『バクマン。』 26 ページ 「2 人と 1 人」 (週刊少年ジャンプ 2009 年 13 号)
(by Mike Licht, NotionsCapital.com)
「26 ページ」の後半は、服部の素晴らしさを再確認する もう、服部が主人公で良いのではないか、とも思う。
服部は手足がすらっと長く伸びたモデル体形で、「住人が数字で呼ばれる巨大掲示板」で愛されているあのキャラにそっくりだ。
愛嬌(あいきょう)があるその顔は、日本人なら誰でも知っている男に似ている。じつになじみ深い愛され顔である。
それより何より、その男気あふれる行動が素晴らしい!
草食とか肉食とか、何だか分からないカテゴライズが流行しているようだが、ようするに「(女性全般ではなく)ワタシをどう扱ってくれるのか」ということだろう。それはそれで大事だが、もっと服部のように「人の気持ちを理解しつつ仕事ができる男」に注目してはいかがか。
何があったんだ?
電話でサイコーと話す場面で、服部が黙って考える対応は見事だ。ここで服部が「いや、理由を言ってくれないと困る!」みたいに言っても、サイコーは絶対に理由を言わない。
自分はコールセンターで働いていて、ときどき「何を言っても聞く気がない人」を対応する(「ときどき」というのは、一週間に 10 人以上という意味)。だから、この時の服部のような状況は慣れているのだ(「慣れている」というのは、ウンザリしているという意味)。その経験から言うと、「黙って相手の話を聞く」という忍耐力が試される。慣れれば誰でもできることだが、なかなか難しい。「いやいや、アンタの言ってることはおかしいで!」と叫びたくなる。
ところで、服部の名前は「哲」と書いて「あきら」だったのか。ずっと「てつ」かと思っていた──というか、あれ? だれか「てっちゃん」と呼んでいなかったか? 気のせい?
サイコーの「そんな 子供じゃ ありません
」というセリフは、自分が決めたことを変える意志がない、という宣言だ。そこには意志の強さを感じるが──逆に子どもっぽく見える。そう、サイコーは子どもっぽいところがあるのだ。それが彼の原動力(子どものころからの夢であるマンガ家を目指す)につながっているのだが、周りの人間からすると扱いづらい。
この方が合ってるな
服部が「王道のバトルは やめたの?
」と軽く聞けることが意外だった。サイコーとシュージンが、とつぜん邪道から王道へジャンルを変更したときには、あれほど驚いていたのに。しかし、このあとの展開で納得ができた。ひとまずシュージンへ連絡をするつもりだったのだ。ここで「コンビ解消の次はジャンルも変更かい?」などと聞いても、意味がない。今よりもサイコーは口を閉ざすだけだ。
服部の受け答えは、いつにも増して満点に近い。「服部に学ぶ交渉術」みたいなブログ記事を書く価値があると思う。本にまとめても売れそうだ。この人物像は、実在の人物を参考にしているのだろうか。
なんなんだ この 2 人……
シュージンが推理物を描いていることを服部は知る。ここで重要なことは、サイコーもシュージンも推理物を描くことを知っているのは、世界で服部ただ 1 人であることだ。服部には慎重な言動が要求される──。2 人の仲を取り持つことができるのは、服部だけなのだ。
ここから、服部の策略が始まる。
とても良識のあるオトナとは思えない(というか人間に見えない)あくどい表情の相田が笑える。相田の悪の手がサイコーに伸びるそのとき、服部は──
ディフェンスに定評のある服部らしく、全身でサイコーを守るのだ! 格好良すぎるぜ!
ref.: 池上 – ヤマカム
服部は必死になって相田の誘いを防いだあと、ストキンの作品でデビューができた可能性を提示する。あくまでもフェアな態度だ。判断はサイコーにゆだねている。
「どうしたらいいのか まだわかりません
」と素直に言うサイコーの表情もいい。ここは誰でも「うつむいて涙を流す表情」に描きたいところだが、あえて変な顔にする。たしかに、泣いている場合ではない。しかし──本当にどうしたらいいか分からないのだ。そんなサイコーの気持ちが伝わった。
ここまでは、まさに服部の「計画通り」だ。珍しくワルっぽい表情の服部が面白い。このあと、2 人の「復縁」まで服部は持って行けるのだろうか?
服部の「上げて落とす」戦略は、ビジネスでも恋愛でも有効なテクニックである。服部は、じつに自然にやっているのが良い。だからこそ人の心を揺さぶる。ヘタにマネをすると、逆に相手の気分を害するだろう。──経験者は語る……。