『バクマン。』 26 ページ 「2 人と 1 人」 (週刊少年ジャンプ 2009 年 13 号)
「それが物語というものの成り立ちだ──大きな転換。意外な展開。幸福は一種類しかないが、不幸は人それぞれに千差万別だ。(……)幸福とは寓話であり、不幸とは物語である。」
『海辺のカフカ』 (上) (新潮文庫) p.334
──あれ? 今日は『海辺のカフカ』の感想ではなかったか。しまった(わざとらしい笑顔で)。
『海辺のカフカ』 村上春樹 – 運命に操られる少年と受け入れる青年 : 亜細亜ノ蛾
今週号の『バクマン。』は、とても幸福とは言えない展開が起こる。サイコーとシュージンがマンガ家を目指して以来、一番のツラいできごとだ。
苦難の道に立たされたときの行動で、その人の真価が決まる。失敗を成功に変えるのは、時の運だけではなく、人の力によるところが大きい。
しかし──前半部分を読む限り、「亜城木夢叶」がこれから成功に向かうとは思えない。完全に終わったように見える。2 人は どうなってしまうのか?
タイムリミット……
8 月 31 日──なんという忌まわしい響きがする日付だろうか。「サザエさんのエンディングテーマ」(明日は月曜日)を聞くときの沈んだ気持ちを、50 倍くらい濃くした感じがする(というのはネタで、契約社員の自分には夏休みも日祝・盆・正月もないけどね!)。
普通ならば宿題が終わっていないことに焦り・あきらめを感じるものだが、シュージンは違う。新作マンガのネームに一所懸命で、宿題どころではない。
ひと月以上もの間、同じ作品のネームを考え続けるのは、どんな気分なのだろう。サイコーから見ればそうは思えないだろうが、シュージンは「恋愛の片手間にネームを書いている」のではない。すでに大人たちから認められた話を作る秀才のシュージンが、必死に毎日ネームを描いている。それでも完成しないとは、話を作ってマンガにするのは、よほど難しいのだろう。
誰でもそうだと思うが、自分はお気に入りの連載マンガが終わると、すぐに次の作品が読みたくなる。読者としての自分は、「前の作品から何か月も過ぎている。作者は何をしているんだ」と無責任に思う。しかし、多くの読者を酔わせるような優れた作品は、そう簡単に描けるものではない。作者を信じて、おとなしく待とう。──そうやって何か月も再開を待っている連載中のマンガもあるくらいだ。
2 学期始業式
シュージンは、サイコーから怒られることは覚悟していたようだ。しかし、まさかコンビを解消されるとまでは思っていなかっただろう。
シュージンにも言い分はあるのに、言い返さないのは潔い。──潔すぎる。世渡りが上手なシュージンらしいが、子どものうちはもっと我を通したほうが良いと思う。見苦しく追いすがって、自分の意見を叫んでいたほうがいい。あとから後悔するよりはマシだ(経験者は語る)。
とは言え、この場面はサイコーが本気でやっているからシュージンが何も言えなかった、と見るべきだろう。仲良しクラブのように中途半端なマンガを描いているのなら、こんなやり取りにはならなかった。
それにしても、サイコーの態度は厳しすぎる。締め切りを 1 回守れなかっただけで許さない、というのはヒドい。見吉にシュージンを取られた、という嫉妬心に見えてしまう。子どもっぽい態度だ。
オトナの世界でも締め切りを守らないプロもいるというのに……。
仕事場のカギ
シュージンがサイコーに返したカギは、まさしくキーアイテムだ。思えば、このカギをサイコーから受け取ったこときっかけで、シュージンはサイコーと同じ高校への進学を決めた。お互いが真剣にコンビを組むことを決定したのだ。
自分から言いだしたものの、カギは「いいよ 持ってろよ
」と言ってしまうサイコーが面白い。ほんの少し、後悔している。意地になっているところも大きいのだろう。第三者から見ると、「1 回くらいは大目に見てやれよ」と思ってしまうのだが……。