンガ界のてっぺん付近にいる人」(の描くキャラ)から、こんなことを言われたら……。
ピンキリの編集者
2 人の容赦ない攻撃は続く──。
おじさん・川口たろう(というか作者)が「乗り移っ」たサイコーによって、「都市伝説」として語られた編集者の話が衝撃的だった。いや、いままでも冗談交じりに語られることが多い話だが、やけに真実みがある。サイコーが意図的にこちら(読者・編集者)側に顔を向けて青ざめているし……。
ガモu ──いや、大場つぐみさんも、苦労したんだなぁ……(あれ、「全くの新人」
だっけか)。もしくは、小畑健さんや周辺のマンガ家から聞いた話なのだろうか(「都市伝説」とは 1mm も思っていない)。
「シュレッダー」の話は、ちょっとどう反応していいか分からない。話半分に聞いたほうが良いのか、これからマンガ家を目指す人に向けての熱いメッセージなのか……。マンガの題材としては受けなくても、いまだに編集部ではスポ根の魂が生きているのだろうか。
シュージンの才能
「IQ 200 の天才」みたいなキャラクタが、マンガやアニメにはよく出てくる。たいていは「大変ユニークな頭髪や服装・頭身・目の大きさ」をしていて、微笑ましい。「なるほど、天才と何とやらは紙一重、を表現しているのだな」と思わせるのに十分だ。
「MORI LOG ACADEMY」の読者なら、「なぜ IQ 200 というのがおかしいか」は説明できるだろう。
シュージンも、そんな「絵に描いた天才」(比喩)に見えることろがあった。「文才がある」とか「話作りがうまい」なんて、マンガで表現しにくい才能だし。
そう思っていたら、今回はなんと「実際にシュージンが書いたネーム」が出てきて、本当に驚いた。普通、こういった場面では「ネームの裏側とそれを読むサイコーの顔」を描いて、「ふんふん──すごいなー、これ!」みたいな描写にする。
あえて作品名を挙げるまでもなく、たいていは「素晴らしい絵」や「天才が書く詩」や「今までに見たことがない小説」などは、「絵にも描けないくらいすごい」と割り切って表現している。読者もそれで納得する。納得しないのは、『美味しんぼ』は なぜ料理で話をつけようとするのか、を問うくらい野暮だ。
それを、シュージン(作者)は「誰にでもは思いつか」ない話を書いて見せた。本人は「どーでもいい話」と言っているが、サイコーが言うように「人間同士が思いっきり戦える」設定で興味深い。『ふたつの地球』というタイトルで、持ち込み原稿に仕上げるようだ。
もう一つの『グラサンピッチャー』も簡単には発想できない話で、『バクマン。』を作るまでに、原作者がマンガのストックをどれだけ蓄えていたかが読み取れる。
それより何より、シュージンが一番優れているのは、行動力だ。とにかく、思いついたらすぐに行動している。これはサイコーに一番欠けている部分に見えるので、本当に 2 人は良いコンビだ。
サイコーと亜豆
サイコーが亜豆と「周波数がピッタリ合っている」と感じる場面は、彼らしくロマンチックだった。このような淡い恋愛感情は、『DEATH NOTE』では まったく見られなかった(当たり前だ)。
意外にも 2 人が小学生のころから意識し合っていた──かもしれない、というエピソードも良い。この、ハッキリと分からないところが、甘酸っぱくていい感じだ。
まとめ
もうだれも、一話目の「ふつうに生きていくだけ」のサイコーを思い出せないのでは? シュージンがいなかったら、サイコーはどんな人生を歩んでいたのか──。
出会いによって人は変わる。しかし、良い出会いでも悪い出会いでも、最後に自分を変えるのは自分だ。
シュージンを見習って、思い立ったらすぐ行動することをマネしてみよう。