『バクマン。』 155 ページ 「仕事場とノート」 (週刊少年ジャンプ 2011 年 49 号)
大場つぐみ・小畑健コンビの作品で「ノート」が出てくると、どうしても『DEATH NOTE』を想像します。
じつは、ここまでが「マンガ家編」で、これから急に「デスノート編」に切り替わったら──、それでも楽しく読み続けられるかなぁ……。
『DEATH NOTE』は、「キラ」と「L」・2 人の戦いを描いた物語──ではなかった。当時は、ものすごく驚いたものです。
そこから考えると、たとえ『バクマン。』が途中でテーマが変わっても、ままままだ、あわてる時間じゃなななn
マメにつけてない
「捨てようとしても捨てられない」ということで、ノートに「念」を込められているのかな──と思ったりして(『HUNTER×HUNTER』的な意味で)。たしかに、川口たろうの念──想いが詰まっていることには違いないけれど。
おじいちゃんは「粋」(いき)な人だから、処分するつもりだった──という話は照れ隠しで、本当は大事に大事に残していたのでは。なんと言っても、息子の形見ですからね……。
ちょっと だけなら
そして二人が爺さん婆さんになった時
──という文字が見えて、泣けてきます……。
もし、真城信弘も亜豆美雪も、2 人とも長生きしていたら──。おそらく川口は、いつまでも美雪のことが好きでいられたと思います。美雪も、ダンナ様とは別の意味で、信弘のことは ずっと「好き」だったでしょう。
「恋人同士になる」・「結婚する」以外でも、純粋な気持ちで「好き」な男女の仲は、十分に あり得ます。
おじさんは本気で
妄想じゃない!
と心のなかで叫ぶサイコーは、第三者から見れば、「シリアスな笑い」にも思えてしまう。ところが、本人には違った。
川口たろうと同じようなことを実践してきたサイコーには、ただの「妄想ノート」ではなく、自分の「未来日記」のように読めたはず。
残念なことに、美雪の婚約を知ったことで、川口たろうのノートは終わっています。このことからも、たんなる妄想ではなかったことが、よく分かりますね。もしも妄想であれば、そのままノートを続けることも できました。
しかし、本気で叶えるための「目標」だったから、そのまま日記を書き続けることは、美雪の幸せを汚すことになる。それは、信弘が絶対に許せない行為です。
おじさんが できなかったこと
サイコーの祖父は、直接 役には 立たんだろうな
──と言いながら、日記を渡しました。その言葉の裏には、「読むことでマンガ家としての意欲が湧くのでは」という考えを感じます。
実際に、サイコーは一段と やる気になりました。しかし──、読み方を誤ると、むなしい思いだけを受け取る可能性もあったはずです。デビュー前のサイコーなら、逆に気分が滅入ったのでは?
サイコーがマンガ家として一人前になった今では、それは無用な心配でしょう。つまり、おじいちゃんはサイコーが立派になる時を待って、この日記を しまっておいたのだと思いました。
さて──、信弘の日記を亜豆の母親・美雪に見せることは、現時点では早いでしょう。亜豆の父親にも失礼な気がする。
たとえば、サイコーと亜豆が結婚して、十分な時間が過ぎた時──、「孫の顔」とノートを美雪に見せられたら、良い思い出になるでしょう。
そのためには、まずは『REVERSI』の準備です!
──ここで、まったく空気を読まないテレビ局が、『PCP』のアニメ化を持ちかけてきたら、それはそれで面白そうですケド。