バクマン。 #14-2 「御馳走と卒業」 シュージンの夢と見吉の涙

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『バクマン。』 14 ページ 「御馳走と卒業」 (週刊少年ジャンプ 2008 年 51 号)

昨日に続いて 14 ページの感想を書く。また長くなったので、終盤は明日に持ち越した。

東京には何度か行ったことがある。自分は三重県に住んでいるが、新幹線だと居眠りする間に着く。車では──助手席で熟睡している間に到着である。そのため、ずいぶんと近く感じるのだ。地図上では、かなりの距離が離れているのに──。

そんな自分から見ると、今週号の展開には疑問がある。同じことを思った人も多いのではないか。

ただ、「隣町や他県よりも、隣の家のほうが遠い」と思うことはある。最近になって引っ越したが、以前のアパートには 20 年以上も住んでいた。しかし、隣人のことは何一つ知らない。たぶん、街で会っても気が付かないだろう。

「気軽に行ける範囲」とは、単純な距離だけでは測れないものだ。心と心の間隔は、なおさら──。

プロってのは

見吉が驚いている場面を見て、思ったことがある。けっきょく、サイコーとシュージンがプロのマンガ家を目指している話を、見吉は心底信じていなかったのではないか、と。少なくとも、もう少し先の話と思っていたのだろう。無理もない。文武両道の優等生だったシュージンが、たった 1 年でマンガ雑誌に掲載されるところまで来たのだ。

ところが、シュージンの言うプロのマンガ家への道は、まだまだ遠い。

夢につながる苦難の道へ進む決意を、シュージンはクールに語る。そりゃ、見吉も惚れ直すはずだ。──と、今ごろ気が付いたけど、サイコーとマンガのことを語るときは熱いシュージンが、なぜ見吉といるときは冷静なのか。彼女の前では格好付けている、ということなら分かりやすい。だが、それとは違うクール──冷たさを感じる。

男友だちやカノジョに対して、ぶっきらぼうに話す男は多い。自分のように「友だち少ない歴 = 実年齢」な人間からすれば、思いやりや愛情が足りないように見えてしまう。ところが、リア充な人に言わせると「ンなこと気にするツレなんていねェーし(笑)」となる。

「なぜリア充は攻撃的な言動なのにモテるのか」というタイトルで記事が書けそうだ──が、自分より はるかに読み応えのある文章を書ける人が多いので、彼らに任せよう(誰?)。

八王子

サイコーの家と八王子は、どれくらい離れているのだろうか。気になる。過去のジャンプを OKAN に捨てられたため、読み直しができないのだ。それに、谷草北高校の場所もはっきり出てきたっけ?

これが分からないと、「二人の距離」が伝わらない。この作品には珍しく、ちょっと残念な場面だ。ベタでも「八王子 !? ここから電車で○分も かかるじゃん」とシュージンに言わせるべきだったと思う。

それでも──たとえば、ここ三重県から東京まで新幹線だと 2 時間、車でも 10 時間以内で着ける。同じ東京にいるのなら、もっと早く会えるだろう。当たり前だ。だから、今回の演出は かなり疑問が残った。「隣同士で いつでも会えたのに、離れることになった」わけでもないし。

それとも、田舎者には理解できないような理由で、八王子には外部からは近寄れないのだろうか。磁場とか(?)。教えて、東京の人!

「がんばろう」

そんなわけで、カヤが熱く語っている場面は共感ができなかった。会おうと思えば会えるし、そもそも「会わない」約束だし──矛盾している。

──だが、許す! 一連の「カヤのターン」なページを読んで、元気な姿(と格好)に癒やされた。そう、いつでもボクらは元気な女の子からパワーをもらっていたのだ(ボクら?)。

2 ペアの中では、見吉が一番「ふつうの中学生」している。ほかの 3 人は、放っておくと思考が異次元に行ってしまいがちなので、場を荒らしたりリードしたりするカヤの存在は貴重だ。

カヤが言う「本当に好きなら夢が叶わなくなっていいじゃんね」というセリフは興味深い。いわゆる「仕事とワタシ、どっちを取るの」問題に似ているが、少し違う。こちらは「ずっと働かなくてもいいから、ワタシだけを見て」と言っているわけではないのだ(ニートを養う包容力がある女性は除く)。

たしかに、夢が叶わなくても結婚はできる。しかし──夢を追わなくなったサイコーを亜豆は愛せるのか?