『SKET DANCE(スケット・ダンス)』 第 9 巻 「ハズカシガール」
9 巻も面白いぞ!(あいさつ)
推理物が好きな作者らしく、次巻への「伏線」が仕込まれています。まぁ、ちゃんと本作を読んでいれば、うすうすは気付けると思いますが……。
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9 巻も面白いぞ!(あいさつ)
推理物が好きな作者らしく、次巻への「伏線」が仕込まれています。まぁ、ちゃんと本作を読んでいれば、うすうすは気付けると思いますが……。
ジャンプの「アンケート至上主義」を嫌う人も、キャラクタの人気投票は好きだ。
いや、そもそも本当にジャンプが好きな人は、アンケートにも人気投票にもハガキを出している。中途半端な人は、ハガキを出すことを面倒くさがるものだ。──それ、オレ。
『SKET DANCE』のキャラクタ投票は、一人で一票しか送れない。キビしいルールだ。
それなのに、なんとも面白い結果になった。人間ではないキャラがこんなに出てくる人気投票は、ほかにはないはずだ。
単行本の 8 巻は、表紙から見どころが多い。
アルファベットの 26 文字に対応する『SKET DANCE』ネタの絵が描いてある。「G」と「H」がヤバ目のネタだし、「S」は「どっち(誰)?」と思ってしまう。ところどころムリヤリだが、カバーだけで楽しめた。
もちろん、内容は表紙以上に面白い。ついつい感想も長くなってしまった。「超痩身スレンダー」を見習って、記事をダイエットしていきたい(5 分の 2 だけ やせればいい、ということか?)。
7 巻の後半では、ヒメコの過去編が描かれた。
スイッチの過去と同じように、まったく笑いのないまま進行する。──と思いきや、ボッスンが出てきてからすぐに「いつもの感じ」の空気になるのが笑えた。
ここにスイッチがどうやって絡んできたのかが、非常に気になる。しかし──それは描かれていないのだ。想像で補おうにも、空白の期間の溝が深すぎる。
「ミステリィの本質は、書かれていないところにある」──というのは今でっち上げた言葉だが、外れていないだろう。ミステリィ・推理物が好きな作者らしく、スイッチがスケット団に入るきっかけの話は出てこない、ということか。
早いもので、もう『SKET DANCE』の 7 巻が発売された。この巻ではヒメコの過去が描かれる。
スイッチの過去編もそうだが、あまり『SKET DANCE』らしくない。笑えないのだ。正直なところ、あまり好きな話ではない。それに、過去編のような作風が続けば続くほど、「アンケート至上主義」のジャンプでは後ろのほうに掲載される。
それでも、作者は描きたかった。どうしても読者に伝えたかったのだ。ファンとしては、しっかり目を開いて受け止めよう。
今回の感想は、過去編の直前までを書いた。
この世で一番恐ろしいことは何だろうか?
多くの人は自分の死を恐れるだろう。しかし、死は誰にでも平等に訪れ、命を失うのは一瞬で終わる。誤解を恐れずに言えば、「恐れるほどのことではない」(ややこしい)。──こんな事を書くと「じゃあ、強盗にナイフを向けられたり火事にあっても恐くないのか」と言われそうだ。しかし、それは「死そのもの」を恐がっているわけではない。痛みや苦しみを避けたい気持ちのほうが強いはずだ。
幽霊や妖怪・お化けは論題である。しかし、「人の頭の中だけにいる、実際には存在しないモノ」を恐れるのは興味深い。いわば、勝手に自分で自分を怖がらせているだけだ。
自分がもっとも恐れるのは、よく知っている身近な人間の急激な変化だ。簡単に言うと、いわゆる「ボケ」の症状が出たり、まったく知らない一面を見たりするのが恐い。信頼を裏切られることも、根本的に同じだ。「こんな人ではなかったはずなのに──」という感じ。
これだけを聞くと、「何だそんなモノが恐いのか」と笑う人もいるだろう。そういう人は、少し想像して欲しい──。ある日とつぜん、自分の親兄弟や恋人・友だちが、アナタの事を他人のように見てきたらどうする? 平気でいられるだろうか。自分には、考えるだけでたまらなく恐ろしい。ロボトミー手術のことを例に挙げれば、自分の気持ちが伝わるだろうか。
実際、女の子に振られたら同じような事が起こる。昨日まではカレシ、今日からは他人──以下の存在。女性って、どうしてあれほど簡単に過去を「なかったこと」にできるのだろうか……。
本当であれば、それ以上に、「自分が自分ではなくなる」ほうが恐いはずだ。しかし、そのような場合──自分がボケてしまったら、そのことも理解できないだろう。だから恐くない──正確に言うと「恐がれない」。
そのせいか、自分は ほとんどの人と一定以上の距離を取り、関係が変化することを避けている。その代わりに、本当に親しい人に対しては、好意を変えない。どんなことがあっても自分からは離れたり裏切ったりしない、と決めている。それだけ信用できる人としか、親しくしないのだ。
さて、6 巻ではモモカ・吉備津 百香(きびつ ももか)が変わってしまった話が出てくる。けっこうギャグが多くて笑える話に仕上がっているが、自分にはモモカの舎弟の 3 人の気持ちがよく分かるのだ。
ただ、ヒメコのように変化を受け入れる姿勢も大事だと思う。自分も、そのように度量を広く持ちたい。
急に新キャラの杉崎綾乃(すぎさき あやの)が登場する。まるで、ボッスンの背中が寂しそうに見えたから近づいた、というような現われ方だった。
そう、あまり言うと安っぽくなるが、「どう見てもフラグが立っている」状況なのだ。それなのに、やはりボッスンは平常心だ。『ドラゴンボール』の孫悟空なみの反応の薄さである。
──などと言っているが、悟空は少なくとも二児の父だ。これはいま考えてもスゴい。
「鳥山明は恋愛が描けない」という、担当していた編集者(鳥嶋和彦氏)などの批評をそのまま信じ込んでいる人は多いと思う。そういう人に言いたい。「あンな、恋愛物ってイチャイチャしてるとこ描けばエエんとちゃうねんで!」(エセ関西弁)。
つまり、「作品における恋愛の表現には直接的な描写は不要である」ということだ。
『ドラゴンボール』には、悟空と■■・ブルマと■■■■との関係を想像する余地が残されている(そろそろ未読の読者も増えてくるだろうから伏せ字──あ、ブルマの相手は 2 人とも 4 文字だ)。その楽しみを自ら放棄するとは──もったいない!
どれだけ『ドラゴンボール』がラブコメとしても優れているかを、いつか記事にしてまとめよう。
──何が言いたいのかというと……。いまはこんなボッスンだが、ちゃんと将来は好きな人と付き合って結婚するのだろうな、と思った(小学生の感想文か)。
コミックスの発売から一か月も経って、ようやく感想を書いている。なぜ 6 巻だけ感想が遅れたのか?
6 巻にはロマン(早乙女 浪漫・さおとめ ろまん)が出てこないからだ!!!
──というのが半分と、あとは『バクマン。』の感想にかかり切りだったことが大きい。以前はどうやってブログを毎日書いていたのか、本当に自分でも信じられない。
前巻の重い雰囲気を引きずることなく、この巻では反動で軽めのギャグを持ってくるところがニクい。
今回は 6 巻の前半部分の感想を書いた。トリックと笑いを短いページでまとめる、という作者が得意とする話が出てくる。感想を書く側としても、安心してお勧めできる面白さだ。
笑える話が多かった前半に比べ、後半は重い。スイッチの過去を通して、きょうだいや家族について考えさせられる。
30 年以上も一人っ子をやっていると、「きょうだいのヤツには敵わない」と思うことがある。きょうだいがいる人は、自然に気配りができる人物になる。──とは限らないけど、「これだけ他人に目が行き届くのなら、きょうだいが いるのだろう」と自分は勝手に思ってしまう。その結果、日に日に「脳内・きょうだい持ち」が増えていくのである。
──そうか、自分が心遣いのできない原因は、一人っ子だからかも。ということで、どなたか自分の妹になってくれないだろうか(最低のオチ)。
5 巻もスゴいぞ! ──唐突な始まり方で申し訳ないが、見どころが満載だ。いつものように部室でダラダラする話や、意外な人物同士がデートをする話・底抜けに楽しい話・ちょっといい話など、盛りだくさんの内容になっている。
唯一の不満は、ロマンの出番が番外編だけ、と少ないところか。しかし、これ以上あのお方が出てきたら、とても収拾がつかない 1 冊になっただろう。
この巻で 40 話を突破した。キャラクタが完全に一人歩きして、監督である作者の言うことも聞かなくなるころだ。そろそろ、新キャラを登場させるか、既存のキャラを掘り下げるかしたいところ。そこで、この作者は両方とも 1 冊で描いてしまった。さすがだ。
表紙がポップなアニメ調なので、「もしやアニメ化── !?」と思う人がいるかもしれない。いないかもしれない。
この記事では、第 36 話から第 40 話までの感想を書いた。長文になったが、以前に比べれば抑えたほうだ。以前に書いたとおり、「シンプル・シャープ・スパイシィ」な記事を心がけたい(森博嗣さんのマネ: 浮遊工作室 (ミステリィ制作部))。