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暗殺教室 第 137 話 「過去の時間・4 時間目」 昔の事を言えば鬼が誘う

暗殺教室』 第 137 話 「過去の時間・4 時間目」


鬼が見つめる先は──我を失う死神

雪村あぐり死神との間には壁が あります。
物理的な障害物は取り除けても、双方の立場が縛りつける。アクリル板を壊した所で、あぐりが責任を負うだけです。

そんな状況で、あぐりは死神に血を流させる……!
やはり、あぐりは ただ者では なかったのです! 世界中を震え上がらせた殺し屋「死神」の身も心も崩壊させる。
あぐりこそが最強の暗殺者だった……!

死神を流血させるオニ

オニ柄 チューブトップは、たしかにダサい!
しかし、溢れんばかりのセクシィさは隠しきれません! 幼なじみや妹が急に「オンナ」だと感じてしまう。そんな不意打ちのドキドキ感も味わいました。

あぐりは、柳沢 誇太郎どうしても好きに なれない
フィアンセなのに召使いのように扱うからです。
その話の直後のため、「死神には異性として扱って欲しかった」という思いが見て取れました。あぐり自身も無意識の行動なのかな。
あぐりは、「無自覚ヒロイン」だったのか……!

知らない彼女

死神は、あぐりの妹のことを聞かされていました。
あかりの名前や容姿までは現時点では知らされていない。しかし、死神の調査能力を駆使すれば、簡単に あかりのことを知ることができる。そして、「現在は行方不明」という状況を把握していたら、絶対に探し出そうとする はずです。


じつは、第 1 話には「茅野」の表札が出てきました。
正確には「■野」の部分だけで、一文字目は隠されています。しかし、「野」や「野」には見えない。
茅野カエデ」はボツになった役名です。そのため、わざわざ「どこかの茅野家」に潜り込んだとも思えません。
つまり、あかりは一人暮らしをしているのでしょう。

殺せんせーに知ることの できた情報は何か。
「中学生が一人暮らし」「最近になって転校してきた」「その直後に(自分から)E 組へ編入」──。雪村うんぬんや死神のスキルは抜きにして、「熱心な教師」であれば家庭訪問くらいは考えるはずです。
実際に、殺せんせーは生徒たちに無断で敷地に不法侵入している。とくに、暗殺に熱心さが見られない茅野で あれば、何度か様子を見に行っても不思議ではありません。
なぜ、殺せんせーは あかりに気付かなかったのか?

ただ、たった一言が障害になったのかも しれません。
磨瀬 榛名」として あかりは芸能界で活躍している。その妹を見て、「私が その邪魔を したらダメ」と姉の あぐりは言う。殺せんせーが あぐりの意思を尊重した可能性は高い。

殺し屋の本性

死神のころから「巨乳好き」は健在でした!
いつも冷めた表情の死神にしては、思いも寄らない顔をしています。超生物になってから性格が変わったわけではなく、元から持っていた性分でしょう。もしかしたら、死神は母親を知らないから、母性を求めてしまうのかも。
ナウシカの胸が大きい理由」を連想しました。

殺し屋の仕事にはジャマだから封印していた性質かな。
しかし、「女装を含むコスプレ好き」という属性は、「仕事上の変装」という領域からは大きく はみ出している。
これも ぬぐい去れない死神の性癖なのか……!?

学生の本分

中学生らしい教室の風景に なごみました。
いつも うつむいていた E 組の生徒が、恋のニオイには敏感に反応する。ここぞとばかりに食いついてくる前原 陽斗が さすがです。倉橋 陽菜乃が楽しそうなのも彼女の持ち味が出ている。

そう、生徒たちは、あぐりを嫌っては いません。
ただ、E 組に落とされた自分自身を責めているだけです。そうやって理事長にコントロールされていることを知ってか知らずか──。

届かない贈り物

あぐりが手渡したかったプレゼントとは何か?
死神の「正直な表情」からして、格好が悪い衣料品と見て間違いない。どんな醜悪なゲテモノなのだろうか……?
いつも殺せんせーが身につけているネクタイ──では ないでしょう。まず、そんなにダサいデザインでは ありません。それに加えて、「カバー範囲 広い」という条件も満たせない。

「あぐりが手編みしたマフラ」あたり でしょうか。
ヘンなアップリケ(タコとか)が あったり、編み方が雑だったりしそう。そして そのプレゼントは、満月と一緒に消え去った──と見ました。

感謝の形

触手による感謝の抱擁に感動です!
この ひとときのために死神は触手を与えられた。──そう感じずには いられない。
あなたに 触れたい」という思いは、原生生物から人間・そして超生物にも共通する。もっとも原始的な欲求であり、最高に人間的な願望です。


ハンニバル・レクター博士のことも思い浮かびました。
映画版の『羊たちの沈黙』ではクラリス・スターリングの指先に、『ハンニバル』では髪の毛に、それぞれ一瞬だけ博士は触れていました。
瞬間に魂を込めた「ラブ・シーン」が切なくて良い!

おわりに

レクター博士とクラリスと言えば──。
トマス・ハリス原作の小説版『ハンニバルでは、ジョディ・フォスターが好きすぎて気持ち悪いエンディングに なっています。映画版が好きな人も、ぜひ一度ご覧あれ! (そんな勧め方が あるか!?)


題名は「昔の事を言えば鬼が笑う」から取りました。
よく使われる「来年の事を言えば鬼が笑う」の対義語です。未来予測の手段に乏しかった時代の言葉であり、現代では冗談でしか耳にしません。
また、今回のタイトルには、「あくまでも誘ったのはオニであり あぐりでは ない」という意味も込められています。作者に代わって言い訳している みたいだけれど。

asiamoth:
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