『暗殺教室』 第 120 話 「殺気の時間」
本作品は、いわば「教育的暗殺マンガ」です。
文字どおりに暗殺術を仕込まれた中学生たちが、その教育者を相手に暗殺したり勉強する──という どこまでもクレイジィな内容に なっている。
この あらすじだけを聞けば、「まるで地獄だ
」と言いたくなってきます。日本が舞台というよりは、【各自ご自由に ご想像ください】での話みたい。
しかし、この世の地獄は E 組では なく──。
はるかな高みから礼
「理事長の 暗殺依頼
」が明かされました。
当然ながら、暗殺の対象は浅野 學峯本人! ──では なく、彼の教育方針
でした。ちぇッ(!?)。
学秀が頭を下げて
人に ものを頼んだり、本気で
他人の事を 気遣っている
なんて、彼の人生で初めてなのでは? それくらいに追い詰められた状況なのか──。
とはいえ、その傲慢な本心
が全開の依頼は笑えます。
たしかに頭は下げているけれど、はるか上空の月から見下ろしているのでは? 「見下し礼」という学秀の必殺技かも しれません。
(中平 正彦『さくらがんばる!』の神月 かりんを思い出すな……。未読の人は読んで確かみてみろ!)(←これは別の作品)
教育か調教か
現役女子中学生を監禁して洗脳・調教……だと……!?
といった學峯理事長の教育現場です(男子は無視!?)。ムカデに寄生されながら、卵の代わりに学力を産み付けられる──ような幻覚は、どんな感覚なのだろう……。
『HUNTER×HUNTER』に「催眠術で殺人を強いる事は不可能」という話が出てきます。ただし、その枕詞には「通常」と付いている。その後、「念(ネン)」という概念が出てきて この理論は崩壊しました。
催眠術の難易度を考えると、「他人の命を奪わせる」よりも、「大学入試レベルの問題を中学生に解かせる」ほうが はるかに上でしょう。
學峯理事長は念能力者に違いない!
良い負け方
自分の仲間と父親
に 正しい 敗北を
願う。
その学秀の思いは、かつての殺せんせーを思わせます。思い上がった赤羽が負けたときに、殺せんせーは「立ち直りやすいような挫折感」を味わうように仕向けました(楽しみながら罵倒して)。
学秀は、優秀な同級生の指導者として君臨している。
すでにリーダとしての資質をそなえている学秀は、さらに上の教育者としての才能まで身につけつつ あります。
ただ、あまりにも早熟すぎる。今回のように巨大な壁(父親)が行く手を遮った時、正しい道を示す仲間に恵まれていないと、どこまでも転落していきそうな もろさを感じます。
ライバルである E 組にも励まされ、正々堂々と宣戦布告された学秀は、なんという幸せ者でしょう。
挑発で挨拶
赤羽カルマは今日も通常営業でした!
誰にでも挑発的なカルマは、「ケンカを売る相手は、実力を認めた者だけ」──なんてルールに縛られていません。初対面でもガンガンケンカ腰で挑んでいく。
それでも、勉強の面でカルマが本気を出す相手は、椚ヶ丘中学校の生徒では浅野 学秀ひとりだけ でしょうね。「殺す気で来なよ
」と言える好敵手に恵まれたカルマも幸せそう。
暗殺での最大のライバルは、潮田 渚かな……。
おわりに
理事長の回想シーン(?)が気になりました。
E 組の校舎を背後にして、森に向かって授業をしている──ような學峯の姿です。これは、「自分の成功を 伝えたい
」のか、「自分の失敗を 伝えたい
」のか……。
しかし、學峯が若かったころには E 組は存在しなかったはずです。つまりは、たんなる「イメージ」でしょう。
想像するに、かつては「落ちこぼれ」の生徒たちを熱心に教育した學峯が、ついには挫折してしまった、ということでは?
殺せんせーに過去の自分を重ねてみた學峯は、どこかで殺せんせーの教育理念のほうが正しいことを願っているのかも……。
題名は「蛇は寸にして人を呑む
」から借りました。
「殺気 ことわざ」で検索しても見つからず、「気迫 ことわざ」で一番目に出てきた言葉です。百足(ムカデ)に改変すると本編そのままですが、読んだ人だけがネタバレだと分かる。
ムカデと言えば、「百本もの足を持つムカデに歩き方を聞いたら、とたんに歩けなくなった」という話を思い出します。
理事長もまた、その教育方針を鋭く追求されると混乱するのかな……?