『バクマン。』 156 ページ 「余裕と修羅場」 (週刊少年ジャンプ 2011 年 50 号)

始発
(始発電車に揺られる人たちにも──人生がある)

珍しく(?)、今日は文句ばかり言っています。──え? もう『バクマン。』が嫌いになったの!?

そうではなくて、愛ゆえに、です。好きな作品だからこそ、「あばたもえくぼ」と見過ごせないこともある。しかし、それでも譲れない点があります。それは──。

愛のある批評以外は、書く意味も読む意味もない。

しかもその 3 日間は

単純な人数不足であれば、アシスタントの補充で何とかなるかもしれません。しかし、サイコーのペン入れが 終わらなければ 何の意味もないという状況になっている。

サイコーの場合は過労で倒れたことがあり、必要以上に長期の休載を迫られました。同じことが起これば、「ジャンプ」作家としての生命を絶たれることも考えられる。

もうすこし早く手を打てば、ここまで追い詰められなかっただろうか──?

今から 一睡もしなければ

小河の読みでは、すでにペン入れだけの問題ではなく、やはりアシスタントも不足しているようです。やはり、最初から無茶なスケジュールだった。

ちょっと不満を書くと──、今回は「2 本も連載をかかえるのは無理がある」という話で終わってしまっている。それは間違いないけれど、もうすこしマンガ的な見せ方をして欲しかった。読んでいて息苦しくなってくる。

たとえば、前半はサイコーが「余裕」を見せまくり、アシスタントたちとカラオケへ行ったり、ゲームで遊んだりしてしまう。後半に入るとカラーが仕上がらず、ようやく「修羅場」への突入を実感する──みたいな分かりやすさが良かったかな。

今回の話がアニメになった時に、スタッフは どうやって盛り上げるのだろう……。前半のサイコーに顔芸で がんばってもらう──くらいでしょうか。あとは、なぜか加藤は衣服まで乱れてしまう(ごくり……)とか。

ヒント: 加藤に対する需要

私は 始発まで

この「やつれ加藤」は良かった! まだこの時点ではキレイな顔をしているし。──でも、「マンガ補正」が消えたら、ヤバいことになっていると思うけれど。

──以前に大好きだった女の子と再会したら、仕事帰りで疲れ切っていたのか、信濃川を思わせるほど長い「ほうれい線」が見えて、ショックだったなぁ……。後日、メイクでキレイに消えていたけれど、その気力もなかったみたい。

加藤はギャグ(98% は本音)もスベっているけれど──いやいや、そこは折原が全力で拾うべきでしょう! ただ、絶妙に拾えたとしても、むなしい空気は変わらない。


普段のサイコーだったら、自分ひとりで全部を背負い込んで、アシスタントは帰らせるはず。ところが、もう そんな意地を張るだけの余裕がないことは、十分に肌で感じている。

この場面も、アシスタントたちの協力が ありがたい──という感謝の気持ちが伝わってきません。

いや、ここでサイコーが何を言っても、部屋の隅で固まっている綿ぼこりのように、無意味で乾いた言葉が舞うだけです。一瞬あとには消え去ってしまう。

それでも、マンガの演出的に何かが できたんじゃないかなぁ……。「オラに元気を分けてくれ!」みたいに。

皆 不眠 不休で ?

人ごとだから冷たく言ってしまうけれど、「うわ……シュージン・カヤの参戦、遅すぎ?」と思った。もっと早い段階でベタなどを手伝っていれば──、1% くらいは進行が早まったかも。

なるほど、あまり変わらないのか。


栄養ドリンクと言えば、高浜昇陽です(断定)。彼の場合は、ほかに頼れそうなアシスタントが いなくて、1 人で戦っている。彼のほうが、毎週のように修羅場を味わっているはずです。

アンケート票の順位でも・ドラマ化でも・修羅場でも、高浜は師匠の上を行っている──!

真城さん このペース では

小河は「上がりません」・サイコーは「上げます」としか言っていない。2 人とも無策であることには変わりが ありません。

目の前に立ちはだかる無理難題に対して、「根性」の ひと言だけで特攻していくのは、いかにも日本の少年マンガらしい。

でも、最近のマンガの主流は、「その手があったか!」と読者に思わせて、ポポポポーン! と ひざが赤くなるくらい たたかせることです。小河の的確な指示だけでは、ちょっと弱かった。

そう、必殺技の名前を叫ぶだけでは、いまさら盛り上がらない(なんのマンガの話?)。

例を挙げれば、「いままでは折原に背景を任せていたけれど じつはモブキャラを描くほうが上手で早かった」みたいな描写が欲しかったな。

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