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プラダを着た悪魔 – 生活のために仕事をして、愛のために努力する

『プラダを着た悪魔』 (The Devil Wears Prada)

PRADA BOUTIQUE AOYAMA
(プラダは悪魔に──シャネルは……)

最高に面白いドラマです!

Wikipedia の説明によるとストーリィは、ジャーナリスト志望の主人公が悪魔のような最悪の上司の下で直向きに頑張る姿を描いた物語である──とのこと。しかし、映像を見た印象からはズレています。

主人公の 1 人であるアンディことアンドレア・サックスは、アン・ハサウェイが生き生きと演じています(名前がややこしい?)。

正直なところ、『パッセンジャーズ』でのアン・ハサウェイの弱々しい・たどたどしい演技にホレて本作品を手に取り、期待せずに観ました。結果はバツグンに面白くて、嬉しい誤算です。

パッセンジャーズ – 空での真相を求めて心の世界をさまよう : 亜細亜ノ蛾

もう 1 人の主人公──ミランダ・プリーストリーは、「大女優」の代名詞であるメリル・ストリープが最高の演技を見せてくれました。

本作は、ミランダの「美しい生き方」が見どころです。

『プラダ』を観る前の自分みたいに、「アン・ハサウェイかわいいー! メリルはきっと、いじわるなオ■サンなんだろうな、フン!」という第一印象を持ってしまい、ミランダに注目しないと、大きなソンをしますよ!

(注: ■の中には「ク」が入る)

作品のイメージとあらすじからして、下のような内容だと思う人も多いでしょう。しかし、自分が受けた印象は大きく異なりました。

  • 仕事に不慣れな主人公が、しだいに大きな仕事を覚えていくサクセス・ストーリィ
  • 華々しいファッション業界にひそむ、きびしい現実を鋭く描く作品
  • 洋服には無頓着な女性が、ファッションの奥深さに目覚めていく
  • ハンサムな新しいカレシと結ばれるシンデレラ・ストーリィ

本作品を見終わった人の中で、上の箇条書きを見て「──えっ、このとおりじゃないの!?」と思った人が大半のはずです。たしかに、上で挙げた要素はすべて本編に出てくる。しかし、その映像の裏には、別の意味が見えるのです。

日本でのキャッチコピーは、映像から受けた印象だけで作ったのだと思う。下の 3 つともスベっている。けっして、こういう話じゃない! このコピーによって、余計なイメージを持たされそうです。

  • 恋に仕事にがんばるあなたの物語
  • こんな最高の職場なら、死んでもいい!
  • こんな最悪の上司の下で、死にたくない!

プラダを着た悪魔 – Wikipedia

しかし──、あえて、上で挙げてきたような印象を持ったまま、『プラダ』を観て欲しいですね。見る人が見れば、良い意味で裏切られる。たとえ上記のイメージどおりに見終わっても、充分に楽しめます。

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そろそろ 2009 年のゴールデンウィークについて何か言っておこうか

2009 年のゴールデンウィーク

A-happy-couple (by mando2003us) (by mando2003us)

今年もフツーに仕事ですた。──糸冬 了──

それはそれとして。

連休中に電車でスゴい男女を見たので報告しておく。いまごろになって書くと言うことは、それだけ強烈な印象が残っている、ということである。あるいは──今日は ほかにネタがない。

電車で見たカップル

自分にとっては大型連休ではなかったが、それでも 2 連休は取れた。名古屋へ遊びに行く。その帰りの電車にいた男女が すさまじかった。

──まずは、恋人同士の二人が登場する。

女は、会話をしながらも、ずっとカレシに ちょっかいを出していた。カレシが着ているシャツのボタンをつまんだり、胸元を開きかけたり、落ち着かない様子だ。

男は、シャレた花柄のシャツを着ている。上はそれ 1 枚なので、女がシャツの襟元や胸元をいじっていると、脱げてしまいそうだ。見ているほうがハラハラする。

男女は、自分が見る限り 30 分以上もずっと話し続けていた。カノジョを見ると、楽しそうな表情だ。

しかし、何よりスゴかったのは、そのカレシの行動である。

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バクマン。 #27-2 「策士と騙し」 ジャンプの新連載と高校生

『バクマン。』 27 ページ 「策士と騙し」 (週刊少年ジャンプ 2009 年 14 号)

Perennial pains (by amirjina) (by amirjina)

「『バクマン。 2 (2) (ジャンプコミックス)』の発売日だというのに、Amazon ではまだ書影(表紙の写真)が掲載されていない。なんということだ。せっかく「どう見てもガモウひろしです。本当に(ry」というネームが載っているのに、宣伝しにくいではないか。ぶつぶつ……」

──という大きな独り言は置いておいて。

以前から不思議に思っていることがある。なぜ、服部もシュージンも、そしてサイコーも「高校をやめる」ことは考えないのだろう。義務教育は終わっているのだから、無理に高校に行かなくても良いではないか。あと、新妻エイジの高校生生活も、ちょっと想像ができない……。

週刊少年ジャンプという「少年誌」でやっているマンガだから、という理由のほかに、サイコーとシュージンが高校に通う意味は あるのだろうか。

自分は「家から近いから」という理由で工業高校へ通っていた。理由だけは流川楓と同じだが、ルックスも才能もなかった自分には、ひたすら無意味な三年間だった。在学中から「卒業証書が欲しいから通っている」と公言していたし、実際にその通りだった。いまでも「最低でも高卒ではないと職がない」というくらいのメリットしか感じていない。

サイコーやシュージン・マンガに出てくる高校生のように、何か強烈にやりたいことがあれば、自分なら高校なんて行っていなかった。──いまになってこんなことを言うのは簡単だが……。

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バクマン。 #27-1 「策士と騙し」 服部の策とシュージンの本心

『バクマン。』 27 ページ 「策士と騙し」 (週刊少年ジャンプ 2009 年 14 号)

Love Defined (by abardwell) (by abardwell)

服部の活躍が 2 週に渡って見られるとは、なんという幸せだろう。後半では、さらに面白い展開になる──のだが、感想は、しばしお待ちを……。

2009/03/04(水)には『バクマン。 2 (2) (ジャンプコミックス)』が発売される。それまでに今週号の感想を書き上げるのは無理だ(と、さりげなく宣伝)。

先週号の感想では、「服部の、良い意味でのあくどさが見られた。」と書こうとした。しかし、一般的には、「あくどい」を「良い意味」で使うことはないだろう。辞書で調べても、良い面は見つからない。

Yahoo!辞書 – すべての辞書 – あくどい

(ちなみに、あらゆる辞書サイトを使ってきたが、「Yahoo!辞書」は類語辞書まで検索してくれるのが良い。語彙の少ない自分は、かなり勉強になる)

自分は、悪い人間・あくどいヤツが好きだ。ただし、センスや頭が悪い人間・犯罪者は除く。この条件に合いさえすれば、人をだますような人間も好きである。

──ここで、「人をだますのは、詐欺罪じゃないか」という意見もあるだろう。そう、「人をだまして罪になる人間」は論外だ。人をだますなら──相手がだまされたことに気が付かないようにするべきである。金もうけでも、恋愛でも……。

同様に、他人に気を配らずに我を通す態度・ルールから少しだけはみ出す行為・ずるがしこさは、ある程度は生きていく上で必要になる。正直者が馬鹿を見るのは世の常だ。

──それでも、一生、馬鹿正直に生きられたら、この上なくステキだが……。

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バクマン。 #26-3 「2 人と 1 人」 服部のたくらみと揺れるサイコー

『バクマン。』 26 ページ 「2 人と 1 人」 (週刊少年ジャンプ 2009 年 13 号)

Leo Got Game (by Mike Licht, NotionsCapital.com) (by Mike Licht, NotionsCapital.com)

「26 ページ」の後半は、服部の素晴らしさを再確認する もう、服部が主人公で良いのではないか、とも思う。

服部は手足がすらっと長く伸びたモデル体形で、「住人が数字で呼ばれる巨大掲示板」で愛されているあのキャラにそっくりだ。

八頭身モナー – Wikipedia

愛嬌(あいきょう)があるその顔は、日本人なら誰でも知っている男に似ている。じつになじみ深い愛され顔である。

ひょっとこ – Wikipedia

それより何より、その男気あふれる行動が素晴らしい!

草食とか肉食とか、何だか分からないカテゴライズが流行しているようだが、ようするに「(女性全般ではなく)ワタシをどう扱ってくれるのか」ということだろう。それはそれで大事だが、もっと服部のように「人の気持ちを理解しつつ仕事ができる男」に注目してはいかがか。

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バクマン。 #25-4 「嫉妬と愛」 亜豆の愛とサイコーの決意

『バクマン。』 25 ページ 「嫉妬と愛」 (週刊少年ジャンプ 2009 年 12 号)

walkaway (by Meredith_Farmer) (by Meredith_Farmer)

サイコーはいつも強い意志で真っすぐ前を見て進んできた──と思っていたのだが、見方によっては流されているようにも見える。ふと、そう思ってしまった。

子どものころにマンガ家になりたかったのは、サイコーの意志だ。川口たろうの影響は大きいが、「おじさん」はサイコーにマンガ家への道を勧めなかった。

しかし、ふたたびマンガ家を目指したのは、シュージンの誘いからだ。亜豆との付き合いで「会わない」と決めたのは、亜豆である。さらに、描くマンガの内容をシュージンや服部が決め、エイジの影響で原点に帰ってきた。

それに、サイコーのおじいちゃん(と父親?)の意向で初めからサイコーはマンガ家になる道しかなかった、とも取れる。そうでないなら、何のために川口たろうの仕事場をそのまま残したのだろうか。

ただ、これは意地の悪い意見だ。それを言い出すと、ほとんどの人が他人の影響で人生を決められている。自分もそうだ。親と環境が違えば、違う人生を歩んでいただろう。

ある程度は周りに決められた枠組みの中で、サイコーは必死に自分の信じる道を行く。その道には、シュージンも一緒についてくるのだろうか──。

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ウェブ上で見つけた面白い人に会いたいかどうか

ネットの人と会うことについて

今日は「やられた!」という記事を読んだので 1 回休み柴田亜美さんの『ドキばぐ』ネタだが、分からない人は無視しよう)。

id:kowagari ことテラヤマアニさんの記事に、自分が前から温めていた(温めすぎて腐っていた)思いが書かれていた。

自分の好みの文章を書いてたり、度を超して面白いことを書き続けてたりする人だと、だんだん「いったいこの人はどんな人なのだろう」と思い始める。そしてそれが高じて、「なんかちょっと、一回会ってみたい。飲んでみたい」みたいなね。

ないんです。ない。基本的に会いたいとかビタイチ思ったことない。ずーっと書き続けてほしい、ずーっと面白いものを読ませてほしい、とは思うけど、会いたいと思わない。

ネットの人と会うことについて – おれはおまえのパパじゃない

「はてブ」での反響も大きい。世間的には少数派と思われる意見も、ウェブ──というか「はてなブックマーク」のユーザという狭い範囲では、賛同者が多いようだ。

はてなブックマーク – ネットの人と会うことについて – おれはおまえのパパじゃない

「会ってみる」と「友達になる」(継続的に交流が続く)は別

id:kanose さんのアンサーソングも良かった(ソング?)。

(……)小説でも漫画でも何でもいいけど、作者から直接話を聞くという経験は非常に面白い。それほど好きではない作品だって、作者に話を聞いてみると、なるほど、そんな背景があったのか…などいろいろなことがわかる。でも、その作者とずっと交流が続くのか?と言ったら、当然そんなことはない。よほど、何かお互いに通じることでもない限り、交流が続く訳ではない。

「会ってみる」と「友達になる」(継続的に交流が続く)は別 – ARTIFACT@ハテナ系

はてぶコメントの広がりも見て欲しい。

はてなブックマーク – 「会ってみる」と「友達になる」(継続的に交流が続く)は別 – ARTIFACT@ハテナ系

オフラインで合うことについて、2 人の見解の違いが非常に面白い。

この 2 人の違いは何なのか。

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「ココロ社」に学ぶ「ネット社交術」──つまりはモテたい!

モテるには?

ああ……それにしてもモテたい……(カイジ風)。

──と、人恋しい季節が近づいてきた中、思っている人も多いことでしょう。

そういえば、

「人恋しい季節」

──と、あるミュージシャンがインタビューの中で話していましたが、あまり人前で言うことではないかと。「夜の方面」の質問──ではなかったので。

まぁ、恋しいのは人よりも肌、それよりも○○○──と言ってしまうほうが、素直で好感を持てますね(?)。

ということで今回は、モテるにはどうすればいいのか──の答えは(マイミクが 4 人の)自分には分からないので、いつものように人様の記事を紹介します。

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きちんとした質問が できない人たち

質問にきちんと答えられない人たち

駄文にゅうす』さんの ところで取り上げられた質問にきちんと答えられない人たち : 亜細亜ノ蛾が、凄いアクセス数に なっていてビックリ。ありがたい限りです(それにしても、たった一行で 1,000 アクセス強か……)。

二年以上前に書いた記事で いまと文体が違っているけど、「質問に きちんと答えられない人たち」に対する感想は、あまり変わっていません。まぁ、「世の中には色々な人がいるのだな」と気にしなくなったくらい。

きちんとした質問が できない人たち

ただ──、世の中には「きちんとした質問が できない人たち」も多いのでは? とも思う。

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そろそろ Twitter についてひとこと言っとくか

Twitter について、か?

タイトルは釣り、というほどでもないけれど、ツイッタ(森博嗣風)そのものよりは、ネット全体についての話。

Twitter: What are you doing?

何となく、昨日今日とブログに書きたいことがネットで見つからなかったので、結城浩さんがたまに書く自動書記のような感じで書いてみよう。

── Twitter って、5 年後くらいに、

「そういえば昔、Twitter とか、あったよねー」

「そうそう。あんな、個人情報垂れ流しなこと、よくやってたなー」

──とか言われてそう。

「個人情報」というとおおげさかも、だけど、自分の行動を事細かに世界に向けて発信する、というのがどうも……。特に「今日は○○へ行った」というのを書いている人。まぁ、人によっては、そういうのは気にならないだろうし、なんだったら個人情報が漏れても キニシナイ!! という人も多そう。リアルで会う機会を求めている人なら、なおさら。

そう、Twitter に感じる違和感──いや、ひょっとすると嫌悪感・拒否感を感じるのは、その「コミュニケーションを求める」ところかも。どうにも、「ネットを経由してコミュニケーションを求める」のが、苦手。嫌いというより、苦手なんだなー。mixi も、出逢いを求めるためではなく、けっきょく自分の場合は場所を変えてブログ(日記)を書いているだけだし。

ちょっと思い出したのが、5 年ほど前にネットで知り合った人と、掲示板でやり取りをしていた頃の事。そこに自分が書いた発言で、ちょっとした炎上になった。いまでは、あの掲示板でのできごとは、自分の中で笑い話というか、ほとんど忘れてしまった。さらに、その掲示板の管理人さんを mixi で見つけ(ありがち)、いまではマイミクさんになっている。

しかし、「ネット上のコミュニケーションって、難しいね!」という感覚は、いまでも残っている。どこかにコメントするときも、否定的な事は一切書かない、書けない。それが、結果的に相手のためになったとしても(目を覚ますような事を言ってあげたい人って、いるよね?)。

そう、たぶん、その「コミュニケーションの難しさ」や「コミュニケーションに費やすエネルギィ」を極力減らして楽にコミュニケーションを取ろう、というのが実現できるのが、Twitter や mixi なのだろう。その上、そこ以外では知り合えないような人たちと出会える(可能性がある)し。

しかし、5 年前には考えられないような技術が次々に出る一方、Twitter やブログや mixi って、結局「昔からある掲示板やチャット」と大差がない、とも言える。底にあるのは「自分の発言を特定・不特定の人に伝えたい」ということ。それは、人間が人間である限り、変わらないはず。

まとめ

ということで、これから 5 年後にも、「いまでは考えられないような技術」が使われた「要するに掲示板とかチャット」が流行っているのだろうな……。